こんにちは!
25willawsで主将を務めさせて頂きました、4年mfのれあと申します。
まず初めに、平素より名古屋大学女子ラクロス部を支援してくださる皆様、いつも本当にありがとうございます。
今年こそ東海制覇という形で恩返しをしたいと思って走ってきた25willawsでしたが、勝つところをお見せすることができず、申し訳ないです。それでも、final4で一緒に喜べて嬉しかった、final感動したという温かい声をたくさん頂いて、嬉しさも感じました。
25willawsをたくさん応援してくださり、本当にありがとうございました。引き続き、26willawsの応援も宜しくお願い致します。
とうとう引退ブログを書く時がきてしまいました。この4年間、willawsのブログはもちろん、他大学のブログも読んで、励まされたり喝を入れられたりしてきました。微力でも、読んでくださる誰かの力になれたら嬉しいです。
きっとこのブログくらいしか自分の4年間を振り返る機会はないので、長くなる予感しかしませんが、4年間を振り返ろうと思います。最後なので素直な気持ちを書こうと思います。
1年生。
こことZoom新歓で出会って、何回か一緒に新歓に行ったけど、私がアルティメットと迷っている間にここは先に入ってた。(新歓で会った時入ったよーと事後報告された)
らいさんになごみと双子でききららとかどう?とコートネームを提案してもらったり
新歓終わりにめあさんにシュー練1時間くらいやってもらったり(思い出せば新歓の時からシュー練してた笑)
ナイターでおちこさんにランシューを教えてもらったり(早すぎる)
さりさんと腕を組んでダウンのジョグを走ったりしました(偉大な4年生にそんな絡み方をしてすみませんでした、入部後に気づいて震え上がりました😇、さりさんが優しくてよかったです👼)
アルティメットと本気で悩んだ末、先輩たちの熱さを感じて、入部式直前に女ラクに入った。なかなか入らない私を最後の最後まで勧誘し続けてくださった先輩方には感謝しかありません。ありがとうございました。
高校までやってきた陸上に、楽しい練習というものはほぼ存在しなかった。走るのは好きだけど、常に練習は自分を追い込むものだった。だから、ラクロス部に入って、練習が楽しいというのは新感覚だった。(もちろん手を抜いてたとかでは決してないです笑)
私の知ってるwillawsは、既に強かった。
いつかのブログにも書いたけど、1年生の時に見た開幕戦とFinalは、未だに鮮明に覚えている。
開幕戦とは何なのかイマイチわからないまま、大きい会場で試合するんだなぁ、勝つのかなぁってふわふわと行って、ガツンと衝撃を受けた。あの日、こんなプレーあるのか、こんなに熱い試合あるのかって、憧れと熱狂を感じた。そらさんのブザービートの同点フリショには、スタンドで飛びはねて喜んだ。
開幕戦以降のリーグは、負ける流れとか1ミリもなくてほぼダブルスコアゲーム、27点取ってる試合もあったし、final4ですら圧勝だった。
そして、Final。
4点ビハインドで4Qを迎えた。そこから1点ずつ点差を詰めていく先輩達がかっこよすぎた。そして同点に追いついた。生まれて初めて見たサドンは、見てるだけで息が止まりそうだった。
でも、歴代最強と言われた先輩達が負けた。信じられなかった。
4年間私のyoutubeは22willawsにログインしたままだったし、ずっと見返す試合でした。
伝説となる試合を2試合も残してくださってありがとうございます。
自分のプレーは普通か普通以下だった。キープがびっくりするくらいできなかった。3歩走れば落とす、止まれば落とす、曲がれば落とす、みたいな笑
キープできればB練参加できるから!って何回も育成の先輩から励まされた。
サマーではキープできない私の後ろをてぃーが走ってくれて点を決めてくれた笑
多分私を見かねて(笑)、育成がキープ強化週間とかいうのをつくってくれて、おちこさんにマンツーマンでひたすらクレードルを教えてもらった。ダッチとかかける前にキープミスして終わっていたワンワンが、ちゃんとワンワンとして成り立つようになった。急に抜けるようになった。急成長。B練参加に名前があった。そこからは2部練もずーっと行き続けた。
