前へ    大木実

少年の日読んだ「家なき子」の物語の結(むす)びは、
こういう言葉で終わっている。
――前へ。
僕はこの言葉が好きだ。

物語は終っても、僕らの人生は終わらない。
僕らの人生の不幸は終わりがない。
希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語のなかの少年ルミよ。
僕はあの健気(けなげ)なルミが好きだ。

辛(つら)いこと、厭(いや)なこと、哀(かな)しいことに、出会うたび、僕は弱い自分を励(はげ)ます。
――前へ。

詩集『冬の支度』1971年(昭和46年)
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『家なき子』はフランスの小説家・エクトール・アンリ・マロの原作、今から約150年前の1878年に書かれた「児童書」です。たくさんの子どもたちが愛読した物語の一つで、「不朽(ふきゅう)の名作」として世界的に評価されています。「家なき子」は、家のない子です。『家なき子』は「親のいない身寄りのない少年ルミ」が、旅芸人のおじいさんに引き取られ、いろいろな所を旅する「冒険小説」。自分が孤児だということを知り、旅芸人として生きていく少年。旅芸人の団長が、投獄(とうごく)され、食べていけなくなったり、実の親が捜(さが)しているのに、手がかりを持つ人が死んでしまったり、せっかく再会できた家族が泥棒で生計をたてていたり、引き取ってくれた植物園が霜(しも)の被害で破産してしまったりした。ほんの少しの幸せの次に必ず訪れる悲しみや困難。(読んでいて胸が詰まった覚えがあります。)映画化もされ、日本ではアニメーション映画にもなっています。
大木実の『前へ』という詩は、一読して何の解説もいらないほど平明なやさしい詩です。筆者は『家なき子』の「少年ルミが悲しい境遇にも負けず、希望をもって生きていく姿に感動」しました。実は㊙筆者自身も幼年時代、7歳の時に実母が病気により死去、さらに11歳の時には関東大震災(1923年)により継母(ままはは)および実弟、実妹が犠牲(ぎせい)となり、13歳の時に三人目の母が逝去(せいきょ)するなど、不遇(ふぐう=めぐりあわせが悪くて世間に認められないこと)な生活を過ごしました。また、青年時代は、28歳で結婚しましたが、その2ヶ月後に召集。終戦後、35歳から埼玉県大宮市の大宮市役所勤務しましたが、勤めて4年後に肺結核に冒され、その後10年間、勤めながら療養生活を強いられました。それでも、筆者は人生の喜びも悲しみも淡々と受け止めていました。このような苦境の中で大木実は、ことあるごとに『家なき子』の言葉を思い出し、自分を励ましていたのではないでしょうか。筆者は「辛いこと、厭なこと、哀しいことに次々と出会いました」が、そのたびに『家なき子』の最後に出てくる『前へ』という言葉に励まされ、どんなにつらくても、自分の悲しみや不幸を乗り切って「前へ」進んでいこうとしました。
「希望を捨てずに頑張れ」とか「負けずに前へ進もう」という言い古された呼びかけでは、あまり心に響きませんが、筆者が感動した『家なき子』の言葉であればこそ人の胸に残るのではないでしょうか。『家なき子』を読んだ筆者の感動が、この『前へ』という言葉に魂を吹き込み、「生きた言葉」に変えました。感動すると勇気づけられ、心が元気になり、魂がふるいたちます。この詩の中で「僕はこの言葉が好きだ。」「僕はあの健気なルミが好きだ。」などと、気恥ずかしくなるぐらいに、とってもストレートに気持ちが表現されていますが、そのストレートさが逆に胸を打ちます。真っ直ぐすぎてまぶしいぐらいですが、ちょっと元気が出ます。自分を励まさないとやっていけない時には、回りくどい言葉よりもストレートの直球の方がストンと腹に落ちる(納得する)のかもしれません。人は、辛いとこと、厭なこと、哀しいことに出会うたびに「弱い自分を励ます言葉」が必要なのです。この『前ヘ』という言葉は、とても素晴らしいものです。「たとえどんなことがあっても前へ進もうという、自分への励ましから生まれた」のが『前へ』という詩だと言えます。
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僕の心に沁みた大木実の詩は少なくありません。機会があればご紹介します。