昭和三年四月。
永井村(現:群馬県新治村)の猟師が、老いて病にかかった。
その老猟師は息も絶え絶えで、家族の呼び掛けにも、ほとんど応じることはなかった。
老猟師はいつ果ててもおかしくないと思われていたが、にわかに、怯えるように悲鳴をあげることが多くなった。
村の長老がいうには、猟師は命を奪うものであるから、その罪の意識によるものだろうということだった。
ところがいよいよになってみると、老猟師は、
『久吉が来る、久吉が来る…おそろしい。』
と絶叫して果てた。
村には久吉というものはおらず、なんのことかわからなかったが、同じように死ぬものが続出していった。
後々わかったことによれば、かつてこの地で戦があり、敵方にいた町野久吉という勇士を銃撃し、その肉を食らったものたちだけが、このように絶叫して死んだという。
町野久吉は、最後の會津武士と言われた、町野主水の弟で、討ち死にした時は17歳であった。
兄に劣らぬその勇猛さのためか、闘志は死しても止まなかったために、このようなことになった、とのことだ。
永井村(現:群馬県新治村)の猟師が、老いて病にかかった。
その老猟師は息も絶え絶えで、家族の呼び掛けにも、ほとんど応じることはなかった。
老猟師はいつ果ててもおかしくないと思われていたが、にわかに、怯えるように悲鳴をあげることが多くなった。
村の長老がいうには、猟師は命を奪うものであるから、その罪の意識によるものだろうということだった。
ところがいよいよになってみると、老猟師は、
『久吉が来る、久吉が来る…おそろしい。』
と絶叫して果てた。
村には久吉というものはおらず、なんのことかわからなかったが、同じように死ぬものが続出していった。
後々わかったことによれば、かつてこの地で戦があり、敵方にいた町野久吉という勇士を銃撃し、その肉を食らったものたちだけが、このように絶叫して死んだという。
町野久吉は、最後の會津武士と言われた、町野主水の弟で、討ち死にした時は17歳であった。
兄に劣らぬその勇猛さのためか、闘志は死しても止まなかったために、このようなことになった、とのことだ。