私は戸惑いながらも、更に教育的指導をしてやった。

「なんで私なんだ?」

「初恋はイケメンがいいもん」

私もこの年頃は似たような事を考えてはいたが、体を売る相手を初恋の相手であるなんて馬鹿な空想はしなかったはずなんだけど。

「私がイケメン?」
笑いを堪えて男らしく振る舞った。

「うん、超イケメンだよ、若旦那さん」
「あのね…初物は金貨何枚分で売れるか、誰も君に教えてくれなかったのかな?」

「えーと。あたしが聞いた話だと、最低三枚…かな?」

「うん、自分の値段は一応わかってるのか。なら、安心だ。私がそこでお金持ちが来る宿に案内してやるよ」

少女は首を激しく横に振った。

「だって…金貨三枚でも、汚いオヤジが初恋なんて、やだもん!」

まあ、娼婦に初恋もへったくれもないけど。しかし、初恋の意味が私の辞書と彼女の辞書には別の解釈で書いてあるんだろう。
娼館とは言え、母はご褒美に漫画や本をを買ってくれたし、娼婦の仕事をする前までは、幼なじみと教会で読み書きを習ったし。

「私が金貨なんか持ってないのはわかるよね?」

「イケメンだから、安くするよ?銀貨一枚でもいいの」

臨時収入の銀貨半分やっても、こんな男装してたら、またこの手の女の子にこんな事を言われて、せっかくの給料もすぐになくなりかねないと思い、彼女をじろじろと観察した。この辺りでは珍しい黒髪と黒い瞳、褐色の肌。訛りからしても、南国の生まれの女の子だ。
私も南国育ちだか、自分が北方系の血筋だと、最近気づいた。黒髪と黒い瞳だけが南方系にだが、他は全く違う。

「いいのかな?初恋とやらを銀貨一枚で売っちゃって。半月ぐらいは食べれるけど、その後どうすんの?汽車で南へ帰るにも、金貨三枚はないと。汚いオヤジが嫌なら、娼婦はできないよ?教会に行って修道院を紹介して貰いな」

「やだ、あんな所!みんな意地悪なんだもん。せっかく脱走して来たのに…あたし黒いから、その」
少女は泣きそうに俯いた。必死で涙を堪えている。

「やれやれ…銀貨一枚しかやれないよ?買いたい本があるからな。後は自分で考えな。ほら、おいで」

今泣いた烏は、ぱあっと笑って、嬉しそうに私の腕に自分の腕を絡ませた。

「君の名前は?」

「ガブリエル・カルメンシータ!」

なるほど、天使の名前と南国のありふれた女の名前の二つの名前がぴったりの少女だ。

これが、私の一番弟子の妹分との出逢いである。
あれは居酒屋で働き始めて、ファルーカの鬼百合と噂され始めた頃の夜。
私は飲み過ぎた女の客さんの護衛として家まで送り届けた。男は送り狼になる危険があるので、私が送り役をかって出た。失恋でボロボロの女を慰めるのは、女がやるべき仕事だし、大事な常連客だ。彼女をベッドに放り込み、お礼に銀貨二枚もくれたから、臨時収入を何に使おうかと楽しく悩みながら夜道をスキップして歩いていた。長編漫画を全巻揃えるか、それとも何か高い本をじっくり読むなら二冊は買えるかも…。
男踊りの衣装のままだったから、ご主人お下がりのマントと帽子を戴いた。傍目から見たら男そのものに見えたんだろう。背が高く、剣の稽古で鍛えて筋肉質だったし、もともとハスキーボイスだったから。用心棒の仕事の都合上、便利だったので普段は男装していた。それがまたお客さんにウケたので、調子に乗って、髪が伸びるまではそのまま町をウロウロしていた。まだ体が今ほど女らしくなかったから、男がスカート履いてファンタンゴやセビジャーナスを踊っていると言う不名誉なデマまで飛ぶ始末。剣士さまが買ってくれたピンクのドレスは、何回か袖を通しただけで、髪がきれいに伸びてからと大事に箪笥にしまったまま。
そんな帰り道に後をつける人間の気配を感じた。一応剣は腰に提げていたが、女としては多人数で来たら厄介だと思い、なるべく明るい道を選んだ。

