いまこそ、プリミティブ論
情報化社会において、欲しい情報はすぐに見つけ出すことができる一方、
そのリテラシーの弊害も多く、何が正しくて何が正しくないのか?
その見極めも非常に難しくなっているように思えます。
もちろん、多様性は歓迎しますが、それ事態の質の低下が著しく、素人(わたしもですが)が、あたかも正論のように語る世の中に対し、危険性も感じるわけです。
そこで私は常に最後は根源的な部分に立ち返る、そう決めています。
その根源的とは何か?と言いますと、人間としての本質とでも言い換えられましょうか、
自然が作り出した人間の普遍的価値とでも言いましょうか、
少なくとも表面的、衝動的感情に流されたものではのだと思うわけです。
現在、政治の右往左往をみていると、政治家が悪いと思われる方も多いと思いますが、その政治家を選んでいるのは我々国民であることは疑いの余地もないわけです。
では、なぜそんな政治家を選んでしまうのか?
それは一部の脆弱な情報を鵜呑みにし、それを信じ込んでしまうことで、自分は正論を言っていると思い込んでしまうわけです。
なにもこれは政治の話だけではなく、男女の関係、社会生活を送る上での問題なども同じようなことが起きているように思えるのです。
今日も朝の番組で不妊の話がありましたが、これも世の中があまりにも表面的すぎた結果の弊害ではないかと思うのです。
それは避妊の仕方を教えても、不妊は教えない。
女性の社会進出のメリットは教えても弊害は教えない。
男女の平等は訴えても性差の違いは訴えない。
ですから、私は今こそ、人々が根源的に立ち返り、本質的、普遍的思想を持ち、議論すべきだと思うわけです。