文久2年(1862)。京都守護職に就任した會津は、蝦夷地や御台場の警備で破綻寸前でした。

その破綻具合を調べたものですが、貨幣価値には諸説あって、個人的に抜き出したので、鵜呑みは厳禁です。

【基本】
・1両=1石=2.5俵
※1石=1年分/1人  1石=150kg=180l
※1俵は60kg。
※合→升→斗→石
 10毎に単位が上がる
 1000合=1石


【1両の貨幣価値】

・文久3年(1863年)時
=\24000
買える米の量
0.4石(400合)=60kg
80日分/1人当

・慶応3年末(1867年)時
=\5000
買える米の量
0.086石(=86合)=12.9kg
17日分/1人当

つまり、これだけ米が値上がりしていた。


【1863年時収支/年】

手当 95000両(約22億)
支出 215000両(約51億)
赤字 19,000両(約29億)

手当てというのは、役職へのもの。
①役知・城河江州
②役知・加増分
③役知格・会津大沼郡
④幕府から役料
(役知は役目に対する知行の意味)

①は地名か?ここからの収穫を役に当てる。
②は昇給。
③格は幕府納入免除。
①②③で15万石(約90億)※実質収入は5万石。


【幕府からの主な手当】
※1万両=2.4億

文久3年5月~
・計2万両貸付←
・計6万両下賜
元治元年
・計8.1万両下賜
・毎月1万両、米2千俵
 下賜をする約束
元治2年2月
・月1万両下賜停止

西暦換算で言えば、1863~64年、しかも満額は殆どもらえないばかりか、出ない月もあった。

新選組や藩士たちが金策をしているが、本当に焼け石に水だった。



余談
密貿易や琉球支配で、金のあるイメージがある薩摩も、1830年代ぐらいまで借金まみれだった。

最終的には、豪商達に圧力をかけ、借金を無利子の分割にさせ、しかも一回の払いは、超少額。

そこまでしてから多少マシになったが、返済は250年計画。

もしも現代も薩摩藩が存在していれば、2014年現在も支払い継続中で、支払い終了は2085年だが、廃藩置県により、大半が踏み倒された。