メディアが語る平和という欺瞞 | ひより

メディアが語る平和という欺瞞


平和憲法、平和主義、世界平和・・・・平和と付くと、どうも日本人は、いや、人間は弱いように思えます。



もちろん、世の中が平和であるにこしたことはありません。しかし、それはあくまで理想論にすぎないことは、過去の歴史や現在の世界情勢をみれば、誰にでもわかることでしょう。



そこで私は、そもそも平和とは何か?について考えてみる事にしました。



その上でメディアなどが取り上げる、「近隣諸国との関係改善、仲良くしましょう」的なものがどれだけ平和というものをきちっと理解していないかということを指摘したいと思います。



まず、わかりやすくミクロで喩えると、知らない人と仲良くなった、というのは、よくあることです

次に、仲のいい人(もしくは知り合い)と仲が悪くなった、これもよくある話です。

そして最後に、知らない人と知らないままでいた、というのは、これ1億2千万人、いや世界で60億人、人間がいれば当然すぎるほど当然です。



では、なぜこんな話をしたのかと言えば、知らない人と仲良くなったのは、一つに利害の一致、もう一つは感情、感性の一致があったからに他ならないわけで、それ以外の理由というものは基本、存在しないわけです。



これを国単位(マクロ)で見た場合はどうでしょうか。


当然、利害が一致していれば仲良くもできますし、感覚(宗教観など)が合っていれば、協力しようという感情も少なからず起きるはずです。


そして次の、仲の良い人と仲が悪くなった、というのは、所謂時間軸が関係しています。

言い換えると、過去に利害は一致していても、今や未来に一致してるとは限らないですし、宗教観が教育などによって変質し、関係が壊れることもあるわけです。


これは当然、国家間(マクロ)でも起こりうる話で、戦前、戦後のアメリカやイギリスと日本の関係を顧みるだけでもわかることです。



そして最後に、知らない人と知らないままでいた、というのがあります。


ここには利害の一致というのが、現段階では無い、という事と、感覚の共鳴も、現段階ではない、ということです。


少し話がややこしく感じるかもしれませんが、これは可能性の肯定であって、ここから仲良くなる可能性もゼロではない、と言いたい訳です(逆もしかり)


さて、人間関係(親戚、家族間は抜く)というのは、主にこの3つで構成されているわけですが、ここで想像していただきたい。


あなたの周囲の人は、あなたのことが好きな人だけで構成されていますか?

あなたは誰にも嫌われていませんか?

あなたは誰のことも嫌いではないですか?


そんなことは絶対にありえませんよね。実はこれが国家間(マクロ)で起きているのが世界情勢なのです。



そこを踏まえた場合、平和というのは、全ての国々の利害か、もしくは感覚(宗教観)が一致していなければ、ありえないことになるのです。


ここまで話すと、さすがに全ての国同士で宗教観を一致させることがどれだけ徒労かということに気づきますよね。


世界の歴史(民主主義VS資本主義であったり、宗教対立)を顧みればこれも明白なわけです。



となると、唯一の可能性は、単純な利害の一致だけなのです。


そしてその利害の一致というのは、主に二つ。



一つは、双方にとって損よりも得が上回る(もしくは稀に双方とも得しかない)


もう一つは双方にとって得も損もない(もしくは相殺されている)



この関係以外で、利害というものは一致しないのです。



メディアは馬鹿の一つ覚えのように、「中韓と仲良くしましょう。それが戦争をしない平和な世界を作る手段などです!」のように語りますが、そもそも仲良くする=平和ではまったくありません。


利害の一致=仲良くなる(もしくはなったふりをする)


であり、平和は結果論にすぎません。



そこでリアルな話として、米中韓とどう利害を一致させていくか、という問題になります。


まず、アメリカですが、ざっくりいうと、日本との利害の一致は、同じ民主、資本主義というイデオロギーの一致、次に、アメリカにとって、ロシア、中国という共産主義国家との楯になる(現在は冷戦が終わり、それも弱まっていますが)という地政学上の問題。
さらには軍事支配による経済優位性(アメリカ)です(他にもありますが)


