産経新聞のネットニュースサイト「iza」
2018.11/16から引用、改編。

2018.11/16。
国の文化審議会(佐藤信会長)が、
白虎隊士が眠る白虎隊士墳墓域を、
国の登録記念物(史跡関係)するよう、
柴山昌彦文部科学相に答申した。

福島県の国登録記念物は初!
戊辰戦争関連施設の認定も初!!

「戊辰から150年。
やっと正当な評価を得た」
と、地元でも歓迎されている。

やりましたね…
ほら見ろ!
賊軍だの朝敵だの言ってる(略)ども!
お前らの地元に、あるか?
国から認められた戊辰関連の史跡、
ありますかぁ〜?(有頂天)

あまり詳しく無いので話半分くらいですが、
調べたところでは、
「文化審議会」は、文化庁の組織で、
日本の文化財保護法にに基づき、
・歴史上、学術上、価値の高い遺跡
→史跡
・芸術上、鑑賞上、  価値の高い名勝地
→名勝
・学術上 、価値の高い動植物、地質鉱物
→天然記念物
こういったものが文化財として相応しいか、
審議する機関のようです。

めでたく認可されると、
文部科学大臣によって登録され、
「保存及び活用のための措置が必要」
な記念物と認められるようです。

要は、国の力で保存 されることに、
なる…と考えていいんですかね?

白虎隊士のお墓などと呼ばれる、
「會津飯盛山白虎隊士墳墓域」
ですが、年表風にまとめます。

・1883(明治16)年
整備開始
・1890(明治23)年
参道を整備。山腹を削って墓域を設ける。
19人の隊士の墓が建立される。
その後、城下を守るために戸ノ口原などで戦死した31士の墓も設けられる。
・1926(大正15)年
墓前広場を造成する拡張工事が行われる。
現在の姿となる。



この墳墓域には、
・北側にある、19士の墓石(写真)
・「戊辰50年祭記念」で置かれた石灯籠
(4基あります)
・墳墓沿革碑
(広場手前の石段沿い脇。
墓地の拡張の経緯を記している)
・「會津藩殉難烈婦碑」
(戊辰戦争時に自刃、討ち死にした武家の女性ら約200人を慰霊する石碑)
これらが含まれているそうです。

現在、墳墓域を整備しているのは、
地元の公益財団法人「會津弔霊義会」
の皆様が中心に保護活動をしています。
毎年春と秋に行われる墓前広場での剣舞は、
その一環です。

それにしても、整備開始が西南戦争から10年も経過してないって、時代的になかなかうるさそうですが、やはり會津はすごいです。
斗南にも、白虎隊碑が、會津に先立って建立されましたが、バリバリマークされてる、會津藩の本拠地ですからね…
ちなみに、飯盛さんという方が現代の墓守をされているそうですが、五代目だそうです。
その方のおばあ様が、ガイドのような事もされていたそうで、ご存知の方も多いかと。

最後に。
戊辰戦争関連では、鶴ヶ城や白河戦争の舞台となった小峰城などが国史跡となっていますが、これについては、
市の市教委文化課の近藤真佐夫主査が、
「いずれも城としての評価で、戊辰戦争そのものへの評価とはいえない」
とのことで、今回の登録は、本当の意味で、
「あの戦争の位置づけが、
歴史の中で定まった」
という見方をされています。

これを機に、
・北越戦争の新潟県長岡市
・福島の白河や二本松など
こうした戊辰関係の地に、
「再評価の光があたる機運になれば」
と話されてもいますが、
本当にそうなる事を祈って止みません。

朝日新聞デジタル 20181029

から、引用、改編。


歴史学や考古学とは、

過去の出来事を調べて考察する学問。

近年(でもないけど)

