NHK朝ドラ『ブギウギ』の最終回は3月29日。僕は大学生の時、新聞奨学生として学業と新聞配達の両立ができた。本当に朝日新聞店の人々にはお世話になった。大学卒業後も新聞は購入して読み続けたが、新聞の中で毎日、必ず読んでいたのが『天声人語』だ。この記事を書いていた『天声人語子』の中で僕が好きだったのは、
『荒垣秀雄 1946年5月 - 1963年4月』
『深代惇郎 1973年2月 - 1975年11月』
『辰濃和男 1975年12月 - 1988年8月』
『白井健策 1988年8月 - 1995年8月』
『栗田亘 1995年8月 - 2001年3月』
の面々である。僕が上京したのは1972年だったので深代惇郎、辰濃和男、白井健策、栗田亘の記事は、同時代に読んでいた。
朝日文庫・天声人語シリーズ
8『深代惇郎』9『辰濃和男』10『辰濃和男』
11『辰濃和男』12『白井健策』13『白井健策』
14『栗田亘』
ちなみに僕は塾に勤務していた時、「新聞読解」として『天声人語』を使って、時事問題や現代社会を知るための問題を作成して塾生諸君に解かせた。この「新聞読解」は随筆文対策、論説文対策、論理的文章対策になり、塾生諸君の読解力は磨かれた。国語の試験勉強対策として問題集や過去問や入試問題を解くだけではなく、「新聞読解」を行なうことはお勧めだ。残念ながら、2000年代になり、新聞などのマスコミ業界の発言の自由が失われたのではないかと僕には思われ、新聞をあまり読まなくなったが、今も昔の『天声人語』の名文は読んでいる。昨年末、『辰濃和男』の『ブギの女王・笠置(かさぎ)シズ子』の追悼記事『ブギウギの時代』に出逢ったので皆様にもご紹介する。
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『天声人語』(1985年4月4日)
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「ブギウギの時代」
 笠置シズ子がその名を流行歌史にとどめるのは、美声とか歌のうまさとかのためではなく、歌の舞台に「動き」の迫力を爆発させたことのためだろう。
 舞台の上で動き回って歌うのは、今ではもうごく当たり前のことだが、笠置シズ子の時代にあっては革命的なことだった。東海林太郎は直立不動で歌った。昔は姿勢を正しくして歌わないとお客さんに失礼になるという感じがあった、と「東京ブギウギ」の作曲家、服部良一さんは回想する。笠置さんに思い切って動くことを勧めた。
 静から動へ、流行歌の舞台の革命である。肉体の存在を主張する激しい動きと解放感のあふれる叫びが、腹をすかせて見にくる人びとの腹に響いた。主食の欠配が続き、歌う本人も「わてかて腹へってた」という時代だった。
 「東京ブギウギ」や「ジャングルブギ」には、ヤミ市に生き抜くものの生命力があふれていた。日劇の舞台に夜の女たちが押しかけたこともあった。後年、その中のひとりラクチョウのあねごお米さんが結核で死んだ。
 笠置さんがかけつけた時、あねごは口がきけない。「なんでもっとはよう呼んでくれなんだんや」とブギの女王は泣いた。「忙しい人を呼んで迷惑をかけてはだめ」とお米さんが周囲の者にきつくいっていたためだ。
 長い間テレビの「家族そろって歌合戦」の審査員をしていたが、笠置さんは、勝ち残った人をほめるよりも敗れた人に「惜しいなあ。惜しかった。またいらっしゃい」と声をかけることが多かった。「惜しかったア」という温かく笑う時の表情に味があった。
 時代には時代の歌がある。60年安保のころは西田佐知子の「アカシアの雨が止む時」がはやり、高度成長の末期には藤圭子の「夢は夜ひらく」がはやった。「不確実性の時代」が流行語になったころにはピンク・レディーの「UFO」が大流行になった。笠置シズ子のブギウギもまた、時代と共に燃え、時代と共に燃えつきる歌だった。明日は告別式である。
(笠置シズ子さん 1985年3月30日死去、70歳。)
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ウィキペディアより
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笠置 シヅ子(1914年[大正3年]8月25日 - 1985年[昭和60年]3月30日)(70歳没)は、日本の歌手、女優。本名は亀井 静子(かめい しずこ)、別名三笠 静子。出身地:香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)。ジャンル:歌謡曲。活動期間:1927年 - 1985年。レーベル:日本コロムビア。共同作業者:服部良一。
