大人とは何かについて考える
大人とは何か、について考える時、相対的に「子供とは何か」についてまず定義しなければならない。
子供とは何か?
佐藤健志に言わせれば「キッチュ」であり、ニーチェ曰く「俗悪」であり、適菜収風に言えば「B層」となるだろうし、またオルテガ風に言えば、「大衆人」だ。
これをまとめるのならば、視野が狭く安直で、過去への敬意も無ければ、未来への想像力もない、また自己閉鎖性と傲慢性でもって、利己的であると表現できるだろう。

ここに、稚拙ながら私が図式を考えてみた。
縦軸が過去と未来、いわゆる時間軸であり、横軸が公私である。
そしてこの図の中心である「大衆人」が子供であると定義し、4方向にベクトルを向けてみた。
まず縦軸、時間軸の説明だが、過去というのは、現在の存在の正統性を証明する根拠(信憑性)であり、その過去(文化、伝統、歴史、出生、先祖)に対する理解、配慮、敬意こそが、現在の自分への理解と配慮と敬意である、ということだ。
そして未来はその過去の継承と存続に対する責任(義務)であり、個人においては子孫の繁栄と自らの死に対する覚悟と責任(義務)であり、また同時に、それらを想像しうる力である。
注釈(当然、未来は、現在と過去によって成り立ち、その連続性というものがある。中心から遠ざかるほど、その連続性が失われるという解釈がこの図式においてなされることは、私の考えとは真逆であって、むしろ、双方に遠ざかっていくことで、過去も未来も同時に深化しうるものだという解釈こそ、私が望む形である)
次に横軸であるが、わかりやすく公私という言葉を用いた。
簡単に説明すれば、中心が利己であり、公に向かえば利他、私に向かえば、生の存続であり、「自己の生に対する真剣さ」ということになる。
注釈(この場合の公私は、なにも公私を左右に分裂させようとするものではなく、むしろその逆であって、中心(大衆人)から両方向にベクトルが向かうことで成熟(非大衆人化)していく、という意味であり、言い換えると、双方に向かえば向かうほど、私は公に内包され、同化していくものであるという意味を持つものである。これは時間軸においての注釈と同じ意味合いである。またそもそも、人間は孤独(私)と私の存在を認知しうる社会(公)が混在するものであり、その意味においても、公私という横軸に意味があるのではないか、と私は考えるのである)
そしてこの縦軸(過去と未来)と横軸(公と私)とを結んだもの(内側の面積、形状)がその個人であると私は示したいわけで、その面積が広く(4方向に広がりを持つ)、またバランスが取れている人間ほど、大人(非大衆人)であり、尚かつ強靱性を持つ、と私は定義したのである。
まだまだ、この図式の整合性も説明も不十分であるだろうし、詰めも甘いのは重々承知した上で、私はあえて、皆様に、この4方向の視点というものを自己検証するにあたり、その機会を持って頂ければという思いで発表させていただいたことをご理解いただければと思う。
補足
あくまでその示された面積は、自らもその大衆性を(どれほど非大衆人であっても)内包しているということを示した上で、非大衆人はそれが点ではなく、面として認識しているということであるのだという考えである。
また、その4方向を結ぶことで、それらに連動性があるということを示したいのである。
子供とは何か?
佐藤健志に言わせれば「キッチュ」であり、ニーチェ曰く「俗悪」であり、適菜収風に言えば「B層」となるだろうし、またオルテガ風に言えば、「大衆人」だ。
これをまとめるのならば、視野が狭く安直で、過去への敬意も無ければ、未来への想像力もない、また自己閉鎖性と傲慢性でもって、利己的であると表現できるだろう。

ここに、稚拙ながら私が図式を考えてみた。
縦軸が過去と未来、いわゆる時間軸であり、横軸が公私である。
そしてこの図の中心である「大衆人」が子供であると定義し、4方向にベクトルを向けてみた。
まず縦軸、時間軸の説明だが、過去というのは、現在の存在の正統性を証明する根拠(信憑性)であり、その過去(文化、伝統、歴史、出生、先祖)に対する理解、配慮、敬意こそが、現在の自分への理解と配慮と敬意である、ということだ。
そして未来はその過去の継承と存続に対する責任(義務)であり、個人においては子孫の繁栄と自らの死に対する覚悟と責任(義務)であり、また同時に、それらを想像しうる力である。
注釈(当然、未来は、現在と過去によって成り立ち、その連続性というものがある。中心から遠ざかるほど、その連続性が失われるという解釈がこの図式においてなされることは、私の考えとは真逆であって、むしろ、双方に遠ざかっていくことで、過去も未来も同時に深化しうるものだという解釈こそ、私が望む形である)
次に横軸であるが、わかりやすく公私という言葉を用いた。
簡単に説明すれば、中心が利己であり、公に向かえば利他、私に向かえば、生の存続であり、「自己の生に対する真剣さ」ということになる。
注釈(この場合の公私は、なにも公私を左右に分裂させようとするものではなく、むしろその逆であって、中心(大衆人)から両方向にベクトルが向かうことで成熟(非大衆人化)していく、という意味であり、言い換えると、双方に向かえば向かうほど、私は公に内包され、同化していくものであるという意味を持つものである。これは時間軸においての注釈と同じ意味合いである。またそもそも、人間は孤独(私)と私の存在を認知しうる社会(公)が混在するものであり、その意味においても、公私という横軸に意味があるのではないか、と私は考えるのである)
そしてこの縦軸(過去と未来)と横軸(公と私)とを結んだもの(内側の面積、形状)がその個人であると私は示したいわけで、その面積が広く(4方向に広がりを持つ)、またバランスが取れている人間ほど、大人(非大衆人)であり、尚かつ強靱性を持つ、と私は定義したのである。
まだまだ、この図式の整合性も説明も不十分であるだろうし、詰めも甘いのは重々承知した上で、私はあえて、皆様に、この4方向の視点というものを自己検証するにあたり、その機会を持って頂ければという思いで発表させていただいたことをご理解いただければと思う。
補足
あくまでその示された面積は、自らもその大衆性を(どれほど非大衆人であっても)内包しているということを示した上で、非大衆人はそれが点ではなく、面として認識しているということであるのだという考えである。
また、その4方向を結ぶことで、それらに連動性があるということを示したいのである。