2年生では、れあはパスは出せなさそうだけど、変なとこでキープしても落とさない(褒められてはいない😇)とコーチさんに言われるくらいにはキープできるようになった。おちこさんがいなかったら私のラクロス人生は成り立っていません、、、本当に感謝でいっぱいです。
新人戦は、ラントレしすぎてみんなシンスプだったことと、準決勝で南山に負けてたこと、勝ちたかったとすずさんの前で大泣きしたこと、あとは3位だったことくらいしか覚えてない。
2年生。
とあさんとりほさんにいっぱいラクロスを教えてもらった1年。
とあさんに、2年生だけどこれからのために、B幹部やらない?って声をかけてもらって、B幹部をやった。
あとは、フィジカル班にも入った。フィジカルは、キツいメニューたくさん考えてやってたけど(400mのインターバルのあとにダッシュしてフットワークやるとかいう鬼メニュー。笑)
出したからには自分たちがいちばん走らないと誰も本気でやってくれないから、らんさんと毎回一番になるように本気で走った。
ユース活動も始まった。
このときからあんまりなりたい選手像変わってないなぁ。
この年、シュー練をやるようになった。りほさんはマジシャンみたいにシュートがうまかった。下しか決められなかったけど、りほさんのおかげで上も打てるようになった。
リーグ初戦@長良川メドウ。ここが点を決めた。私はスタンドで見てた。喜んだけど、すごく悔しかった。スタンドから見るだけの試合は最後にするって1人で誓った。
2戦目。中京戦。
Aじゃなかったけど、初めてベンチメンバーに選んでもらった。素直に嬉しかった。
あやさんとありまさんに、この中の誰よりも足速いから大丈夫って応援(?)励まし(?)笑をされて、コートに立った。
ドロー周りで入った。せらさんのドローのスカイボールとって、走った。ドロブレで点を決めた。嬉しかった。
あとからビデオみたら、Bで一緒に頑張ってる先輩たちや同期の声や叫び(笑)がめっちゃ入ってて、ものすごく嬉しかった。
ワンプレーだけじゃなくて、それなりの時間出してもらった。できることはやった(できたとは言ってない笑)。クリア早く切り替えてパスを出してもらうも開くの早すぎて取れずこける、、、寄ったらパスを出すができておちこさんのアシストをするもインクリで無効、、、🥺
この初ベンチ、初出場の試合で点が決めれたことが私のラクロス人生を結構変えた気がする。
開幕戦。ベンチメンバーに名前があった。港での初めてのビックゲーム。
たしか2Qの終わり際。あやさんにドロー取ってブレイクって指示をもらって、ドロー周りで試合に出た。でも、何もできなかった。
初戦で誓ったとおり、2戦目以降は全部ベンチメンバーだった。試合にもちょっとずつだけ出してもらった。でも、ずっとAにいられるような実力はなくてたまに呼ばれるくらい。人数が減る夏のB練は大変だったような気もするけど、たくさん練習できて楽しかったような気もする。Aにあがりたくて必死だった。あるOGさんに言ってもらった、「あんまり入れないAにいるより、Bでちゃんとボール触って基礎とかワンワンとか磨くことが来年以降にも繋がる、意味があるって考えればいい」っていう言葉を思い出して、腐らず頑張れた。
Final4。南山グラウンドで、急に、23ウィローズは終わってしまった。ベンチで声を出すことしかできなかった。大好きだった20世代が引退してしまって、とにかく寂しかった。
スタメンが草引きをしてくれた土グラが田んぼかと思うくらい土砂降りだった東海Bリーグや、捻挫をテーピングでどうにかして頑張った全学Bリーグ、たくさん出してもらってすごく楽しかった。
3年生。
副将兼mfサブリーダーになった。実力はなかった。4年幹部、特にせらさんにはたくさん迷惑も負担もかけてしまった。
Aサブは一旦みんなBでやってほしいと言われたこともあった。幹部なのにBにいた時もあった。
幹部でmfサブリーダーで、技術で引っ張らなきゃいけないのに、何してるんだろうと思った。周りにどう思われてるんだろうって怖かった。
