①「SF」分野においては、タイムパラドックスの最も有名な例に、


「親殺しのパラドックス」と呼ばれるものがあります。




過去へ遡った時間旅行者が自分の誕生前の両親を殺害した場合、

両親は自分を生む前に死亡するので自分は「生まれていなかった」ことになるが、

自分が生まれていないならば両親が死亡する理由がそもそもなくなる…と言う矛盾。







②「哲学」の分野においては、砂山のパラドックス という有名な例がある。




砂山から砂粒を個々に除去していくことを想定する。ここで、次のような前提から論証を構築する。

「砂山は膨大な数の砂粒からできている」(前提1)




「砂山から一粒の砂を取り除いても、それは依然として砂山のままである」(前提2)




前提2 を繰り返し適用したとき(つまり、毎回砂山の砂粒数は徐々に減っていく)、


最終的に砂山の砂粒が一粒だけになる。




前提2 が真であるなら、この状態も「砂山」だが、前提1 が真だとすれば、このような状態は「砂山」ではない。これが矛盾。









・次に、ハゲ頭のパラドックスの例も。

「髪の毛が一本もない人はハゲである」(前提1)

「ハゲの人に髪の毛を一本足してもハゲである」(前提2)

ここで前提1 に前提2 を繰り返し適用していく(つまりツルッパゲの人に髪の毛を一本ずつ足していく)。


そして次の結論を得る。

「よって全ての人はハゲである」(結論)








・テセウスの船(英: Ship of Theseus)はパラドックスの1つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。

ある物体(オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じであると言えるのか、


という問題である。

プルタルコスは、全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問を


投げかけている。

また、ここから派生する問題として、置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、


どちらがテセウスの船なのか、という疑問が生じる。








・ロックの靴下

ジョン・ロックは好きな靴下に穴が空いたら、という話を挙げている。

彼は、その靴下に継ぎを当てた場合でも、同じ靴下と言えるかどうかを熟考した。

もし同じなら、さらに穴が空いて、別の継ぎを当てたらどうだろうか?

そのように継ぎを当てていって、最終的に元の材質がまったくない状態になっても同じ靴下といえるだろうか?







③「自己言及パラドックス」の分野においては、




・張り紙禁止のパラドックス:「この壁に張り紙をしてはならない」という張り紙は許容されるか。




・床屋のパラドックス:ある村の床屋は自分で髭を剃らない村人全員の髭だけを剃ることになっている。そ


れではこの床屋自身の髭は誰が剃るのか。




・例外のパラドックス:「例外のない規則はない」という規則に例外はあるか。


(例外があると仮定しても、無いと仮定しても自己矛盾する)がある。







過去に、上記の事柄を挙げて、思考に時間を費やしてきた多くの人々が居る。


その面白さを知り、普段アンテナを張ってみると、こうやって何気なく送る日常生活にも、


様々なパラドックスがある。









例えば、明らかに集団的合意を無視した、「背の高い人が好きなんだよね~」発言に対して。





以下↓




「背の高い人が好きって言ってるけど何センチの人があなたの高いって範囲に分類されるの?

明確な言葉は、その言葉の使用が妥当かどうかを他人が納得できる機構を持っているの。

あなたの言った{背の高い人が好き}っていう曖昧な言葉はそのような機構を持たない。


あなたが身長2メートルの男の背が低いと思ってるかも。

そしたら、あなたはプロのバスケットボール選手を基準としているのかもしれないでしょ?

曖昧な言葉は合意が形成されている場合には便利だけど、その範囲外の使い方をすると


混乱を生じさせるのよ!

あなたの高いって言う基準が、わたしの基準と違うのよ!わたしは大いに混乱してるの!


どうしてくれるのーーーー!?」







…頭の中で思っておくから、人間同士うまくいく事も沢山ありますよね。








そして、昨夜ついに彼に
















理屈っぽいとこあるよね。












言われてしまいました。






日々、こんなこと考えていたら、理屈っぽくもなりますよね(汗)








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