11歳からの留学で、怪しくなってきた日本語を健次郎先生に矯正されたりと、『アメリカ娘(悪口)』咲ちゃんの一番の問題は、結婚でした。

縁談も来ましたが、アメリカの習慣が体に馴染んでいる咲ちゃんに、まだまだ旧習が根強い日本人相手では気がひけたのでしょう、この話は断っています。

そんな女版・新島襄な咲ちゃんに、後の陸軍元帥・大山巌との結婚話が持ち込まれましたが、当然家族(特に長兄)は大反対でした。

かつて、鶴ヶ城を砲撃した張本人のみならず、亡妻・登勢の仇からの縁談ですから、それも当然の返事でしょう。

度重なる西郷従道らの説得で、ついには『本人次第』という返事を、山川兄から引き出し、咲ちゃんも『人柄を見てから』と承諾しますが、政府の大物をここまで動かすのが山川家(特に…略)

咲ちゃんからデートを申し込み、さてお話を…と思ったら、お互いのお国言葉のキツさのせいか、(咲ちゃんは矯正中か)言葉による意思の疎通が困難を極めます。

そこで英語で会話をしてみたら、ようやく会話に不自由が無くなり、お互い理解出来始めました。

年の差歳(18歳)ではありましたが、二人は仲睦まじい姿を、度々周りに見せています。

長兄とは15歳差で、あまり違和感を感じなかったかも知れないですが、兄たちとの逸話ばかりなので出たブラコン説は、どんなもんか…

身の置きところのなかった咲ちゃんでしたが、当時の政府高官が鹿鳴館で開いていた、婦人同伴のダンスパーティー(お客は外国要人)などでは、水を得た魚と言っても過言ではありません。

不慣れな周りの女性をよそに、まさに『レディ』な立居振舞いで、『鹿鳴館の華』と称されたのは有名な話です。

留学の経験を生かし、教育や看護で様々な業績を遺した咲ちゃんは、1919年(大正8年)スペイン風邪により、58歳で亡くなりました。