今回は、「道祖神」の写真、「大岳山」の写真、八王子市の北口にある多摩地域最高層の「サザンスカイタワー八王子(地上41階、地下2階)」の写真、それに「大山詣(おおやままいり)」で有名な丹沢山地の「大山」の写真を添付します。

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『※鎌倉古道』の坂道の入口にある江戸時代に造られた石像2体

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街道を通る人々の安全を見守った『※道祖神』
街道を通る人々の安全を見守った『阿修羅像か千手観音石像か』

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※『鎌倉古道』は都道506号線(鎌倉古道が整備されて現在の都道になったと思われる)の南大船のバス停から百メートルぐらい先の町田に向かって左手にあります。この古道の入口には道祖神と阿修羅像か千手観音石像かの2体が常駐していて、昔は鎌倉古道を通る人々を見守っていたのでしょう。大船から七国の「七国おおふね若山緑地」まで、鎌倉古道のゆるやかな坂道が百メートルあまり続きますが、左右が木々でずっと覆(おお)われて、ひんやりとして涼しく、静かな道なので鳥たちの囀(さえず)りが聞こえてきます。春は、鶯(うぐいす)の鳴き声を一人占めできます。
※鎌倉古道:鎌倉と八王子をつなぐ『鎌倉街道』(『鎌倉古道』)は、鎌倉時代(1185年)頃より旧東海道から伊勢原、厚木、津久井より相原を経由し八王子の甲州街道に至る重要な街道として、明治時代まで利用されていました。一般的に『鎌倉街道』は、1185年、源頼朝は鎌倉に幕府を開いてから、支配力強化のために鎌倉を中心に東国の各地域とを結ぶ新たな道路整備に力を注いで、次々と鎌倉と東国各地とを放射線状に結ぶために造られた道路です。なお『鎌倉街道』は、特に鎌倉時代に鎌倉政庁(幕府)が置かれた鎌倉と東国各地とを結んだ道路網を指し、「鎌倉時代の関東近郊の主要道」の意として用いられています。    
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※道祖神:村内と村外の境界や集落の中心部などの道辻(みちつじ)に、おもに石碑(せきひ)や石像の形でお祀(まつ)りされている神様で、悪疫(あくえき)の侵入を防ぐ守り神、子孫繁栄、旅の平安や安全などの神として全国各地で信仰されています。現代に残る道祖神は、主に石造りで、石像や石碑、石祠(せきし=石で造られた小さな祠[ほこら])、自然石や加工した玉石(ぎょくせき)・陰陽石(いんようせき)などいろいろな形があります。これらの石像や石碑などは、ほとんどが江戸時代以降のものです。道祖神やそれに類する石像・石碑などは全国に広がっています。その中で石像の『双体(そうたい)道祖神』は中部地方と関東地方の長野県・山梨県・群馬県・静岡県・神奈川県に多く分布しています。
奈良時代から「道祖」という語がありましたが、「ふなど」・「くなど」と読まれました。この呼び名は人名や地名の一部でした。「くなど」などは、古来からの土地の神に、中国から伝来した「道祖」という漢字の文字をあてたのが『道祖神』の初源だと考えられます。平安時代、『道祖』『道祖神』は「さいのかみ」「さへのかみ」と呼ばれていました。『どうそじん』と読まれ始めた確かな例は、鎌倉時代前期(西暦1200年代前半)です。ちなみに、江戸時代前期の松尾芭蕉の『奥の細道』の序文に『道祖神』が登場しますが、これは「どうそじん」と読まれています。 
ちなみに、『神無月』(かんなづき・かみなづき・かむなづき)には、日本国中の八百万(やおよろず)の神々が、出雲大社に集まると言われていますが、出雲に参集される神様は山野や河川などに住む『国津神(くにつかみ)』だと言うことです。『高天原(たかまがはら)から降臨した天津神(あまつかみ)』は特に出かけないとされています。また、『道祖神(どうそじん)』、恵比寿(えびす)様、金比羅(こんぴら)様、竈(かまど)の神様なども、ずっと留守番をしてくれると言われているので、『神無月』でも日本国中の街道は『道祖神』に見守られているのです。    
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「七国おおふね若山緑地」の上の高台には360度の大パノラマになっている所があり、※関東山地と※丹沢山地の山々が眺められます。雲一つない天気の良い日には、はるか遠くの北の『赤城山』の姿も眺められます。その昔は、まさしく『七国』が見えた『※七国峠』がある『鎌倉古道』だったのです。『富士山』も「富士隠しの山」と言われる『大室山(おおむろやま)』の上に頭を少し覗(のぞ)かせています。それに、「大山詣(おおやままいり)」で知られている丹沢山地の南端の『大山』も、その全身の姿がはっきり見えます。
※関東山地:関東地方と中部地方(中日本)を隔(へだ)てる山地です。関東平野の西側にあり、群馬県、埼玉県、東京都、神奈川県、長野県、山梨県にまたがります。相模川を境に大きく南北に分かれ、北側に『秩父山地』、南側に『丹沢山地』が広がります。最高峰は山梨県山梨市の※奥秩父山塊(おくちちぶさんかい)の北奥千丈岳(きたおくせんじょうだけ)で、標高2,601m。
【※奥秩父山塊:野辺山高原の南東に位置する飯盛山(1643メートル)から雲取山(2017メートル)および南は三窪高原まで、広くはそれに東は奥多摩エリア、北は両神山(1723メートル)付近、南は大菩薩連嶺までを加えた山塊で関東山地の中心部をなしています。『奥秩父山地(おくちちぶさんち)』ともいいます。
千曲川(信濃川上流)、荒川、笛吹川(富士川上流)、多摩川の4河川の水源域であり、山域に火山を含まないことも特徴となっています。】
利根川水系、荒川水系、多摩川水系、相模川水系、富士川水系、信濃川水系の源流部となります。妙義山、両神山、瑞牆山、金峰山、甲武信ヶ岳、雲取山、大菩薩嶺、大岳山、丹沢山などの山々があります。秩父山地の北部には『秩父多摩甲斐国立公園』・『妙義荒船佐久高原国定公園』・『明治の森高尾国定公園』、南部には『丹沢大山国定公園』があります。