この時期だけは部活に本当に行きたくないと思った。でもBで上手くなれるだけならなきゃと思ったし、声は出さなきゃいけないと思っていた。名大練には行きたくないけど、うまくなりたくて武者に逃げた日もあった。ごめんなさい。
4年生は上を目指して頑張っているのに、どういう気持ちでいるの、練習してるの?ってあやさんにここれお達と呼び出されたこともあった。
壁に行っても行っても、うまくならない気がした。
(1つ下との試合だから当たり前すぎるけど)ユースで得点をたくさん決めても、評価されてない気分になったこともあった。
でも、全部ただの努力不足だったし、覚悟も意識も何もかも足りてなかった。ごめんなさい。
すずさんとせらさんがナイターで話しかけてくれた日、大号泣した。B練でも幹部だからちゃんと声ださないと、早くうまくならないとって苦しかった。「れあの打破」っていうライングループをつくってもらって、たくさん反省を送ってfbをもらった。見捨てずに育ててくれて、本当にありがとうございました。
そのあとのでらうまは、自分の評価を取り返す日だと思っていた。自分がドロー周り、ドロワーになったときにドロー取得率をあげられたことであやさんにいいじゃんって言ってもらえた。
リーグ期直前にやった愛教との練習試合は大差で負けた。私は4Q最後まででれなくて、出してほしすぎてうずうずしてた。れんさんからクリアもらってブレイクして1点決めた。
そして迎えたリーグ。
暑さで延期になった初戦ではたしか3点くらい決めた。Aサブの得点力を評価されて、嬉しかった。
妹のさんと、孫のうのと3人でベンチに入れたことがすごく嬉しかった。
ぺじゅさんとここがいない中で戦った淑徳戦、ホームで戦った金城戦、ベンチメンバー全員大活躍の岐阜戦。
南山戦は、1点差で負けた。
リーグ最終戦、vs愛教。
同点で迎えた4Q残り数分。ドローは取られたけどいいライドができた。結果的にミスを誘えて、名大ポゼッションになった。なのに繋いでもらったクリアをキャッチミスした。ブレイクで点を決める予定だったのに、グラボも取れず相手ボール。流れを渡してしまった。そして試合は引き分けて、名大はリーグ予選3位通過。更にぺじゅさんは、イエローレッドでFinal4に出られないことが決まった。
試合に引き分けたのは自分のせいだと思って、チームにも観客にも合わせる顔がなくて、そそくさと帰って壁に行った。次の日も1人山の上で練習した。
私ととみーさんが役割分担して、ぺじゅさんの抜けた穴を埋めることになった。この1ヶ月は死ぬ気でラクロスした。3枚目で出る私がうまくならないとチームが負けることはわかっていた。やらなきゃ、っていう気持ちでいっぱいだった。
9時くらいから図書館でmtgして、12:30にはビフォーが始まって練習して、B練18時くらいまで参加して、そんな毎日だった。
コートがなくなったりもした。グラウンド確保に奔走した。
東海Bリーグの日は、3時間くらい全面を使った想定練をして、Bリーグ予選にも半分くらいでて、淑徳との決勝はほぼフルででてヘトヘトだった。
新茶での練習は6on6、20本とかやった。
2024/10/12。Final4vs南山。
4Qビハインドでも、ひっくりかえせると信じていたし、その勢いがあった。想定練でやった通りにボールダウンさせることができて、目の前でせらさんがグラボしてボールをかっさらっていった。本当に強い人だと思った。
でも、1点差のまま笛がなった。観客席に頭を下げるしかなかった。
届かなかった。関東打破を掲げていたのに、大井の青いピッチはおろか、瑞穂にも立てず、愛教のグラウンドで24willawsは終わってしまった。4年生を引退させてしまった。
応援席にいたぺじゅさんは、ありがとうって言ってくれた。ありがとうと言われるのが苦しかった。むしろ怒られたかった。何もできなかったから。
Final4の数日後、熱田でFinalを控える愛教との合同練。せらさんが反省の輪から外れて涙を流しているのを見た。泣かせてしまった、申し訳なかった、やりきれない思いでいっぱいだった。もう一緒にラクロスできないんだと改めて知って、悲しかった。
