マクロ脳とミクロ脳について | ひより

マクロ脳とミクロ脳について

はじめに私は、脳科学的マクロ脳、ミクロ脳とは関係なく、その人間の持ちうる視野、視点というものを基礎に、ここではそれらを分類した。


まず私の言うマクロ脳というのは一体、どういったものなのか。簡潔に言うのならば、多面的、多角的視野と論理性を持ち、それらを総合的に分析して判断する脳である。


当然、多角的、多面的な論理性は莫大な知識を要するし、何よりもそれを総合的に分析する卓越した知性を持ち合わせていなければならない。


そこを踏まえると、マクロ脳は相当なマイノリティーにならざるを得ないわけだが、少なからず、私のようにそういった本物のマクロ脳の持ち主を前に、そこに共鳴することさえできれば、その人間はミクロ脳ではない、とは言えるのだろう。



その対局にあるミクロ脳は、物事をある側面のみで判断したり、その側面の論理性のみでそれが正しいと判断する脳である。




このミクロ脳は、その一面においては正論である場合があることも否めないが、同時に、大局的観点からはそれがイコールしない、所謂、合成の誤謬であることが往々にしてあると私は常々指摘している。



実はこれがミクロ脳の一番の特徴とも言えるのだが、その前提において、例えその論理性が覆されたとしても、一切のマクロ的観点を持たないというのが根本的ミクロ脳の大きな特徴であり問題点だ。



これらのミクロ脳は主にその個人の精神が軸となり、恐怖や不安又は教育や環境に大きく左右され、その時々の個人の精神によって思い込みというものが強く作用し、より排他的思考へと自らを追いやってしまうのだ。



言い換えるとミクロ脳は内向きへの発信であり、それらを共有する仲間を求め、慰め、自己の正当化に努めるのである。


例を出せば、宗教など、自分の考えに絶対的自信(確実な論理性)が欠如しているということを意識、無意識に関わらず、自ら悟り、その不安を共通する他者との集合と共鳴によって払拭し、正当化ているわけだ。



またミクロ脳というのは生活と直結しているというのも大きい。隣のスーパーの方がサンマが安かっただとか、上司との関係がうまく行かないだとか、私たちが日々直面する問題のほとんどがミクロレベルでの出来事ばかりだ。



それだけに多くの人たちが、ミクロ脳だけに特化して発達し、マクロ脳が育たない環境にあることは間違いない。


こうしたミクロ脳の人間が多数派を占めれば占めるほど、私は国家というものが不安定化すると考えている。昨今の選挙動勢、政治情勢などを踏まえると、それは明白だろう。



そういった流れに歯止めを掛ける事は、歴史上不可能であるという思いもあるが、少しでもそういったマクロ脳的な(又はそれに付随した)人たちが今後、我が国で育っていってもらいたいと思う。