東山魁夷「花明り(はなあかり)」の部分図(講談社『日本大歳時記』より)
この絵は、東山魁夷が京都の「円山(まるやま)公園のしだれ桜」を見て描いたものだ。満開のしだれ桜とその真上の満月、この瞬間をとらえた『花明り』という作品は、お月様のように心まで丸くなってしまう絵だ。

(東山魁夷画「花明り」 昭和43年[1968年] 127×96㎝ 北澤美術館蔵) 

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東山 魁夷(ひがしやま かいい、1908年[明治41年]7月8日~1999年[平成11年]5月6日)(90歳没)は、日本の画家、版画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人で、「風景画の分野では国民的画家」といわれる。

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東山魁夷は画家であるが、その文才も素晴らしい。僕は、彼の文体自体がとても好きなので文庫本で彼の作品を読んでいるが、彼の文章を読むと情景が色彩とともに心の中に映し出されてくる。とにかく、美しい文章である。また、彼の絵画に対して深い理解をすることができる文章でもある。

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「東山魁夷小画集」(全6冊)[新潮文庫]

『京洛四季』『中国への旅』『唐招提寺全障壁画』

『風景との巡り合い』『ドイツ・オーストリア』

『森と湖と』

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折しも桜の季節、「花明り」という作品を描くきっかけになった出来事が書かれている彼の素敵な文章と東山画伯の画集の解説に掲載されている詩のような文章とを次にご紹介するので、「円山のしだれ桜と満月」の絵『花明り』の解説をご堪能ください。

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円山の桜:花明り(『日本の美を求めて』より)

  京都を主にした連作を描いた頃のことである。円山(まるやま)の夜桜として知られている、あの、枝垂(しだれ)桜の満開の姿と、春の宵(よい)の満月が呼応する情景を見たいと思った。
  四月十日頃だったか、その夜が十五夜であることを確かめて京都へ向かった。昼間、円山公園へ行ってみると、幸いに桜は満開であった。春の陽差しが今宵の月夜を約束するかのように明るかった。夕方までの時間を寂光院(じゃくこういん)や三千院(さんぜんいん)を訪ねて過ごし、頃合いを見て京都の町へ帰って来た。 
 下鴨(しもがも)あたりだったか、ふと、車の窓から覗(のぞ)くと、東の空に、ぽっかりと円い大きな月が浮かんでいるではないか。私は驚いた。円山の桜を前にして東山から顔を出したばかりの月が見たかったのであって、空高く月が昇(のぼ)ったのでは意味が無くなってしまう。大原(おおはら)で時間をとり過ぎたことが悔(く)やまれた。 
 円山公園へ急いで辿(たど)り着くと、私はほっと一息ついた。ここでは山が間近であるため、幸いに月はまだ姿を見せていなかった。紺青(こんじょう=鮮やかな明るい藍[あい]色)に暮れた東山を背景に、この一株のしだれ桜は、淡紅色(たんこうしょく)の華麗(かれい=はなやかで美しいこと)な粧(よそお)いを枝いっぱいに着けて、京の春を一身に集め尽(つ)くしたかに見える。しかも、地上には一片の落花もなかった。
  山の頂が明るみ、月がわずかに覗き出て、紫がかった宵空(よいぞら)を静かに昇り始めた。花はいま月を見上げる。月も花を見る。この瞬間、ぼんぼりの灯(あかり)も、人々の雑踏も跡かたも無く消え去って、ただ、月と花だけの清麗(せいれい)な天地となった。
 これが巡(めぐ)り合わせと言うものであろうか。花の盛りは短く、月の盛りと出合うのは、なかなか難しいことである。また、月の盛りは、この場合ただ一夜である。もし、曇りか雨になれば見ることが出来ない。その上、私がその場に居合わせなければならない。
 これは一つの例に過ぎないが、どんな場合でも、風景との巡り合いは、ただ一度のことと思わねばならぬ。自然は生きていて、常に変化して行くからである。また、それを見る私達自身も、日々、移り変わって行く。生成と衰滅(すいめつ=おとろえほろびること)の輪を描いて変転してゆく宿命(しゅくめい=生まれる前から決まっている運命)において、自然も私達も同じ根に繫(つなが)っている。
 花が永遠に咲き、私達も永遠に地上に存在しているなら、両者の巡り合いに何の感動も起こらないであろう。
花は散ることによって生命の輝きを示すものである。花を美しいと思う心の底には、お互いの生命のいつくしみ、地上での短い存在の間に巡り合った喜びが、無意識のうちにも、感じられているに違いない。それならば、花に限らず名も知らぬ路傍(ろぼう=みちばた)の一本の草でも同じことではないだろうか。
 風景によって心の眼(め)が開けた体験を、私は戦争の最中に得た。自己の生命の火が間もなく確実に消えるであろうと自覚せざるを得ない状況の中で、初めて自然の風景が、充実した命あるものとして眼に映った。強い感動を受けたそれ迄(まで)の私だったら、見向きもしない平凡(へいぼん)な風景ではあったがーー

(東山魁夷『日本の美を求めて』[講談社学術文庫、1976年])

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「円山」(『東山魁夷小画集』解説)
 花は紺青に暮れた東山を背景に、繚乱(りょうらん)と咲き匂(にお)っている。この一株のしだれ桜に、京の春の豪華を聚(あつ)め尽したかのように。
 枝々は数知れぬ淡紅の※瓔珞(ようらく)を下げ、地上には一片の落下も無い。
 山の頂が明らむ。月がわずかに覗(のぞ)き出る。丸い大きな月。静かに古代紫の空に浮び上る。
 花はいま月を見上げる。
 月も花を見る。
 桜樹を巡る地上のすべて、ぼんぼりの灯(あかり)、篝火(かがりび)の焰(ほのお)、人々の雑踏、それらは跡(あと)かたもなく消え去って、月と花だけの天地となる。
 これを巡り合わせというのだろうか。
 これを『いのち』というのだろうか。

※瓔珞とは、珠玉や貴金属を編んで、頭・首・胸にかける装身具。

 (東山魁夷小画集『京洛四季』[新潮文庫])