馬鹿の定義は難しい | ひより

馬鹿の定義は難しい


馬鹿!


バカ!


ばか!




日本語は面白い。かなかカタカナか漢字かでもバカの意味が変わってくる。




さらに良い馬鹿もあれば悪い馬鹿もあると思う。


例えば嫁さんのスカートをめくるのは良い馬鹿かもしれないが、他人のスカートをめくるのは悪い馬鹿。でもそれが小学生だったら良い馬鹿に分類されるかもしれない。



結局は笑って誤摩化せる(許される)か否かという問題もあるが、それが社会的にとなると話はややこしくなったりもする。



たとえばSNS。これは一見身内の間だけのバカのように思えて、公共(社会)全体に発信してしまっている。


冷凍庫の中に寝そべる行為も、身内の中では、笑って誤摩化せる馬鹿だったかもしれない、しかしそれがひとたび公共性を持ってしまえば、許されない馬鹿に形を変えてしまう。



著者も若かりし頃、それなりに悪い事をしてきたし、バカもしてきた。もちろん、今思えばそれらの行為は社会的に容認されるべきものではなかったと認識している。



しかしながら、それらを経験していることが、今現在、自分の糧になっていることもまた否めない事実なのである。


バカが出来ない大人にはなってはいけない、そう思うわけだ。



と同時に、先ほどの社会性、公共性というものも無視できない。大人になればなるほど、それは大きな問題になるからだ。


そういった意味では、今の子供達は非常に不幸であると思う。バカをやらなきゃいけない時期に、それが社会性(許されない場)と直接リンクしてしまうから。



もしも、それをやったら、まだ成熟していない未熟で小さな精神に巨大な波(社会)が襲いかかってしまうから。



その結果、彼らは極端に萎縮してしまうか、安全運転ばかりを心がけるようになるはずだ。



そして子供達は良い馬鹿ができない大人になってしまう。



そうなると世の中は、本物の馬鹿と、萎縮した、頭でっかちの大人を大量に産むことになってしまうだろう。


それが今後の成熟した社会のあり方として健全な方向なのか、という点において、私は非常に疑念を抱いている。



インターネットという社会と個人を直接繋げてしまう恐ろしい文明の利器の、「真の弊害」が、きっと、これからはっきりとわかる時代がくるだろう。