『泣いた赤おに』という絵本がある。

浜田廣介さんの、大変有名な絵本だ。

 

ただ、私はこのお話を、

どうやって知ったのか覚えていない。

絵本が家にあった記憶がないのだ。

だから、お話は知っているが

絵のイメージがない。

 

※私は本が大好きな子どもだったため、

家中の本を読みあさり、

学校の図書館で毎日本を借り

(1回に1冊しか借りられなかった)、

それでも足りなくて

母の主婦雑誌や料理本まで読んで、

それでも足りずに、

週に1度図書館に連れて行ってもらっていた。

読んだ本の内容はすべて覚えているので、

この本が家にあったけれど忘れた、という

ことはないと思う。

 

 

 

 

藤城清治さんの影絵を、

見に連れて行ってもらったことがある。

たぶん小学校の高学年になっていたと思う。

いくつかのお話を、影絵で見せてくれるショーだった。

その中の一つに、このお話もあった。

 

その時に、気づいた。

このお話のどこで涙が出るかと考えると、

多くの人は最後のシーンらしい。

青おにが、赤おにのためを思って

自ら姿を消すところ。

 

しかし、そのショーを見た中で

一番苦しい気持ちになって涙がでたのは、

赤おにが村人たちと仲良くなろうとして

お茶やお菓子を用意して待っていたけれど、

誰一人来てくれなかったところ、だった。

 

 

 

それはどういうことか、考えてみた。

最後のシーンは友情、

私が苦しく思ったシーンは、偏見を描いている。

私の涙は感動の涙ではなく、

きっと悔し涙なのだと気づいた。

あるいは共感の。

 

人のことを考えて行動したけれど、

それが報われなかったとき。

本当は違うのに、何かを自分のせいにされたり

誤解されてひどいことを言われたとき。

そういうのに当てはまる、あれこれを

思い出して共感するんだろうな、と思う。

 

 

 

大学生のとき、

道徳教育論の指導案を作成する機会があった。

私はこのお話を使い、メインテーマを偏見に設定して

指導案を書いた。

指導案を書くこと自体は好きではないが、

このときは熱心に書いた。

 

 

 

熱心に書いたものが「優」をもらえて、

自分の気持ちと気づきが報われた気がした。