それが一般の人たちの間に広がり、

歴史好きの女性を意味する、

「歴女」

なんて言葉も生まれています。


しかし、専門の研究が進むにつれて、

大きく変わる歴史像を受け止めかねる

という人々も一定数いるようです。


具体的に言うと、

・歴史小説や大河ドラマなどのイメージ

・根拠がはっきりしない『通説』

「これを真実と信じてしまう」

ケースがあまりにも多いそうです。


例えば、幕末の志士・坂本龍馬は、

薩長同盟の仲介役』

が、一般的なイメージですが、

薩摩藩の利害を代弁するエージェント』

という一次資料が多いそうです。


一次資料というのは、

同時代の人がその人物を直接見て、

または、見た人に聞いて遺した記録

とすれば分かりやすいでしょうか。

つまり、又聞きではないオリジナルです。


ドラマなどはこうした資料を元にして作られていますが、話を面白くするために、

「改変や捏造が当たり前」

なのは言うまでもありません。


しかし、歴史ファンという人たちの中には、

「頑なに作られたイメージしか信じない」

という人がいて、近年の、進展めざましい歴史研究の成果を否定するのです。


・歴史小説や教科書などで示された出来事

・そして、歴史上の人物

これらに従来の通説とは違う新たな光があてられることは、悪い事ではないはずです。

しかし、「歴史好き」の言う『歴史』は、

極端に言えば、真実の否定です。


こうなると、歴史ではなく、

「歴史を題材にした物語好き」

になるんではないでしょうかね…


ただ、一般人なら笑い話で済みますが、

幕末に活躍した吉田松陰について、

「本質は教育者というより革命家では」

という説を、朝日新聞が紹介したそうです。


すると、地元の萩市議会の市議が、

「松陰先生のイメージを悪くした。

抗議しないのか!」

と、市長に質問したそうです。


市長は、

「異説の存在を紹介したもの。

一つの視点として尊重するべきだ」

と答えたそうです。


要するに、この出来事は、

研究者による学説でも、

場合によっては受け入れ難い

ことを示しています。 


一方の高知では、坂本龍馬について、

「大切な人物だが、

観光との絡みも大事にしつつ、

新説も紹介したい」

と、語っていました。


専門性のある新しい学説を受け入れるには、 

・論文や専門書を読むなどの勉強 

・新説を受け入れる柔軟性

などが大切なんですね。


會津についても、

「埋葬問題」

などで、アレコレ言われててますが、

・政府は埋葬禁止していない

・武士としての埋葬を禁じた役人はいた

・捏造で會津人を殺した役人がいた

・政府の役人に虐められた人もいる

このあたりの整理がうまくいってないのと、

イメージ打破が出来ない人が、

混乱に混乱を重ね、なんかおかしい事になっている気がするんですよね…


まあ、人間てのは、

『信じたい話しか信じない生き物』

だそうですから…




おまけの考古学の話。


・通説

「自然と共生するエコロジカルな縄文人」


・新説

「樹木の伐採などかなりの自然破壊をした。

人口が少なかったから、

エジプトみたいにひどくならなかった」


エジプトてのは、緑にあふれていたナイル川流域だったのが、森林伐採で砂漠になった事を指していると思われます。


様々な角度から見ないといけませんね。


 


「そういえば、「八重の桜」の感想は?」
と、思われた方(おられれば)へ。
明治編は見ていません。
だって、會津があまり出ないし…

という訳で本題です。

今から4年前の2014年11月6日。
このような記事を書きました。

______________________
今から146年前。
1868年11月6日
(旧・明治元年9月22日)

わざわざ西とか南の暖かいところからきて、
寒い思いしたら可哀想だし、
やり続けていれば100パー勝つ
に決まってはいるけど、
そろそろ抵抗やめてやるよ。

という大温情で、鶴ヶ城が開城し、
會津戦争が集結しました。
______________________


あれれ?
あまり進歩してないぞ?

というのは、まあ、何時もの事。
自分だけかと思ってたけど、
再び、同じ記事から引用。


會津戦争三代誤解

①鶴ヶ城は落城。

②飯盛山の白虎隊は、
城が燃えているのを、
敗戦と勘違いして自害した。

③會津藩は朝敵、賊軍。


もう何度か書いてますけど、
いちいち訂正するのもバカみたいですが、
一旦、巷間に浸透してしまうと、
なかなか修正されないんだよなぁ…

いい例が、西南戦争の抜刀隊。
主力は旧幕府軍ではなく薩摩。
會津な方々が多いのは「警視隊」。

でも、こう書くと、
「じゃあ、旧・會津藩士は、
抜刀隊にひとりもいなかったんだ」
て言う人もいますが、

そんな訳あるか!

極端から極端に走る層は、
救いようが無いんですよねぇ…

救いようが無いと言えば、

旧暦がダメなら新暦だ!!

と、再度、
戊辰150年聖地巡礼(會津行き)
を、目論みましたが、

また死んだよ…

身内や親戚では無いですが、
行かなくてはいけない方でした。
これを書いてるのが、
11月6日の1時10分。
お通夜が18時30分…
だったかな?

これが長男のつらいところね…(泣)

まあ、例のパンフ見ながら、
遠くで、ひとりで、ひっそりと、
戊辰150年行事をしときます。


あー
エキソンパイが食べたい!!