お前らの代のせいで負けたんだ、4年生はよくやった。来年に期待はできない、私たちより下の代で勝てるようにしたほうが良いんじゃないかってFinal4のあと言われたこともあった。
でも、来年東海制覇してねって期待してくれる人がいた。捨ての世代なんかじゃない、私は信じてるよって言ってくれる人がいた。
特に強いわけじゃなかった私たちの代だからこそ、東海制覇することが、ずっと強い名大の証明の一つになるってこの時から思ってやってきた。
お姉ちゃんのめあさんの#34
いちごさんの#15
せらさんの#36
すずさんの#96
4枚のメッジをもらった。私に託してくれたみたいで、嬉しさと同時に責任の重さを感じた。4枚を回して着て、今日はドローが取れそうとか、今日は薄い角度でもシュートが決まるはずとか、毎日力をもらえる気がした。
24締めミでもらった手紙は今年何回も読み返した。自分を奮い立たせなきゃいけないときにたくさん読んだ。
25始動。
正直、誰もが大丈夫か?って思ってたと思う。
理念とはそもそも何か、どういうチームを目指すのか、幹部体制、コーチさん、練習頻度、正解が1つに決まっていない議題について、たくさん、たくさん話し合った。
始動後2.3ヶ月までは、細かいことは正直あんまり覚えていないけど、苦しかった。
新人戦で久しぶりにあやさんとりほさんに会った日、大号泣した。
こんな大人数の、更に歴史ある部活だから、一つのことを決めても一回で全員に納得してもらえる訳じゃない。その選択じゃない方がいいんじゃないか、なんでそうなるんだ、ってまとまらないことも、反感を買うこともたくさんあった。
それでも、自分たちがした選択に責任を持って進むしかなかった。選択を正解だったことにするためには、勝って結果を出さなきゃいけないことは分かっていた。
勝ちたい、勝つためならなんだってするっていうのは、こことれおと同じだったから、問題は山積みだったけど、目標に対してはブレることなく、なんとかやってこれた気がする。
1年生が大半で、去年コートに立っていたメンバーは極わずかというチームが勝つためには、上が圧倒的に上手くなることと、育てることを両立する必要があった。
圧倒的に上手くなるために、外に自分を試しに行こうと思った。冬期間、週1回は武者に行くって決めていた。青学に乗り込んだこともあったし、誰かを誘って南山淑徳…色々行った。2月には幹部だけ1週間弱、関東武者をしたこともあった。
基礎から見直した。パスフォームを改善しようとボール投げをしたり、クレードルの無駄を減らそうと1年生みたいな練習をした。
ワンパターンじゃない1on1を取得しようと、あえて接点を持たれてから始めてみたりもした。ドローについて考え直そうと他大学のドロワーのOGさんと夜中までZoomで話したりもした。自分のプレーにたくさん時間をかけた。
2月18日。
きゅうさんが久しぶりに帰国して練習に来てくれた日。多目的でのB練入ったあとの、A練のワンワン。滑って膝を捻った。痛すぎて、立ち上がれなかった。足を地面につこうとすると膝がグラグラすぎて地面につけなくて、そのままはちやにタクシーで行った。誕生日なのに、さいが一緒についてきてくれた。
右膝前十字断裂、半月板損傷。
診断結果を聞いても泣けなかった。冷静に、手術のことを聞いている自分がいた。でも、どう考えてもリーグには間に合わない。考えられなかった。
きゅうさんと電話して、ここれおにラインして。心配してラインしてきてくれた同期にも返信して。
出れる?って気遣ってくれたけどその日の幹ミにも出た。
私はみんなに響く話をするのが得意な訳じゃないし、泥臭くプレーとか練習中の姿で引っ張るしかないと思っていたのに、プレーできない主将ってなんだろうって思った。エースかつ主将になりたかったのに。
主将っていう立場とか、4年生っていう立場とか、全部なかったら、多分もうラクロスには向き合えなかったかもしれない。
逃げ出せなかったし、逃げ出したくはなかった。
結構冷静に現実を受け入れて、リーグのことを考えてすぐにコーチの資格も取った。
そしてこの頃、25の抱負ブログを書いた。
「25willawsなら勝てるっていちばん信じられる人になること、一緒に頑張りたいと思ってもらえる主将になること」
