今日も1時間目を受けて早帰り。


だったら学校に行くなよって話だがそう言う訳にはいかない。


1時間目は大好きな世界史の授業だったのだ。


世界史はたくさんの人間が築き上げてきた好奇心の塔であり、自分もその塔を好奇心をもって登ることが出来る素晴らしい教科である。


僕は学校に通うその意味を『勉学への好奇心』だと捉えている。


一般的には、それは『上下関係の学習』であったり、『コミュニケーション能力の向上』であったりするのかもしれない。


しかし、そういった意思疎通に関しては、趣味や夢といったホームグラウンドで好きなだけやればいいと思っている。


逆に、自分が辛いと思う環境に身を置いた学習や意思疎通など、果たして意味はあるのだろうか。


心の健康が足りてない中でのそれはマイナスでしかないという個人的な意見。。。


僕は基本的には省エネ主義。


すなわち"嫌なことは極力避けて、好きなことだけをして生きていきたい"人間なのだ。


ここでそれは若者の我儘でしかないと思った人は、またいつかテレビで逢うまでさようなら。


僕には夢があり、その夢のための省エネ主義。


テレビに映る立派なピエロになりたいのだ。


夢を追う上での面倒臭い事や嫌な事は大歓迎。


だけど


夢を追う杭は打たれるんだよ???


そんな社会に身を置かざるを得ない状況(僕の高校)でのそういった事が気に食わない。


将来を見据えた受験生である僕は、そういう意味でも、目的の見当たらない授業を切り上げて、自分の命運がかかっている受験戦争にとことん集中するのだ。


別に学歴にコンプレックスを抱えて生きていく人間になりたいとは1度も思ったことは無いけど。


好きなことだけで生きていくのが自分の人生


そう思う人間がいてもいいじゃん。


写真はキューバの名高い革命家ゲバラ。


彼の生き様は僕の人生のバイブルである。