140年前の1877(明治10)年1月12日は、思案橋事件の首謀者、永岡久茂の命日です。

と言うことで、永岡や高津仲三郎らがその最期を迎えた、市谷刑務所関連の史跡を回りました。

このためにがんばってみたら、昼で仕事を終わらせられました(笑)

繰り返しになりますが、市谷刑務所は、いくつか前身があります。

皇居近くの鍛冶橋にあった時は、監倉事務取扱所や鍛冶橋監獄所。
永岡が没した施設です。

後に、市ヶ谷に移転し、東京監獄に改称。
鍛冶橋監獄所跡は東京駅が建設されます。

類似施設の市谷監獄移転後に市谷刑務所に改称。

市谷監獄は、小伝馬町牢屋敷、石川島人足寄場等の虜囚を収監するために創設された、新宿富久町の市谷谷町囚獄役所。
高津ら計3人が斬首された施設です。

後、市谷監獄に改称。
一時、東京監獄と隣あってました。


かつての敷地内には、監獄内で処刑された人々、また、震災や空襲で亡くなった方々の供養のために、観音様が。
170112_1222~01.jpg

通り沿いには、永井荷風の旧居跡の看板も。
170112_1240~01.jpg

そして、市谷刑務所で刑死した人の慰霊碑。
住宅地の公園内でした。
170112_1248~01.jpg

2つの監獄があったこともあり、新宿の割りには寂れてた印象でした。


永岡は、その人物像を羅列しておさらいすると、

①激しやすい
※家名再興の地を巡り、斬り合い未遂

②経営にむかない
※斗南運営時の採算度外視の開発計画。しかし、一藩ではダメだったが、国でやったら成功。

③詩人
※會津戦争後に読んだ詩が、『三絶詩』のひとつに数えられた。

④面倒見がいい
※多くの書生を養い、事件中、慌てた若い同士に斬られたが、諭して落ち着かせた。

⑤女性に酷い
※上京後、糟糠の妻を捨てて芸者を妾にした。

これらを統合すると、
・破滅的な詩人気質を持 つ兄貴分
の様な気質を感じます。

惜しむらくは、列藩同盟締結計画時、梶原平馬の下で活躍したように、上司次第では、能力を発揮出来る人物だったのかも知れません。

永岡の遺骸は損傷が酷かったそうで、井口に斬られた他に、拷問を受けたのではないかと言われていますが、禁じた通達もあった筈ですが…

合掌。