これが今年1年の目標だった。
手術まで一ヶ月あったから、松葉杖で壁に通った。きゅうさんに壁当て動画を送りまくった。雨の日にカッパを着て壁当てしたり、小学生と仲良くなってラクロスを教えてあげたこともあった。笑
OG戦翌日には来てくれたにこさんを拘束して(笑)下クレを教えてもらった。ありがとうございました。
同期にパスキャが上手になったって褒めてもらえて嬉しかった。
そして、3月末に手術を受けた。
手術後は、松葉杖がないと一歩も足が出せないところからリハビリがはじまった。
お医者さんには、最短9ヶ月で対人復帰だから、最後の試合を目指すのはいいけど、思い出作りにコートに立つくらいしかできないよ、と言われた。
歩けないのに、ラクロスなんかできるようになるのか?って正直思ったこともあった。研究室にもリハビリにもいかないといけなくて、腕も足も限界で、はちやから覚王山駅までの帰り道がものすごく遠かった。満員電車には、こけるのが怖くて乗れなくて、ベンチで何本も電車を見送ったこともあった。
でもプレーヤーとしての復帰は諦められなくて、手術後松葉杖でも歩けないくらいの時期は、ひたすらクレードルをやった。ポールでドローも毎日のようにあげた。
部活にいけない期間をできるだけ短くしたくて、大学で電動車いすを借りて部活に行った。激坂すぎて、車いすが登れるかっていう試走につきあってくれた同期たちありがとう🫶笑 自分勝手な、部活に行きたいという理由なのに車いすを貸してくださったアビリティ支援センターの方々、本当にありがとうございます。
幹ミで、いわきさんにシュートは1日200本打たなきゃって言われてからは、るいまるうのを捕まえて練習のある日は200本打った。その日に終わらなかったら、次の日の朝練前にうのと6:30に待ち合わせしてシュー練した笑
7月になって暑すぎてアフターに残ってるのが、さんとうのと3人だけの日も意地で200本打った。ここちぇりうのとジュースをかけて勝負した日もあった。
私のシュートを避けていたれんさんに、シュートアップとシュー練をやらせてもらえるようになった。キモさが減ったっていう私にとっては最上級の褒め言葉が嬉しかった笑
ゴーリーが止められないのには自分にも責任があると思って、本気でシュー練した。ゴーリーズ、たくさんつきあってくれてありがとう!
1プレーヤーとして復帰することが諦められなくて、リハビリと筋トレをめっちゃ頑張った。5ヶ月で怪我してない足の90%まで筋力が回復した。デッドは90キロまであがるようになった。普通は9ヶ月で受ける、合格したら復帰できる動作テストも6ヶ月で合格した。
空間認識能力とか感覚とか鈍ってボロボロだったかもしれないけど、ちょっとずつでも練習復帰できて楽しかった。復帰してからの期間、誰よりも部活の時間を待ち遠しく思って、ラクロスを純粋に楽しんでいたのは私だと思う。笑
ホームグラウンドでの初戦、vs信州
ヒヤヒヤした1Qから始まったvs愛学
大差で負けたvs南山
勝てて本当に良かったと安堵したvs淑徳
1点差で負けたvs愛教
予選最終戦、vs金城
そして、Final4。
私には応援すること、声をかけ続けることしかできなかったけど、みんなが1点差を死守して勝ったときは、本当に嬉しかった。ラクロスの試合で初めて嬉し涙が溢れた。
1週間後のFinal。
怪我してから初めての試合。Finalまで連れてきてくれて、コートに立たせてくれたコーチさん方、チームのみんな、本当にありがとうございます。
4Q残り5分、きゅうさんに次いくよって言われた。ドローあげてグラボしてポゼッションがとれた。
残り4分で3点差。刻々と過ぎていく時間。結局、勝てなかった。負けてしまった。
東海制覇は、できなかった。
結果を追い求めてきたからこそ、結果がすべて。
負けたけど悔いはない。とか言えない。
勝つためにやってきたことは、勝つためには十分じゃなかった。まだまだ足りてなかった。
勝ちという結果でしか、報われないものがある。
メダルかけたかった。
トロフィー掲げたかった。
東海制覇するところを見せたかった。
全学に出たかった。
まだ25willawsでラクロスがやりたかった。
