帰郷すると
以前そこに住んでいたときは全然使っていなかったバスをよく使う

前は自転車でどこまでも行ったもんだが

バスやら電車やらで移動しなくちゃいけなくなった

自転車がもうないもんで

そうすると、とても不便で
バスに乗るときなんかは
細かいお金がないと
停車中なんかに両替をしなくちゃならんから
面倒
さらに
おばあちゃんちの方なんか行けば
一日多くて10本しかないもんだから
行きづらいことこの上なし

都会のバスは
電車と同じくらいに
本数もたくさんあって便利だけど

SuicaやPASMOがなかったら、
やっぱり小銭がないといけないからやだなぁ

と今まで思っていたのに
今日バスに乗ってみて
小銭をいれて
両替したやつを
硬貨入れに入れたら


と驚く運転手さん


次に停車したとき返しますから

と運転手さん

手元の金を確認すると



これは両替機じゃないのか!
これでお金が払えるのか!
と感動

でも、雪でバスはとても混んでいて
次に停車したときはまた人がたくさん来て
運転手さんはそれどころじゃなく

結局返されないまま
帰ったけどねー。

いやー
でも感動した

今まで
小銭ないから今日はバスやめようって思ってバス使わなかったのに!awawawa

今度からは
使おう
村上春樹の
ノルウェイの森
を読んだのは高校生のときだった

校外活動で知り合った友人が
村上春樹が大好きで
勧められて読んでみたのだ

そこに
見知った名前の登場人物が出てきてから
私はあの人に会いたかった

私が中学時代にお世話になった国語の先生と
作中の登場人物の名前がまったく同じだったのだ

それを読んだのが高校生のときだったため
先生に
この作品知ってます!?
という話は出来なかった

一生出来ないと思っていた

でも、もしも会う機会があれば
絶対に言おうと思っていた

昨日
同窓会にその先生が来た

なんと気持ちが高まったことか

さっそく話しかけに行って
その話をした

もうそれで満足だった

同窓会で
私たちと先生たちは久しぶりに再会することになるから
今はどうしてるのという話が絶対にでる
将来の話なども

その先生に
何になるんだい
と聞かれたとき
胸をはって答えた

すごい人です

みんなが笑う中で
先生がすぐに納得したようにうなづいたのが妙にうれしかった

それ以外
何も将来のことを語らない私に
なんかいろいろ企んでるんだろ
と見透かしたような発言も
うれしくてうれしくて仕方なかった

はいたくらんでます
いろいろと
どれが実るかはわかりませんが

そう思いながら
将来楽しみにしててください

そんなふうに胸はって言ったんだから
こりゃあ頑張らないと

きっと今回の成人式やら同窓会
いい刺激になったでしょう

がんばろー。

しかし
同窓会ではその彼女のもとを離れて
たくさんの人と話が出来た

人と接することからはたくさんのことが学べる
人と接することが一番効率のよい勉強方法だと今の段階で考えている私としては
本来すばらしいこと

中学校でお世話になった先生もいらっしゃっていて
それは絶好のチャンスだった

しかし
あまり親しくなかった人たちと話すたびに
ほぼ確立した私のアイデンティティが崩壊していくような気がしてならなかった

昔と同じように接することを心がけた私は
どんどん昔のつまらなくて気持ち悪い私に戻っていくかのようだった

二次会で
彼女に気を使う私は
まるでそのようで
私は今それを振り返り
とてつもない絶望感を味わっている

私はいったい何が成長したろうと
今はまるで自分の確固とした意志のもと
道を進んでいるように思うのに
これもまた大学という環境に流されているだけなのではないか
という疑問である

尊敬していた先生と話したときには
私はいきいきと自分の夢を語ったが
それ以外は……

しかしよく考えてみれば
やはり中学生のときとまったく同じ対応を
たくさんの人たちに向けていたかというと
そうではないかもしれない

私は確かに今の私をもって
彼ら彼女らと向き合っていたかもしれない

私は
今私が好き好んで選んだ環境ばかりに身をおいている

昔の人々が集まる場所
それは私があまり好まない場所

たまにはそういうところに身を置くのも
新しい自分発見につながるかもしれない

今年は
1年2年の経験を生かし、チャレンジする年にしたい
1年2年を振り返るついでに
昔の自分も振り返ってみようか

実際にやるかどうかわからないことを
考えてみたりした

私は小学校中学校の記憶をだいたいなくしている

それは
嫌なことがあったから忘れてしまった

というより

嫌なことがあったからあえて思い出さないようにした結果であり

それは私の長年の努力の結晶だった

もちろん
忘れ去られた記憶の中の自分でさえも
今の自分を支えている

それは重々承知だが
その時代の私の生き方は
私にとって大失敗であり
今の生き方とその頃の生き方はまったく違う

だから
忘れたかった

私が嫌う気持ち悪い世界の中に
当然のごとく私がいれば
嫌うのも仕方がないのでは?
と思う

さて
そうやって忘れていた記憶の中
私が嫌った友人がいた

私は彼女と喧嘩別れをしたわけではないが
もう一生付き合いたくないという気持ちで
中学校を卒業したのだ

当然
彼女の顔も名前も
私はつい1ヶ月ほど前までは忘れていた

しかし、今もまだ交流のある幼なじみが
最近彼女と仲良くしはじめたのをきっかけに
彼女の顔も名前も
気持ち悪い記憶も思い出してしまったのだ

そして成人式にいってみれば
幼なじみたちと合流すると
そのなかに彼女がいたのだ

私は自分で
他人に合わせるのが得意だと思っている

厳密には合わせるというよりも
他人が求める、他人が満足する自分を引き出すことが得意だと思っている

だから
私とは話しやすいね
とかいう人はたくさんいるし

私は相手を特別と思っていなくても
相手が私を特別だと思っているということがたくさんある

久しぶりに会った彼女もそうで
満月満月とは話しやすいと言われ

今日はたくさん付き合わされることになってしまった

私は彼女を
私の人生において
今後新しい刺激を与えられないだろうという人として認定しており
故に付き合いもいらないだろうと考えていた

しかし
私と彼女は今日一日で
表面上仲良くなってしまった

これから付き合っていくことになるだろう

そのまま付き合いを続けるか
どうするか

それをこれから考えていかねばならない

昨日成人式に行ってきた

最初は行くつもりのなかった成人式に行くことにしたのは
友人二名くらいが
来てよと言ったからだ

長期休暇も
あまり長い間帰郷はしない私は
会いたい友人と会う機会があまりない

せっかくの機会だから

急遽行くことに決めた。

12月頃のことである

もう間近というときに決めたので
振り袖は着ないことにした

もともと
そういうものは着たくない主義で

今日振り袖を着ている友人たちを見ても
きれいだなとは思えど
着たいなとは思わなかった

一生に一度だから
という人はいる

しかし
一生に一度は毎日のことだ

その一生に一度を
自分のしたいように過ごす

それは必ずしも
伝統に沿ったことではないだろう

伝統を嫌うわけではない

これからも、この文化は受け継がれていくべきだと思う

しかし、私はいつも
引き継ぐ身として構えていたいわけではないということだ

問題なのは振り袖ではなかった

私は成人式を楽しみにしていた

きれいな友人の振り袖姿を見たい
仲のよい友人と久しぶりに再会したい

そういった思いで参加したはずだった

誤算はあまりにも多かった
成人式に行く前に
私は今までの人生をもっといろんな視点で見つめるべきだったのだ