アメリカンコンプレックス
題名が友人のヒゲさんのブログタイトルですが、それはたまたま。
今日は戦後の日本人が根本的に抱えるコンプレックスについてのお話。
コンプレックスってそもそも何か?という人もいるので、ここで簡単に説明。
コンプレックスは大きく分けて、潜在的コンプレックスと意識的コンプレックス
ユングとフロイトの違いとでも言いましょうか、無意識下で自分の意識下には置けないコンプレックスが潜在的コンプレックスで、あるレベル(診療などで)で意識下に置く事ができるのが、意識的コンプレックスです。
さてさて、この国は戦後、どちらのコンプレックスを欧米(とくにアメリカ)に対して抱いてきたでしょうか?
実は、両方を抱いてきたのです。
まずは意識下に置けるコンプレックスですが、これは戦後間もない世代に多く見られます。
アメリカに敗戦し、それによって諦念と自信喪失があったのです。そしてその世代達が、まさに、その後の世代に、潜在的アメリカンコンプレックスを植え付けてしまったとも言えます。
その代表的なものが、英語教育でしょうか。
本来、祖国をに自信と誇りがあるのならば、まずは母国語を重視するでしょう。(我が国の民族性、文化、歴史などもです)
しかしながら、それらを軽視し(日教組は歴史をねつ造までして)、ただアメリカ様々な文化や歴史、言語(英語教育)を自ら推奨してきたのです(幼児期における英語教育など、その最たるものかもしれません)
あくまで英語とは、手段でしかありません。それを伝える目的なくしては意味がないのです。
しかし、その潜在的コンプレックスに陥った人々に、いくらその説明をしても聞く耳を持ちません。
潜在的コンプレックスは決して表面化するものではないからです。
また、経済を見てみても同じ事が言えます。アメリカ的な新自由主義が世界を席巻する中、我が国もそこに追従するかのような、規制緩和や構造改革、小さな政府などといった、新自由主義推進政策が行われようとしています。
本来ならば、我が国は独自の「瑞穂の国の資本主義」を目指すべきであるのにも関わらず、
そこに自信がもてず、アメリカ追従(隷属)の道を歩もうとしているわけです。
また文化もどうでしょうか?
アメリカ的捨てる文化が横行し、ニトリやIKEAと言った安かれ悪かれに人々が群がります。
良い物を長く使うだとか、修理しながら使っていくだとか、そういった文化が失い、
また華道、茶道など、礼儀や品を重んじるといったことも希薄になりつつ在ります。
さらに、家族はどうでしょうか?
地域社会や大家族は崩壊し、核家族、さらには共働き、片親と、家族がどんどんばらばらになっています。
そして私は、これらの根底にあるものこそ、潜在的アメリカンコンプレックスであると思うのです。
グローバリズム、グローバルスタンダード、新自由主義、市場原理主義、個人主義、拝金主義・・・・・
潜在的アメリカンコンプレックスは、これらを崇拝し、我が国の在るべき姿を飲みこんでいます。
残念ながら、それを変えることは限りなく不可能に近いでしょう。なぜならば意識下にそれが置かれないからです。
しかし、そういったものが我が国の国民の根底にはあるのだという認識は、少なからずできると思うのです。
そして、それらが少しづつ、それこそ何世代かに渡って意識レベルに昇華させることが、潜在的アメリカンコンプレックスから脱却する唯一の方法だと思うのです。
そして、それが出来たとき、我々は真の独立国として、戦後レジュームの脱却を成し遂げる事ができるでしょう。