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『11月22日は、いい夫婦の日』と言うけど、もはや想像すら出来ません…て人ばかりな今日、大人の社会科見学に行ってきました。


①新宿・正受院

都営新宿・新宿三丁目駅を降りて、靖国通り沿いにある、松平家の菩提寺の一です。

奪衣婆で有名ですが、自分としては、容保公の、初めの埋葬地です。

文京区第六天町の御邸で没した
明治26年(1893年)12月5日から、
會津の院内御廟へ改葬される
大正6(1917)年6月9日まで、
この寺に葬られていたのは有名ですね。

現在は、墓碑・案内板などは、一切、なにも残っていません(泣)



『老公御病気の処
本日午前十時薨去被遊候
此段旧藩士へ広告す

但来る九日零時三十分
小石川第六天御邸御出棺
内藤新宿北町正受院に於て神葬式御執行の事
       
小石川区第六天町
松平容大 家令
明治廿六年十二月五日』

容保公が没した際、この電報を打った家令は、旧藩士の樋口光で、青山霊園に墓があります。

墓の碑文によれば、
青森県庁に十六年ほど務めた後明治二十三年七月に東京に移り家令に。
明治三十二年一月に病で没したようで、碑文を誤読していなければ、容保公より少し年下かと。

他に家令と言えば、同年三月についた飯沼貞吉の弟・関弥や、山川健次郎が有名ですね。 

ちなみに、『福島県立博物館紀要』掲載の
浅羽忠之助
(容保公が亡くなるまで仕えた小姓)
の年表には
「内実は容保が12/3夜死去のこと、
表向きは12/5の発表」
となっています。
その間の12月4日に正三位に昇叙してます。


また、明治26年12月8日付の読売新聞にも死亡広告が載り、容大公や徳川達道(一橋徳川家11代)、松平義生(美濃国高須藩14代藩主、容保公義甥)の名前でも広告が出されていたそうです。

他に正受院には、晩年の容保公を御世話した、野村松枝が葬られているそうです。

容保公の墓の改葬後、松平家墓域の一部が贈られたとかで、確認したら、確かに、ほかの墓の3つ分くらいはありました。

それと、三淵隆衡 (家老/萱野権兵衛の実弟)の墓もありましたが、霊寿院に移されているそうです。