剣士さまがバスルームから出てきて、バックをごそごそと漁って、何かを探した。
私は店から寝酒を失敬して、テーブルに用意していた。

「土産だ、百合。じっとして」

剣士さまに後ろから声をかけられて、思わず心臓が跳ね上がった。
首に冷たい感触がした。
剣士さまのお土産は、異国のちょっとエキゾチックなデザインの真珠の首飾り。
「素敵…ありがとうございます」

「うん。百合の名前なら、真珠がいいかと思って」

「百合は百合でも、鬼百合ですけど」

「ははは…この辺じゃ有名らしいな」

「そういう女に育てた方はどなた?」

剣士さまが苦笑するのが、背中から伝わった。

「百合…」

剣士さまが私の名前を艶やかに呼び、後ろから抱きすくめた。
びっくりして硬直した私は、体中が熱くなった。
暫くなすがままになり、涙が滲んだ。
私を抱いて下さるおつもりかしら。でも、それならなんで、わざわざ外に女を買いに行ったの?
今夜、私を抱くつもりなら、なんで?

首筋に剣士さまの熱いため息がかかる。ずっとこんな甘い抱擁を夢みてた。

私は振り向いて、彼を見た。切ない顔で私を見る剣士さま。
私はごく自然に剣士さまに唇を重ねた。昔、おでこにして貰ったきりの、柔らかい唇。ふわふわの優しいキス。
好きな人とキスするのが、この年で初めてなんて、きっと誰も知らないし、信じられないだろう。

剣士さまが私を味わうように唇を啄む。私は模範解答のキスを返す。

嬉しくて、嬉しくて涙が零れる。
キスが段々と深くなり、首筋から耳に移動した。思わずくすぐったくて、笑ってしまう。

「パパ…」

ベッドから天使の寝言が聞こえて、二人とも、我にかえった。
このまま抱かれたら、もう生きて行けなくなる。

「可愛い天使に、釘を刺されましたから」

「釘?」

「パパを穫らないでって。お酒でもいかがですか?今夜はあまり飲んでらっしゃらないみたいだし」
剣士さまはため息をついて、テーブルについた。
私は剣士さまのお好きな銘柄のワインをグラスについだ。彼はそれに気づいたのか、嬉しそうに微笑んだ。

「剣士さまと天使に、乾杯」

私がグラスをあげて言うと、彼は苦笑した。

「百合ちゃんに…完敗」

二人でくすくすと笑いながらグラスを傾けた。
それから、剣士さまの戦の話や別れた奥さんの話、そして私のこの四年間の話をした。

「そうか、やっぱりこの居酒屋に預けて正解だったな」


店が空いてきて、ご主人が剣士さまのお嬢さんを寝かせてやれと言ったので、二階の私の部屋に連れて行った。
子供って重い…ぐっすり寝てるから、尚更だ。

私のベッドでお嬢さんを寝かせて、私はその横で荷造りをした。




夏の時間、生きていく事なんて、大したことじゃないわ。
魚が跳ねて、綿は空に舞う。
お金持ちのパパと美人のママがいるから、泣かなくても大丈夫よ、可愛い赤ちゃん。いつも一緒だからね。