殺気は感じられない足音は軽いから子供だとは気づいた。しかも一人分。どこかの浮浪児あたりかなと思ったが、そんな子供が物取りをやりなら、金持ちを狙うし、しかもグループでやるのがポピュラーな手口だ。
こんな夜中に子供が一人で、庶民の武装した男を追いかけて何をするのかが分からなかった。だから正体不明の小さな不審者は不気味だった。
宿屋街の入り口辺りで、その子は正体を現した。

「あたしを買って、若い旦那さん」

それは小さな娼婦だった。スカートとおさげ髪しか女の子だとわからないぐらいの汚い浮浪児。まだ体が女になったばかりの、小さな菫によく似た少女。
でも、私はこんなに汚くなかったし、自分から体を売る勇気などなかった。
決定的に違うのは、これから体を許す相手である客を王子様を見るような、きらきらとした瞳で見る。
私はぎょっとしたが、教育してやるかと思い、意地悪く言った。

「どうせなら金持ちの紳士にしたら?私が庶民だと、服装でわかるよね?」

「うん。でも、あたし、あなたがいい」
妹分を連れてオーディションに行った。彼女をカルメンシータ役に使う代わりに、私は闘牛士と戦う黒い雄牛役と演出をやる条件をつけられた。

私は悩んだ。せっかくマダムロゼの家での生活に慣れた頃だったから。

マダムと薔薇の手入れをしながらその相談をした。

「確かに、屋敷での古典の解読よりも、その仕事の方が、今の貴女と妹分には勉強になりそうだけど…」

マダムは舞台女優から劇作家、今では評論家である。

「実は、私が親に与えられた名前は、百合なの。薔薇の名前は私が自分の力で得た名前。自分で名前に変えた経験があるなら、どういう事かはわかるわよね?」
ドキリ、とした。私が昔、菫だった事なんて話してないのに、マダムはご存知だったのだ。
それでも薔薇の手入れと料理だけで、後は自由に勉強させて下さるのだから、マダムは本当に私を愛して下さる、有り難い方なのだ。

恥ずかしい過去を知られて、もじもじしていると、マダムはそれに構わず、薔薇の剪定を続けた。

「薔薇って、一般的には、刺々しい高飛車なイメージがあるけど。実際、色々な種類があるのを知ったから、私はこの名前を心から愛しているの。ほら、この薔薇なんてどう?」

マダムは地味で冴えない花を私に見せた。

「これ…本当に薔薇ですか?」

「香りを嗅いでごらん」

怪しみながらも、その花に顔を近づけた。
確かに薔薇の香りだ。しかも素晴らしくいい匂い。

「薔薇の原種の一つよ。この地味な花があったから、世界中の薔薇づくり達が努力して、長年、品種改良を繰り返して、今の薔薇が出来たわけ」

なるほど、薔薇が花の女王になるまでには、大変な努力が必要なだ。それも、何百年もの間、沢山の薔薇づくり達の無償の愛を得て。

「今では青い薔薇も出回り始めたけど。長年の薔薇づくり達の夢がやっと叶った時代が来たのね。青薔薇の花言葉は夢だって、知ってる?」
私はマダムの薔薇のお世話という、何とも勿体無いお仕事をさせて貰っているのだと、この時知った。

「私、やっぱり舞台の仕事は断ります」
マダムはくすりと笑って言った。

「薔薇の世話なら、他の人にも出来るわ。やりたいならやりなさい。でも、ビオレッタやミミの役が回って来たら引退を薦めるわ。そうねぇ…カルメンシータの次は多分ノラあたりが嵌り役かしら。その後は、自分の舞台を作って演じて欲しいな。初舞台には、私を特等席に招待してくれないかな。ねぇ、百合ちゃん?」