健次郎先生は、東京帝国大学総長の他に、九州帝国大学初代総長にも就任していますが、辞任に際しと、九州帝大の学生たちが慰留を嘆願したそうです。

こうした人柄は、エール大学在学時、官費の差し止めにあっても、『国のために働くなら』と、授業を続けさせてくれた現地の人。

名前が残る人で言えば、援助をしてくれた、友人ロバート・モリスの伯母であるハルドマン夫人の恩に感じたことに、大いに応えたこと生き方をしたこともあるでしょう。

だから、自らの苦しい体験を元に書いたにも関わらず、著作『會津戊辰戦史』では、『東軍』『西軍』という表記をしたのではないしょうか。

自分を育んだ根本である會津を片時も忘れず、白虎隊を語ると涙を止められず、子母澤寛が『新撰組始末記』を記すと、礼状を送っています。

健次郎先生自身はリアリストですが、會津戦争で見送った、同い年の従兄弟・飯沼貞吉と同じく、長州人に保護されます。

また葬儀を伝通院で行いますが、弔辞を読んだのは、ともに戊辰で辛酸を舐めた、長岡藩出身の東大総長・小野塚喜平次でした。

自分の主義に関わらず、奇跡的な出来事がちりばめられた一生であったと思います。