「民度」という言葉を使っていた政治家がいた。

その人自身の民度はどうなんだろう?と

思うような発言が過去にもあったので、

その人に対しては「はいはい」くらいに思っていた。

 

自分の民度をわきまえずにそのような発言を

しすることのないよう、

人のふり見て我がふり直す、程度の

ことにしか思っていなかった。

 

しかし、最近「民度が低い」という言葉が

ふと頭に浮かんだので書こうと思う。

「さすがにこれは、、、、」って思うやつ。

 

あるお店での出来事です。

 

 

 

[出来事1]

コロナ禍で、飲食店の席の間隔が広くなっている。

テーブルや椅子を間引くか、

『ここには座らないように』という札が貼って

あったりする。

 

飲食店のつくりは、

最低限のスペースで造っているところが多いので、

間引いたテーブル・椅子を置くスペースがないお店は、

札を貼るという対策をしている。

 

あるお店は、

『この席は利用しないでください』と書かれた札を

(日本語&英語で書かれている)、

三角形にして椅子の上に貼り付けてあった。

 

その三角形にした札の上に、座るお客さんが

出現したのだ!!

※しかも一人じゃない。同じ人でもない。

毎日そういう人が何人も出現する。

 

札は、厚紙よりも厚く、硬さはダンボールくらい。

日本語を話しているので、多分日本語は読める。

やんわり注意すると「怒られた」と言う。

 

お客さんはあなただけじゃないし、

きちんと従ってくださっているお客さんを

守るためにやっています。

と言いたいところを、店員は抑えている。

 

被害者意識もいい加減にしてほしい。

何か言われたら言い訳するのが癖になっているのだろうか?

自分は何をやっても正しいとでも?

店員を悪者にすればいいとでも?

 

どうでもいいことだが、

「癖」という漢字に「やまいだれ」が

使われていることに妙に納得した。

 

 

 

 

[出来事2]

小さいお子さんがお店に来る。

マスクもせず、口周りはよだれでべたべた。

そのことに関して何も思わない。

小さい子にはマスクはしんどいし、よだれも出るだろう。

 

ただその状態で商品をさわるのはやめてくれ。

親は隣にいてその状況を見ているけれど

何も言わない。

子どもが転ばないか、とかそれだけを見ている。

 

店員はちらちら見る。

親とも何回か目が合う。

それでも親は何も言わないし何もしない。

 

たまりかねて店員が

「お子さんにケガなどあっても大変なので、

商品をさわるのはご遠慮いただけますか」と

親に声をかける。

 

親は店員にはなにも返答せず

「さわっちゃダメだってー」

と子どもに言う。

※ちなみに店の外は広場みたいになっていて

遊べるスペースはあります。

 

商品はおもちゃではない。

他の家の子どもがべたべたさわったものを

自分はお金を出して購入し、

贈答品としてつかうのだろうか。

 

自分がその店のオーナーだったら

同じことを子どもにさせるのだろうか。

 

悪いことは何でも人のせいにして、

こちらは悪くないという意識になるのは

小さい頃からこういう声かけをしているから

なのかもしれないと思った。

 

「子連れで迷惑な顔をされる」

という投稿が多いように思うけれど、

(もちろん、ただの子ども嫌いという理由で

そういう顔をする人がいるのは事実だけれど)、

なぜそういう顔をされているのか考えてほしい。

自分に非はないのか?

嫌な顔をされているのは、

子どもではなく親のほうではないのか?

 

「人がこう言うから」という思考になると、

「人に言われなければいい」とか

「何か言ってくる人が悪い」とか思ってしまうようになる。

それは受け身な行動だと思う。

人の気持ちを自分で考えることがなくなる。

それはとても悲しいことだし、

社会で生きていく上でわりと致命的になるのでは

ないかと思っている。

 

ちなみに、

子どもがさわった商品はすべて

店員がアルコールできれいにふいていた。