これまた去年の話ですが、
平成も終わろうかというこのご時世に、
         断絶」
なんて事件があるとは思いませんでした。

徳川と書きましたが、
明治になって新たに建てられた、
慶喜を初代とする、「慶喜系徳川家」。
ちなみに、将軍家は「徳川宗家」ですが、
こちらもなかなか危ういんですよね…

まずは、最後の当主、慶朝氏について。

1950年(昭和25)年2月1日生。写真家。
徳川幕府第15代将軍徳川慶喜の曾孫。
旧公爵徳川慶喜家の4代目当主。
(慶喜ー慶久ー慶光ー慶朝) 

ちなみに、父・慶光の妻・和子さんは、
容保公七男で11代目当主、保男氏の娘御。
つまり、慶喜と容保公の血を引いている、
とんでもない血統の方でした。

余談。
父・慶光の姉の喜久子は、
昭和天皇の御弟・高松宮に嫁いでいる。
つまり、秩父宮に嫁いだ勢津子妃とは義姉妹。

昭和50年代に長岡氏との結婚歴あり。
離婚後は独身で養子を取らないことを明言。
二男一女があるが、3人とも前妻が引き取る。
よって徳川姓ではなく、このため、
慶朝の死去で、慶喜系徳川家は絶家した。

余談②
慶喜が将軍家(宗家)から独立したのは、
官位を授与したからですが、
籍はまだ残っているようです。
代々の将軍家墓地に入れられないだけで。
その徳川家本家の当主は、
現在は18代目の恒孝氏。
(慶喜ー家逹ー家正ー恒孝氏)
容保公のひ孫になります。
(容保公六男の恒雄氏ー一郎氏ー恒孝氏)

こちらが危うのは、恒孝氏の息子さんが、
ベトナム女性と結婚したため、
要は、外国の血を徳川に迎えるかどうか、
ということが問題だからだそうです。
また養子を迎えるのかも知れませんが

最後の余談。
明治になってから、容保公と慶喜は、
あまり接触がありませんでしたが、
容保公が最期を迎えた家と慶喜な最期の家は、
歩いて5分もない近所でした。
残念ながら、慶喜が越してきたのは、
容保公没後。
つまり、近所でバッタリとかはありません。

最後に。
慶朝氏が亡くなったのは、
2017年9月25日。
奇しくも、大政奉還
(1867年11月9日(慶応3年10月14日)
から、150年目です。
祖父・慶久は、1922年で、改暦50年目。
父の慶光は、1993年で、黒船来航140年と、
徳川を揺るがした節目に亡くなってますね。

ともあれ、
會津に 迷惑かけた  所縁のある家、
ではありますので、
御冥福を祈らせていただきます。