春という季節は、

気候的にはのんびり穏やかなようだが

実生活はあわただしいことが多い。

 

 

 

3月に別れ、

4月に出会い、

5月に仕事が嫌になる。

 

特に5月に関しては個人差があるのだろうが。

 

 

 

そう考えると、

春は環境の変化に振り回されやすい季節

ということになる。

 

 

 

 

(特に職場では)〇〇さんが抜けて△△さんに替わった、

席替えで今までとはちがう場所に座ることになった、

システムが新しくなって覚え直さないといけない、

1本早い電車に乗る必要が出てきた、といったような。

 

 

 

また、

いつも対応してもらっていた店員さんが異動になった、

何かを教えてもらう先生が替わった、

お隣さんが引っ越した、

など生活面での変化もある。

 

 

 

もちろん

自分が生活の場としているところが

誰かの職場であって、

それらは連動している。

 

 

 

 

 

 

 

「諸行無常」という言葉が思い浮かぶ頻度が

もっとも高いのが春だ。

春、といっても新暦のほうだが。

 

そして

諸行無常&春とくれば桜が思い浮かび、

桜が思い浮かぶと西行が思い浮かぶ。

 

これは連想ゲームのようなものだ。

あるいは

しりとり→りんご→ごりら→らっぱ

といったような。

 

 

 

 

 

 

花粉や黄砂の問題はありつつも、

やはり過ごしやすい気温であることは間違いない。

夏や冬のきびしさ、秋のさびしさと比べると

春の気温はおだやかで、なんとなく希望があるように感じる。

 

そんな季節に環境の変化がある。

それを繰り返してきた。

 

こういうと大変語弊があり、それを承知で文字にするのだが

日本人はやはり

何か障害を乗り越えることを

モチベーションとして(せざるを得ない)

生きてきた節があるのではないか。

 

だからこそ、

ぼーっとだけしていればいい季節がないのかもしれない

などと思う。

 

それは強さであり

ある意味ハングリー精神ともいえる。

 

 

 

 

欧米が多様性に関して障害が多い歴史を紡いできたのに対し

日本は環境に関する障害が非常に多いように感じる。

地震、火山、津波、険しい山が多い........

 

つまり

欧米において乗り越えるべき障害は、

対ひと(人種・民族・権力・あるいは個人)

であったのに対し

日本において乗り越えるべき障害は環境であった

という構図があるのかもしれない。

 

環境に敏感にならざるを得なかったからこそ、

虫の声を聞き分け

風の温度、湿度、強さで季節を感じとり

桜の開花状態を細かく分けたりするのだろう。

(八分咲き、九分咲き、満開と分けられるのはすごいと思う)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを、

穏やかに降る春雨の音を聞きながら考えていた。