片倉城跡公園の「住吉沼」わきの人を寄せ付けることのない高さ15メートル以上もある辛夷(こぶし)の大木

片倉城跡公園内にある住吉神社参道わきにある高さ5メートルほどの辛夷の木と辛夷の白い花々
片倉城跡公園の水車と水車小屋(2023年3月19日)

片倉城跡公園で廻っている水車の動画

https://photos.app.goo.gl/94CJQWeNYWftR7e79


くるくる廻っている水車の動画(2023年7月26日)
片倉城跡公園の水車お休み中(2023年12月26日)
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昨年5月25日、僕は『Google フォト』の「ファイル」の写真を開き、写真の下にある「レンズ」という機能を初めて起動させてみた。何と、この「レンズ」という機能は「花の識別」ばかりではなく「鳥の識別」も行うことができた。まさしく驚き桃の木山椒の木!!なお使ってみたところ、「花の識別」よりも「鳥の識別」の方が確かなように感じられた。この機能をご存知ない方は、是非、一度お試しあれ!
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上の写真2葉は片倉城跡公園の辛夷の木。1番上が片倉城跡公園で1番高い辛夷の木、その下は綺麗な白い花が目立つ小振りの辛夷の木。いずれも2023年3月19日に撮影。片倉城跡公園は「木の花」の辛夷の花、椿の花、その「木の花」の下には「草の花」のカタクリの花、ミスミソウの花、アズマイチゲ、バイモユリなど、色々な花で彩(いろど)られていた。この辛夷の花を撮影した日は、冬の間、停められていた水車小屋の水車は心地良く、くるくる勢いよく回っていた。3段目は、この水車の写真、4段目は回転している水車の動画。5段目は休眠中の水車の様子。昔は水車が動き出すと田植えが近いということを人々は感じていたというが、その喜びは一入(ひとしお)だっただろう。
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  北の春        丸山薫


どうだろう

この沢鳴(さわな)りの音は。

山々の雪をあつめて

轟々(ごうごう)と谷にあふれて流れくだる、

この凄(すさま)じい水音は。

緩(ゆる)みかけた雪の下から

一つ一つ木の枝がはね起きる。

それらは固(かた)い芽(め)の珠(たま)をつけ、

不敵(ふてき)な鞭(むち)のように

人の額(ひたい)を打つ。

やがて、山裾(すそ)の林は うっすらと

緑(みどり)いろに 色付くだろう。

その中(うち)に 早くも

辛夷(こぶし)の白い花もひらくだろう。


春早く、授業の始めに

一人の女の子が手を挙(あ)げた。

--------先生、燕(つばめ)がきました。


      (詩集『仙境(せんきょう)』より)

※丸山薫(1899〜1974年)は、終戦・敗戦(1945年{昭和20年})を挟(はさ)んで1944年(昭和19年)から1948年(昭和23年)まで山形県西川町岩根沢に疎開(そかい)し、そこで岩根沢国民学校の代用教員をした。現在、岩根沢には『丸山薫記念館』がある。

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※この詩は文語文で書かれているが、読みやすいように口語文に直し、本来は読み仮名が付いていなかった漢字にルビを付け加えた。また、この詩にはまったくなかった部分に読みやすいように句読点を付けた。

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《鑑賞》

厳しい冬が過ぎ去ったあとの北国の春の訪れを知った感動が、この詩の中心である。第一連の冒頭で「どうだろう」と、いきなり『呼びかけ法』を使っているが、この表現は作者の驚きの直接的な表現であり、相手に語りかけでいるようでもあるが、相手がいないから、これは自分自身に語りかけた独(ひと)り言になる。とっさに出てしまった言葉、また読者を意識した言葉だとみることもできる。「どうだろう」という言葉が冒頭にあることで、季節の変化の驚きが詩の中心になっていることがわかる。「この沢鳴りの音は」も「轟々と谷にあふれて流れくだる、このすさまじい水音は」も、 両方とも「どうだろう」に返っていく『倒置法』が使われている。読者に 「この音は、どう。ものすごい迫力じゃないか!」 と言っている。丸山薫は「谷川の音」に驚き、その水音が強烈だということを「轟々と」「凄まじい」という言葉を使って表現している。「谷川の音」が大きいのは「谷にあふれて流れくだる」ほど水の量が多いからだが、水量が多い原因は「山々の雪をあつめて」という表現でわかる。