当然、これらのアメリカの利害について、日本はアメリカから安全保障などの利益還元が行われています(損もずいぶんしていますが)


次に中国はどうでしょうか。まず経済の一致は技術と生産の役割分担です。高い日本の技術と、安い中国の生産能力を合わせることで、世界経済で優位に戦えます。


しかしながら最近はどうでしょうか。中国は経済が発展し(今は崩壊の一途ですが)労働賃金が上昇し、決して安い生産性とは言えなくなってきました。


これは日本にとって利害が一致しなくなり始めているということです。


もちろん、中国にとってはそれでも自国で生産を増やしたいでしょうが、市場経済はたとえ共産主義国家の中国でも一国で決められる問題ではありません。


よって、日本は中国よりも生産性が良く、コストの安い場所へと移動していきます。


これ先ほど書いた、今までは仲良くしていたが仲が悪くなった、というのに似てませんか?


国も人も、時間軸によってその利害関係に変化が起き、例えば、同盟国同士が戦争をすることもあり得るわけです。(当たり前ですが)


また、中国は自前の資源だけで10億人を養っていけることはありません。そうなれば、さらなる資源をどこからか買うか、もしくは奪うかしかなくなるのです。


これが尖閣問題や南、東シナ海の問題なのです。


韓国は面倒なので簡潔に話しますが、中国の属国として長年その宗教観を一致させてきたものが、ここ数十年、こちら側に寄っていた事自体が不自然であり、そもそも相見えない存在であったという、根源的な問題に加え、そもそも輸出でGDPの大半を賄う韓国にとって、輸出に強い日本とは利害が一致するわけがないのです。



さて、韓国の話はこの辺りで終わらせ、結論に入りたいと思います。


平和とは、その大前提において、いかに利害を一致させるか、というのは散々言ってきましたが、この利害というのは、得だけではないのです。


逆に損ということも考えられます。


こいつと、付き合わないと損する、こいつと喧嘩したら、痛い思いをする、なら仲良くまではいかないけど、喧嘩だけはしないようにしよう、だとか、そういったことです。



これが国家間になると軍事力ということになります。



この軍事力、正直、双方で均衡する努力は可能だと私は考えています。なぜならば、軍事力を互いに高め合えば、戦争をしなくとも国民経済は破綻してしまうからです。


どこかで妥協するということを考えるのならば、均衡という手段を選ばざるを得なくなるわけです。



また、核兵器のように、双方が保持した場合、これは絶対に使えない兵器になります。使えば自分たちも死ぬのですから、こんなことはよほど馬鹿で追いつめられた独裁者でなければやりません。


その均衡を前提において、通常兵器の均衡を計ることが出来れば、私はある一定の平和というものは可能ではないか、と結論づけています。



一時的な平和というのは、得の部分の利害関係で成り立つことはあっても、時代が変わればその関係性も崩れる可能性もあるがゆえに、損という利害関係に乗っ取ることこそ、現実を考えたとき、最も重要なことになるのではないか、と私は思うのです。



当然、この考えは朝日、毎日などのメディアとは全く違った見解であり、核保有積極論者と言われるかもしれません。


しかしながら、私は核など、出来る事なら持つべきではない、と思っています。ただ、論理的に詰めていけば行くほど、現実的には、核の保有は必要不可欠になってしまうのです。



これは哀しい現実ですが、憲法条文に書いてある、「平和を愛する世界の諸国民の公正と信義に委ね」という、現実とは真逆な状況下においては、仕方の無いことだと思います。





さらに最後に付け足すのならば、ある大国が自滅し、その結果、生き残るために略奪戦争をするのか、もしくは、その大国を他の大国や小国が援助して助けるのか、


私はそれが後者でなければ絶対にならないと、思っています。


この考えはまさに全体主義へと繋がる話なのですが、話が長くなってしまったので、その辺りはいつかまた、お話したいと思います。