記録によれば大平は、この役職を政府から賜ったことを、ことあるごとに自慢していたという。

よくよく考えずとも、この行為は危険極まりないことは、火を見るより明らかであろう。

白河と會津は目と鼻の先であり、敗れた者たちの親類縁者がいる可能性も高い。

ましてや白河は、関東と陸奥の玄関口にあたるから、人の往き来も多いであろう。

事実、田辺も斗南から出て来た時に、この事件を起こした。

となれば、田辺は大平を狙ったのではなく、たまたま通りかかった時に、忘れようとしていた怨みが、再び込み上げて来たのだろうか。

それとも、自分たちを裏切り、富貴を得た者への復讐を、初めから計画していたのだろうか。

大平八郎を殺害した後、田辺は、騒ぎを聞いて駆けつけた村人に傷を負わされたため、自害して果てたという。

大平直之助は、この挙に感動したために、田辺の墓を立てたというが、日頃の義父・八郎の言動にも、思うところがあったのかも知れない。