雪下熊之助は、旧・會津藩士で、明治期の海軍軍人です。

1854年生だから、戊辰戦争時は、14歳。
山川健次郎先生と同い年ですから、日新館の同窓生かも知れません。

同い年なので、二人を並べて書いてますが、交流のほどは不明です。

母と兄を、鶴ヶ城の籠城戦で亡くし、斗南へ行きましたが、廃藩置県により藩がなくなり、海軍兵学校へ。(3期)

1876年、一年に及ぶアメリカへの航海から帰国しましたが、この年に父が亡くなります。

この年、健次郎先生は、東京開成学校の、教授補となっています。

同年、『清輝艦』乗組みとなり、海軍少尉補に任じられました。

雪下も、相当努力を重ねていたのは、想像に難くありません。
健次郎先生の姿を浮かべたりしたでしょうか。

しかし、これからという時に、翌1877年の西南戦争にて被弾。

熊本県船津沖にて、測量に従事中の銃撃だったそうです。3月11日、長崎の海軍仮病院にて亡くなりました。

因みに雪下は、海軍兵学校出身者として最初の戦死者となるそうです。

残された雪下家は、熊之助の祖母と継母だけになりましたが、養子(正しくは、熊之助の義孫)をもらい、雪下家は存続されました。

この義孫の勝美は、海軍兵学校で、硫黄島で有名な、南雲忠一と同期で、少将となります。

あと皇太子時代の昭和天皇の渡欧の際、お召し艦『香取』の航海長を勤めました。


秋月胤永先生を調べていたのに、なぜか雪下に…