ネット調べで申し訳ないんですが、會津は『外交官王国』だそうです。
代 表的な人物に、赤羽弥四郎、柳沢健、林権助、そして、松平恒雄氏の名前がありました。
話は逸れますが、幕末、他藩との外交や謀略的なもので失敗した會津が、こんな風に呼ばれるなんて、涙が出ます…
その松平恒雄氏は、容保公の六男で、唯一、他の四人とは母親が異なっています。
それが理由ではないでしょうが、軍人となった兄たちとは異なり、文官としての功が目立ちます。
駐英・駐米大使、宮内大臣、戦後初代の参議院議長まで務めており、外務大臣就任まで望まれていたそうです。
これに関しては次回に記しますが、若年期の交友関係などが、なかなかうらやましいです。
まず、幼少期の遊び相手は、町野主水の嫡男・武馬で、度々泣かされたりもしたとか。
そして御学友が、藤田勉なんですが、ようは、斎藤一の嫡男です。
(勉と命名したのは、山川浩兄さんです。)
さらに忘れてはならないのは、秩父宮勢津子妃殿下の実父ということ。
それに伴うあれこれ…
恒雄氏に関しては長くなりますが、よろしくお付き合いください。
代 表的な人物に、赤羽弥四郎、柳沢健、林権助、そして、松平恒雄氏の名前がありました。
話は逸れますが、幕末、他藩との外交や謀略的なもので失敗した會津が、こんな風に呼ばれるなんて、涙が出ます…
その松平恒雄氏は、容保公の六男で、唯一、他の四人とは母親が異なっています。
それが理由ではないでしょうが、軍人となった兄たちとは異なり、文官としての功が目立ちます。
駐英・駐米大使、宮内大臣、戦後初代の参議院議長まで務めており、外務大臣就任まで望まれていたそうです。
これに関しては次回に記しますが、若年期の交友関係などが、なかなかうらやましいです。
まず、幼少期の遊び相手は、町野主水の嫡男・武馬で、度々泣かされたりもしたとか。
そして御学友が、藤田勉なんですが、ようは、斎藤一の嫡男です。
(勉と命名したのは、山川浩兄さんです。)
さらに忘れてはならないのは、秩父宮勢津子妃殿下の実父ということ。
それに伴うあれこれ…
恒雄氏に関しては長くなりますが、よろしくお付き合いください。