《関東山地の東京都の山》
川乗山(かわのりやま)1363m
酉谷山(とりだにやま)1718m
雲取山(くもとりやま)2017m
三頭山(みとうさん)1531m
大岳山(おおだけさん)1266m
陣馬(場)山(じんばさん)855m
高尾山(たかおさん)599m
※丹沢山地:神奈川県北西部に広がる山地。東西約40キロメートル、南北約20キロメートルに及び、神奈川県の面積の約6分の1を占めます。『秩父山地』等と合わせて『関東山地』とも呼ばれます。『丹沢山地』の大部分は山岳公園として『丹沢大山国定公園』と『神奈川県立丹沢大山自然公園』に指定されています。
※七国峠:関東の七州、武蔵(むさし)、相模(さがみ)、甲斐(かい)、信濃(しなの)、安房(あわ)、下総(しもうさ)、上野(こうずけ)の七つの州が見えたことから『七国峠』と呼ばれました。
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「七国おおふね若山緑地」から見た『※大岳山(おおだけさん・おおたけさん)』の写真3葉

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夕焼け時の『大岳山』と『関東山地』の山々
夕焼け空に映える『大岳山』の拡大写真

昼間に見た『大岳山』。雲と語らっているようだ。
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「七国おおふね若山緑地」から見た『※大岳山(おおだけさん・おおたけさん)』の写真3葉

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※大岳山:東京都西多摩郡檜原村(ひのはらむら)、奥多摩町の境界、奥多摩山域にある標高1,266.5mの山。標高はさして高くないが、個性的な山容(山体が片肩上がりになっている)を備えた『奥多摩の名峰』です。

多摩川の南岸にある「大岳山、御前山(ごぜんやま)、三頭山(みとうさん)」を『奥多摩三山』と呼びます。東京都の「奥多摩山域の代表的な山の一つ」で、『多摩百山』に選ばれています。また、「日本二百名山」及び「※花の百名山」の一つに数えられます。(※田中澄江は「花の百名山」として、代表する花の『イワウチワ』を紹介した。)多様な登山コースがあり、初心者から経験者まで幅広く楽しめる山です。

ちなみに、八王子辺りの人達はこの山を「キューピー人形の頭に似ている」ところから『キューピー山』と言います。また、「おぼっちゃまくんの頭に似ている」ことから『茶魔山(ちゃまやま)』という人もいますし、『でこちん山』『でこぴん山』という人もいます。山は見る方角によって山容が変わるので同じ山でも地域によって呼び名がちがいます。

