思案橋事件のおさらい&補足。

①新富町『川島屋』に集合して、日本橋小網町から千葉県へ。

②千葉県庁を襲撃
県令(柴原和=旧・龍野藩)を殺害する。

③鎮圧対策=警察
真っ先に駆けつけてくるであろう、千葉県警の署長は、旧・會津藩士の加藤寛六郎である。

さらに、同士・中根米七が推薦した、旧・會津藩士の署員もいたため、内応も視野に。


④鎮圧対策=軍部
佐倉営所の東京鎮台第二連隊を説得。

同士の鳥取県士族・松本正直が、永田貞伸(秀蔵)という軍人と同県人であるため、そのラインで、連隊長・阿武素行(旧・長州藩)を説得する。


⑤挙兵
第二連隊の本部が宇都宮にあるため、兵を吸収しながら、日光へ向かい、最終的には、會津で挙兵し、政府を倒す。


ちなみに、ここまでは、あくまでアウトラインに過ぎず、具体的に煮詰められたものではなかったようです。よって、ここに記した流れも、確定とは言えません。

事が事だけに、また、政府のお膝元であるため、奥羽越列藩同盟締結に奔走した時以上の機密性も求められますし、難しいことも多いでしょう。

また、その時は、梶原平馬の右腕としての活躍でしたが、今回は、一方の首謀者という、主従の立場の違いで、適正がなかったのかも知れません。

立場と言えば、当時の人々には、上京してきた同郷の若者を、書生として養う風習があります。

永岡も、事件の同士に加わったものを含め、書生を養っていましたが、その中に、早々の決起を促すものがいました。

旧・會津藩士の根津親徳 (金次郎)と平山主一郎の二人が特に熱心であり、時に、永岡が落ち着くよう説得したこともあるそうです。

結果、警察、軍部を説得出来る可能性、半ば不意に起こった、一連の士族反乱と書生の後押しで、決起に踏み切ったように見えます。


(続)