この詩の言葉遣いを良くみると、第一連の「外界に実在する自然から感じ取った部分」では、固くて強い言葉を使って「沢鳴りの音から感じ取った春の始まり」を表し、第二連の「春を想像する部分」では、柔らかい感じの言葉を使って「周囲の春が目覚めている情景」を確かめている。第三連では、女の子の「燕がきました」という言葉で春の訪れに対する喜びを丁寧な言葉で表現している。

第三連の前を1行あけたのは、第一連と第二連は筆者の脳裏(のうり)に浮かんだこと、想像した自然の出来事が書かれているのに対して、第三連には作者の目の前で起きている現実が述べられているからだ。つまり第一連・第二連には詩人が想像したことが描かれていて、第三連は詩人の目の前の出来事が書かれている。なお、この詩は読者の五感の中の聴覚・視覚・触角に訴えている素晴らしい作品だと言えるのではないだろうか。

ちなみに作者・丸山薫が国民学校の代用教員をしていた山形県西川町岩根沢は豪雪地帯だが、雪の多い長い長い冬を耐(た)え抜いた人々にとって、「春の訪れ」を感じとる喜びは一入(ひとしお)だろう。この『北の春』という詩は生命が無限であることを明るく告げているが、「燕がきました」という言葉は岩根沢に春が来たという出来事を表している。「来年も、再来年も、厳しい冬の次には必ず春が訪れるのだ。」というように、「時は流れるものではなく、巡(めぐ)るもの」だと訴えているようだ。最終行の女の子の「先生、燕がきました」という一言を、雪深い岩根沢で教員をしていた丸山薫も、この村に住む一人の人間として自分の心の声として聞いたのである。

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南北に長さ約3000km、縦にとても長い日本列島にやって来る燕の飛来時期は各地で異なるが、山形県山形市には昨年2023年は4月12日に飛来したという報告があがっている。ちなみに東京都あきる野市には、昨年は3月27日に飛来したそうだ。いずれの地にも2羽(番=つがい[動物の雄と雌の一組み。また、夫婦。])でやって来たという。日本中で益鳥のツバメの到来を今や遅しと待ち望んでいる人が少なくない。

平年、「つばめの初見(はつみ)」は3月上旬から「九州地方南部」で始まる。 3月 20 日に「九州地方」「四国地方 」に達し、3月 31 日に「中国地方」「近畿地方」「北陸地方」「中部地方」を結ぶ地域、4月 10 日に「東 海地方」「関東甲信地方」「東北地方南部」を結ぶ地域、その後に「東北地方北部」を北上し、4月下旬 には「北海道地方」に達する。

今年2024年は、「つばめの初見」の報告が一時期は一気に増えたが、今(3月28日現在)は停滞気味だ。ここのところ気温が下がってしまっているのが原因かも知れない。秋田や岩手,南東北など北の方でも徐々に「つばめの初見」が記録されはじめているので、今週はさらに増えてくるかも知れない。東京は、一昨日は雨模様の1日でとても寒かったが、昨日は陽射しが強く、ひさしぶりにとても暖かい1日だった。まさしく三寒四温で、春に向かっている。ただし、残念ながら気象庁の桜の開花宣言のもとになっている靖国神社の標本木の桜は未だに蕾のままだと昨日、テレビで放送していた。各地で桜の開花が足踏みさせられているようだが、暖かいフィリピンやベトナム、マレーシア、インドネシアなど遠く南の方からはるばる(距離にして、約2,000km~5,000km)日本へやって来るツバメ達も、この寒さのために足止めを食らっているのだろう。ちなみに、足環を着けられたツバメで移動距離がいちばん長いのは、インドネシアから日本までの移動で約6500kmだという。