『大岳山』は古くから「農業の神」として、また「火災や盗付近の『大岳神社(大嶽神社)』は「徳川幕府の江戸守護の祈願」が行われていたそうです。山頂付近の特徴的な山容である「片肩上がりの山体」はどこからでも識別できます。古く『武蔵通志(山岳篇)』では「両総(りょうそう)地方(上総、下総両国を含むにて武蔵(むさし)の『鍋冠山(なべかぶりやま)』と称(しょう)し海路の標(しるべ)となす」と記されています。つまり、江戸期には江戸湾に出入する船の目標「海路の標」でもあり、湾の漁民からも目印にされたようです。いわゆる『天文山(てんもんやま=方向などを観測するための山』の1つです。山名(さんめい)も古い文献を見ると『大岳』となっています。この「片肩上がりの山体」が「鍋の蓋(ふた)を伏(ふ)せたように見える」ところから『鍋割山(なべわりやま)』『鍋冠山(なべかぶりやま)』と呼ばれました。また、東京都多摩地域、埼玉県所沢市、神奈川県相模原市付近でも、「キューピー山、茶魔山(漫画「おぼっちゃまくんの主人公:御坊茶魔より)」など 「地域での通称」がつけられています。なお、大岳山に隣接する山として、御岳山(みたけさん)・鍋割山(なべわりやま)・鋸山(のこぎりやま)が挙げられます。

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「七国おおふね若山緑地」から見た『八王子市内』の写真4葉

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夕焼けに照らされた八王子市内の町並み⇒5.2倍
夕焼けに照らされた八王子市内の町並み⇒10倍
夕焼け照らされたサザンスカイタワー⇒15.6倍

早朝に見たサザンスカイタワーの姿

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「七国おおふね若山緑地」から見た『八王子市内』の写真4葉

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八王子市・日野市・羽村市など多摩地域にお住まいの皆様は西の方に見える関東山地の山々をご覧になられたことがおありだと思います。なお都心からも関東山地の山々を見ることができるのではないでしょうか。「東京近郊から見える西の山々」は、「伊豆半島がプレート活動により本州にぶつかり押し上げた地面の『しわ』」なのです。見る場所により「富士山の位置」はかなり変わりますが、「その他の山の並び方」はそんなには変わりません。近年、東京は大気汚染も落ち着いた上に都市化による乾燥のため、今はきれいに『関東山地』の山々の姿を見ることができます。
ちなみに、僕が上京した約半世紀前は「光化学スモッグ」で東京の街はいずこもスモッグで覆(おお)われていたので、この『関東山地』の「西の山々」を眺めることなどまったくできませんでした。光化学スモッグは、まさしく悪夢(悪霧)でした。今、「光化学スモッグ」は中国で猛威を振るっているそうです。
なお、上の大岳山の写真3葉は八王子市七国町に残されている「鎌倉古道(七国古道)」の「七国おおふね若山緑地」の高台になっている所から撮ったものです。僕が良くお参りに行っている「道祖神」と「阿修羅像」がある所は、わずかに残された「鎌倉古道」の坂道の入口にありますが、この入口から南北へ続いている「鎌倉古道」の坂道を登って行くと「七国おおふね若山緑地」に出ます。そこから右手にある竹林などを見ながら七国の住宅街の高台にある坂道をずっと上って行くと、残念ながら行き止まりですが、行き止まりの所から東京都水道局の大船配水所の2基の巨大タンクが見えます。その行き止まりから少し引き返して、眺めの良い所を探します。そうすると、東側や北側に八王子市の町並みや関東山地の山々、それに丹沢山地の山々が本当にくっきりと見えます。この高台は360度の大パノラマです。僕は1月18日にこの場所を初めて訪れ、こんなに景色の良い所、眺めの良い所があるのかと本当に驚かされました。大発見です。なお、これまでは完全な形で残されている「七国古道(鎌倉古道)」の「七国峠」には何回も行ったことがあります。「鎌倉古道」沿いの「七国峠」の1番高い所に安置してある「大日如来」を拝みに時々参ります。その近くには「名勝・七国山関七州見晴台跡」という石碑がありますが、残念ながら今は、その石碑のあたりは周りを大きな木々で囲まれているので「七国」を見晴らすことはできません。