ユキは、青森で廃藩置県を迎えますが、その頃、北海道函館に住む雑賀繁村(雑賀孫六)夫婦から連絡が来ました。

雑賀は、あの信長と戦った一族の末裔にあたり、先祖が流浪の末、會津藩士となっています。
1854年、18歳で、幕府使節と共に入ったことを皮切りに蝦夷地で暮らしていて、箱館戦争にも従軍しました。

妻・浅(あさ)は、會津藩家老・簗瀬三左衛門(會津藩で二番目の高禄)の娘だから、相当な格差婚といえます。

ユキと浅は、父同士の縁から、旧知の仲で、
『夫婦が病気で困っているから手伝いに来て欲しい』と頼まれ、1872年3月(明治5年2月)、函館に向かい、雑賀家で奉公を始めました。

その頃、札幌の開拓使・内藤兼備(かねとも)が、函館へ出張して来た折、雑賀の自宅を訪れた際、『會津の女性を嫁に欲しい』と話したそうです。

内藤は旧薩摩藩士で、北海道の土木事業などに関わり、札幌県、北海道庁土木課長になります。

後にユキが『あまり語りたくない』と言った、會津戦争にも従軍しているため、ユキはこの申し出を、当然断りました。