美意識について | ひより

美意識について



「美意識について」

 基本的に美意識は大きく分けて三通りあると私は考えている。


 一つ目は人間の性に帰属する美意識であり、もう一つは種の根幹に帰属する美意識、そして最後は内的な自意識に帰属する美意識である。

 
まず性に帰属する美意識とは何か。

 
これは生理的現象の一種とも言い換えられるが、人間が持つ本能の最高峰の一つとして、子孫を残すという大いなる目的があり、その目的達成のために必要なツールとしての美意識である。


 例えば美意識が欠如した異性に、性的な欲望、欲求は強まるだろうか。

 
もちろんある一定度の容姿があれば、美意識に関係なく、異性に好意をもたれる事はあるだろうし、性格や地位、名誉、知性など様々な要素が美意識の欠如を相殺する場合もある。それでも人間は、より良い異性を手に入れたいという欲求を持つものであり、その手段として美意識は外せない要素であることは間違いない。


 しかし、その性に帰属した美意識の賞味期限は、あくまで子孫を残す又はその相手を獲得するいう目的にのみ有効であって、目的達成後には明らかな減退へと繋がるものである。

(例外的に、離婚や死別、またはそういった要因がなくとも、性的欲求によってそれが継続するケースもある。又、男性の場合は生理学的に目的達成後はさらに違う異性へとその目的を変えて行く性質を持っていることもあり、継続性がある場合もある)


 この事から、本来は、性に帰属する美意識=美無意識と表現しなければならないかもしれない。また賞味期限がある以上、その美意識は普遍性を持たないとも言い換えられる。


 しかし、その性に帰属した美意識が無美意識なのか、はたまた本質的美意識なのかの区別を他者が認識することは極めて困難である。

 特にそれが容姿に携わるものに限定するならば、余計に困難を極めるだろう。それは異性を意識したものなのか、内的なものなのかの区分は本人すらも明確に区分けすることができないからである。


 ではその本質的美意識とは何かについて説明したいと思う。

 これは先に書いた種の根幹に帰属する美意識であり、個体差があるものの、全ての人類が潜在的に持ちうるものである。


 例えばとても美しい花や海や山を見たとき、人はその美しさに大なり小なり感銘を受けるだろう。また人類又は民族が継承してきた文化的財産、文化的美に対してもまた同類である。


 それらは年齢、性的なものとは一切関係性のない美意識であることはその対象物からしても明白であるわけで、人間(種)の根幹にある美意識であるということが説明つく。


 しかしこれもまた、完全なる意識内であるかと言われればそうではない。性に帰属する美意識同様に無美意識なのである。 

 ではこれらの無美意識が、なぜ美意識まで昇華するのだろうか。それはまさに人間の持つ欲求があってこそ成しえるものであるし、逆を言えば、その欲求が希薄であると、その美意識は無意識下に潜伏してしまいやすくなるのである。

 より美しいものを見たい、より美しいものを感じたい、その欲求が強ければ強いほど、それらは意識下に置かれ、それらを求めていくことができる。要するに、わざわざそこまで出向くという行為に繋がるのである。これは特に性的、生理的な目的を達した後に、表面化されやすく、また他の美意識が減退する、又はある一程度満たされていることで顕著化するものである。


 最後に内的な自意識に帰属する美意識についてであるが、これは自己愛と他人の意想に帰属する美意識の二種類あると言ってよいかもしれない。


 まず自己愛による美意識であるが、まさにこれは内的な欲求から発生する、自意識的美意識であり、その根幹部分が自己愛であることから、自我の欲求を美意識で満たそうとするものである。

 またその美意識は性的なものとの区別が非常に曖昧であるが、確かにその性質は異なるものである。なぜならばそもそもの目的が明らかに異なるからであり、生理的、性的に目的を達成した後でも、この美意識は急激に減退する事が稀で、また自己そのものだけが対象になるわけではなく、その所有物や周囲、生き方など様々な分野においてその美意識を発揮するものである。


 次に他人の意想からくる美意識であるが、これは内的な自意識と密接な関係性を持ちながらも、あくまで外に向けられた美意識である。

 しかし、その外的な美意識の根幹は言うまでもなく内的であり、己が他者(配偶者もまた他者)からどう見られているのか、ということを意識した上で発生する内的な自意識による美意識である。


 このように二つの美意識の根幹は同じ内的であっても、それは他者を介在させるか否かという意味で表層的には外的か、内的かに別れるのである。


 これは、その個人がもちうる資質が大きく左右し、また精神的な構造や知性とも深く関係があると言えるだろう。しかしながらその境目はやはり曖昧で明確な区別を付けることは本人でも困難なことであろう。



 ただそこに、確かに美意識が存在し、それを意識下に置ける事実は変わりないのである。

(もちろん、それを意識下に置くかどうか、また持つかどうか、といった点に関しては個体差がそれを左右する)

 
 このように、大きく分類した三つの美意識(無美意識も含め)を人間は持ちあわせ、それが時期、年齢、性差、個体差によってその強弱、有無が変わり、ある種の人間性を構成していくのである。
 


もちろん、これだけで説明のつかない美意識も確かに存在する。その代表的なものが年配の女性に見られる異性を対象とした美意識である。これは言い換えると後期の恋愛衝動によって齎される美意識と言えるかもしれない。



 この特殊な美意識には、性的なものに帰属する美意識の残像と、自己愛、他人の意想からなる美意識が大きく関わっているものの、どちらとも明確にそれらに当てはめることが出来ないという意味において、私は例外的扱いにしたわけだが、あえてそれを明確な区分として考えるのならば、私は孤独を恐れる依存性美意識と名付けるだろう。



 最後に、なぜ私がここまで美意識というテーマに固執するかについて一言だけ申し上げたい。
 



それは「美意識は、人類にしか保有しえない、人生を楽しむ重要なツール」であるからであると。