勝ちたかった。
今年こそは東海制覇、という言葉は今年で最後にしたかった。
閉会式で隣の南山がメダルを首から下げて、大きなトロフィーを抱えているのが羨ましかった。
次の代に開幕戦を残せたことは、素直に嬉しかった。どの試合も大事だけど、やっぱりビックゲームにしかない高揚感や熱気がある気がするから。
あと、れおここがベストプレーヤーに選ばれたことも心の底から嬉しかった。ずっと隣で見てきたからある意味当然だとも思えた。めちゃくちゃ迷惑かけたし、何も貢献できなくてごめんね。
個人としては、ワンプレーでしか貢献できなかったけど、色んな人にコートに立った時点で大号泣した、れあがグラボ取ったときは感動したって言ってもらえて、頑張ってよかったなって少し報われた気持ちになれた。
私がいちばん認めてもらいたかった人に、ステキなチームになったねって言われたこともすごく嬉しかった。
負けたあと数日間は、1プレーヤーとしてやりきれなかった悔しさとか、やりきれなさとかで、夜眠れなくなっちゃって、毎晩号泣した。
今更なんでとも思ったけど、やっと自分のことで泣いてもいいって思えたからかも、とも思います。もう25willawsとして目指せる目標を失って、やっと自分のことで、泣ける気がした。ただでさえチームに迷惑かけてるのに、自分のことで泣いてるなんて自己中だと思ったし(泣いても許してくれる人しかいない気がするけど)、知らない間にできていた覚悟がそれを許してくれなかった。
今年1年、Finalまでチームの前では一回も泣かなかった、というか泣けなかった。(そるさんとのシュー練の約束に諸々の事情で遅れちゃって、シュー練したかったのにって泣いたのはノーカンです笑。Final4は嬉し泣きだからそれもノーカン。)
東海制覇のためにやらなきゃいけないことが山積みだったから、それに向き合ってきたつもり。
タラレバでしかないけど、純粋に、プレーをしたかった。悩むなら、プレーについて悩みたかった。膝の腫れの引かなさとか、松葉杖の煩わしさでなんか、悩みたくなかった。リハビリとか怪我の時間を全部プレーに当てられていたら、どこまでやれたんだろう。25willawsと一緒にプレーしたかったな、特に同期と一緒にプレーしたかった。
最後の、4年目のリーグは、プレーで魅せられる人でありたかった。目標だった、ドロー王、得点王、ベストテンを争える土俵に立ちたかった。悔しかった。
大口叩くけど、私がwillawsを勝たせたかった。
怪我は防ぎようがなかったから仕方ないけど、運が悪かったの一言で片付けられるほど、生半可な気持ちでラクロスやってなかった。
最後の全学Bリーグ、出ることも一瞬考えたけど、どんだけドロー取ってシュート決めてナイディーしても、東海制覇はもうできないし、このやるせなさを消化できる機会ではないなと薄々気づいたからやめました。
これまでは、ありえないミスをしても、試合でボロ負けしても、次、があった。
でも目指すものがなくなって、
引退した4年生たちが虚無だっていってるのをたくさん聞いたけど、私もしばらくはfinalが終わった時の気持ちのままだった。
全学Bに向けての練習の傍ら、26は動きはじめていて、私が立ち上げなくていいteamsがたくさん開かれているのが不思議な感じがした。
でも全学Bが終わって、総括や引き継ぎをして、ナイター運動会があって、締めミがあって。引退だということを実感した。もう、目指したかったものも、悔しさも、全部後輩に託すしかないと思えた。
26willawsは26willawsなりの色があると思うから自分たちらしく、思ってることはちゃんと伝え合って、進んでいってほしいなと思います。
来年の開幕戦も、FINALも、楽しみにしてます。
締めミ前に、みんなに手紙を書いていて、書ききれないくらいことがたくさん出てくるくらいには全員と関われたことを感じたし、それぞれの頑張っていた姿はすぐに浮かんできた。