そんな鼻歌を歌いながら、荷造りをしていたら、剣士さまの天使は起きてトイレに行きたいと言った。
廊下に出てトイレに連れて行くと、天使は私に聞いた。

「お姉ちゃん、パパは?」

「パパは、その。大事なご用事が出来たから。すぐに帰ってくるから、それまでお姉ちゃんといよう」

ホットミルクを作って、私は天使に勧めた。
天使はふうふうと冷ましながら飲んだ。
「お姉ちゃん、パパの恋人?」

私はぎょっとした。こんな小さい子供が恋人なんて言葉、どこで覚えたのか。

「まさか、違うよ。パパの昔の弟子だよ」
「そう、良かった。パパを穫らないでね?」

私はくすくすと笑いながら、頭を撫でた。

「大丈夫、パパはあなたが一番だから」
「さっきのお歌、歌って?いつもはパパが歌ってくれるの」
思い出した。この歌は昔、剣士さまが私に歌ってくれた歌だった。

「いいよ、パパほど上手じゃないけど」
私は天使を寝かしつけながら、優しく歌った。繰り返し、繰り返し…まるでオルゴールみたいに。

午前二時に、部屋のドアをノックする音がした。

「あ、お帰りなさい、剣士さま」

「ただいま…ありがと、百合」

「香水臭い。シャワーでも浴びてらしたら?」

昔は香水の匂いをつけて帰ってくる剣士さまを見るのがとてもつらかった。今も少し。

隣のバスルームに剣士さまを入れて、タオルと着替えを用意した。

「ここに置いておきますよ。着替え」

「お、サンキュ。相変わらず気が利くな、百合は。いい嫁を貰い損ねたな、俺」
私はくすくすと笑って、シャワーカーテン越しに剣士さまに言った。

「あら、今からでも遅くありませんよ」
「バカ、せっかく薔薇の女伯爵の所に住み込みが決まったんだから。貧乏用心棒のカミさんなんてよせ」

貧乏用心棒の奥さんの方がいい、なんて言えない。

「そうですね。お手伝いさん兼弟子だから。うまくすれば社交界にデビューで玉の輿を狙おうかしら」

マダムロゼのサロンと図書室に通い始めて三年が経った。

お屋敷のお手伝いさんが一人辞めるので、代わりに私が住み込みで働きながら勉強させて頂く事になった。
毎週木曜日の夜に居酒屋の舞台で踊る事を条件に、ご主人は私の出世を喜んでくれた。

今夜は住み込みとしてな最後の日だ。
明日の夕方に馬車で引っ越しである。

そんな夜に、偶然にも懐かしい人がやってきた。

「よう、百合。明日から、薔薇の女伯爵さまの住み込みだって?」

「剣士さま!よくぞご無事で…」

そう、戦争が終わり、剣士さまが帰ってきたのだ。

「髪もきれいに伸びて、まあ。すっかり大人になったな」

抱きつきたい衝動を抑えて、剣士さまのテーブルに駆け寄った。

「あれ…?ずいぶんと小さなお弟子さんですね」

三つ位の女の子がご飯を食べた後に、剣士さまの膝でうとうとしているのを見て、私は首を傾げた。
「こいつは弟子じゃなくて、まあ…その」

私は小さな女の子を見て、ピンときた。金髪の巻き毛に、剣士さまそっくりの鼻の形。

「あの、もしかして?」

「うん、俺の娘。戦場で出来て、すぐに結婚したんだか…情けない事に、先月、女房に逃げられた」
私は思わず笑ってしまった。

「色男の剣士さまも形無しですね。さすがは奥さま」

剣士さまは私に一本取られて、悔しそうな顔をしつつ、照れ笑いした。

「百合もそんな皮肉を言う年になったんだな」

この娘さんが三つなら…私と別れてすぐに出来た子供か。

私が産みたかった、剣士さまそっくりの可愛い天使。何故かちっとも悔しくなくて、嬉しかった。寂しがり屋の剣士さまを癒やしてくれる人が出来て、安心した。

「その子を連れて、また旅、ですか?」
「いや、田舎の金持ちの家に用心棒として就職が決まったんだ。明日の船で出る」

そうか、もう剣士さまとは本当にお別れなんだ。
戦争が終わったら、この町に帰ってくるかとずっと待ってたけど。こうして元気に帰って来てくれた事だけでも嬉しい。
「こいつ、今晩、百合の所へ預けていいか?」

「それは構いませんが…まさか」

「コブ付きだと、女買いに行けないんだよ」

相変わらずの剣士さまに、呆れてしまった。

「まったく…もういい加減、お年なのにもう。でも、まあ、剣士さまもまだまだお若いから」

「頼むよ。先月から、その…」

剣士さまは私に懇願した。

「じゃあ、二時の閉店までにお帰り下さい」