この部活に所属する意味、25willawsで頑張る意味は、人から与えられるものじゃなくて本人が自分で見出すもの。だけど、主将として、それを見出せる手助けをすること、willawsが頑張れる場所であり続けるようにすることはやってきたつもり。期待を込めて、何か役割を頼んだり、高めの要求をしたりもした。足りなかった部分も反省点もたくさんあるし、皆が部活にどれだけ意味を見出せてるのかはわからない。だけど、誰かの頑張りが、他の誰かの原動力になって、その頑張りが、また他の誰かの原動力になる、そんなチームになったことがすごく嬉しいです。
暖かくて素敵なチームの主将をやらせてもらえて幸せでした。ありがとうございました。
休みというよりむしろ活動日なGWやお盆も、壁と素振りとドローとフットワークとランニングで1日が終わるお正月休みももう終わっちゃった。久しぶりの実家で壁に行く時間を捻出し、とんぼ返りで名古屋に戻ってくる帰省ももうありません。これからは世間の人と同じようにGWやお盆やお正月が来る生活が待ってます。笑
ここを書いている今は、初の、クロスを持たない帰省中です🚄
4年間を振り返ると、基本的にずっと必死で、全力だった気がします。不器用だから人並みにできるまでにものすごく時間がかかる、コートスポーツは初めてでコート感覚を身につけるのも一苦労。上手くなりたくて、でも上手くいかなくて、もがいてる時間の方が圧倒的に長かった。ラストイヤーは、思い描いてたものとはかけ離れたものになった。だけど、ポジディブで負けず嫌いだからなのか、辞めたいと思ったことはなかったし、ずっとラクロスを楽しめました。恵まれた環境で、本当にたくさんの方々の支えのおかげで、4年間、引退まで走り抜けられました。
コーチさん方
25willawsにたくさんの時間と熱量を注いでくださり本当にありがとうございました。怪我のあとも、れあしか主将はいないからと言ってくださって、ずっと支えてくださり、ありがとうございました。
22.23.24のコーチさん方
強い名大をつくりあげてくださって、ありがとうございます。言葉が上手く選べないですが、強くしてくださったwillawsを、24で果たせなかったものを、今年勝って数年間を正解にしたい、と25始動からずっと思っていました。また会いたいです。
りほさん
2年生からずっとかわいがってくださって、ありがとうございます。りほさんがいなかったら、ラクロスのことこんなに好きじゃなかっただろうなと思います。引退まで、応援してくださってありがとうございました。
なかじさん、にこさん
匙を投げず、ずっと22に向き合い続けてくださってありがとうございました。見に来てくださった試合や、OG会で毎回話しかけてくださって嬉しかったです。引退まで応援してくださってありがとうございました。
家族
全然実家に帰らず、帰ったと思ったら走りに行くわ壁に行くわで、またすぐ名古屋に戻り、、、、。怪我もあったけど、4年間ずっと応援してくれて、サポートしてくれてありがとう。
藤本さん、はちやの先生。
手術、リハビリ、テーピング、本当にお世話になりました。復帰できたこと、本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。
同期
ラクロスの話は今年まであんまりしなかった人が多いけど(笑)、ずっと仲良しで、優しくておもしろい人たちばっかりで大好きです。今年はたくさん気を遣わせたと思うけど、皆の優しさに救われていました。ありがとう。
後輩
一緒に頑張ってくれてありがとう!数回くらいは怒ったこともあったけど(笑)、仲良くしてくれてありがとう!私が主将でよかったって締めミのメッセージに書いてくれてる子たちがいて、すごく嬉しかったです🫶
みんなのことこれからもずっと応援してます!!
先輩方、OGさん
現役の時もたくさんラクロスを教えてくださってありがとうございました。25始動のときに話を聞いてもらったり、怪我したあとは色んな方がラインをくださったり、すごく助けられました。ありがとうございました。これからは私もOGとして一緒に応援します!!
最後に。
こんなにも感情を揺さぶられる場所で、
こんなにも一つのことに熱中できる時間を、
一生ものの仲間と過ごせて、
本当に幸せでした。
この4年間関わってくださった全ての方に感謝を、戦い続けるwillawsにエールと期待を込めて。
#43 れあ