戦前から戦後にかけて活躍し、特に戦後は『ブギの女王』として一世を風靡(ふうび)した。躍動感に乏しい楽曲と直立不動で歌うソロ歌手しか存在しなかった戦後の邦楽界に、「黒人音楽の影響を受けた躍動感のあるリズムの楽曲と派手なダンスパフォーマンスを導入」したことで『革命的な存在』になった。『日本の戦後歌謡曲の原点』でありながら時代に左右されない明るい魅力を持つ笠置の歌は今日に至るまでたびたびカバーされ、日本のポップス、あるいはJ-POPに多大な影響を与え続けている。代表曲は1947年に発表された『東京ブギウギ』。
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(エピソード)
1951年春に『※笠置シズ子の後援会長』を引き受けたのが、実父の友人で同じ香川県出身の『※南原繁(なんばらしげる)』である。南原は当時、「東京大学総長」の要職にあった。シズ子の後援会には錚々(そうそう)たる顔ぶれが集まり、『作家の吉川英治、林芙美子、林房雄、フランス文学研究の辰野隆、画家の梅原龍三郎、女優の田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子』らの名前があったが、特に映画『銀座カンカン娘』で共演した高峰秀子は、シズ子の追っかけをするほどの大ファンであり、シズ子のことを『笠置シヅ子は歌そのものであった』と絶賛していた。しかし、そんな著名人たちよりさらに熱心なファンであったのは、夜の街で売春をしていた街娼たちであり、シズ子のステージの前列には、花束を持って目を輝かせている街娼(がいしょう)たちの姿を見ない日はなかったという。彼女たちから「シーちゃんがんばれ!」との熱心な応援を受けたシズ子は「毎日二、三十人の人たちが団体で見てくれはりますが、そのお金がみんな血の出るような貴いものなので泣けてしょうがおまへん。」と感激し、後々まで彼女たちの更生への支援を惜しまなかった。
※笠置シズ子の評伝本 『ブギの女王・笠置シヅ子』(著者・砂古口早苗[さこぐちさなえ])
※南原繁を主人公とした『夏の坂道』(著者・村木嵐[むらきらん])
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シズ子の判明している趣味は読書であり、特に小説が好きで感銘(かんめい)を受けたのが『風と共に去りぬ』と『細雪』であった。「戦記物」にも非常に興味があり、『軍艦大和』(著者:吉田満)を出版早々に買い込んでいたが、仕事が多忙でなかなか読む時間がとれないと嘆いていたこともあった。『軍艦大和』は『GHQ』に目の敵(かたき)にされ、1946年と1948年に2回も販売禁止処分となり、要約版の出版を経て『戦艦大和ノ最期』と改題されて全文が読めるようになったのは、『GHQ』が廃止された1952年8月になってからであった。
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若手時代の『笑福亭鶴瓶』は、シズ子と垂れ目で顔が似ていることもあり、自己紹介のつかみでメガネを外して『私の母は笠置シズ子です』と言うことがあり、人気番組『突然ガバチョ!』(毎日放送テレビ)でメガネを外し、CMのシズ子に倣(なら)った割烹着(かっぽうぎ)姿で登場してコントを演じていた。実際は二人に面識は無かったが、シズ子もどこかでそれを聞きつけたのか『鶴瓶ちゃんて、ウチの隠し子やねんで』と知人に冗談(じょうだん)めかして語ることがあった。
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1970年台にテレビの地方ロケで新潟を訪れた際に、空港で政治家の『 田中角栄』と一緒になったことがあった。お互い面識はなかったが、田中は『いやあ笠置さん』と握手を求めてきた。しかし、田中は1976年に発覚した『ロッキード事件』の渦中にあって、潔癖症(けっぺきしょう)のシズ子はその握手を無視したという。その後、シズ子は飛行機から降りるときに番組スタッフに「あんな政治家がいるから日本は悪くなるのや」と言い放(はな)ったという。
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『服部良一』が、戦死したシズ子の弟「亀井八郎」をモデルに作詞・作曲(作詞は「村雨まさを」名義)した軍歌『大空の弟』は、戦時中にシズ子が歌った数少ない「軍歌」の一曲となったが(もう一曲は『真珠湾攻撃』)、戦後になって歌われることもなく完全に埋(う)もれていた。2019年(令和元年)に、シズ子の半生を描いた舞台『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE ~ハイヒールとつけまつげ~』の開催に際して、服部の関係者から『大空の弟』の楽譜の提供があり、編曲されたうえで、主役のシズ子役の歌手・神野美伽(しんのみか)が歌っている。歌詞のなかには「シズ子が八郎に向けて書いた手紙の朗読」が入っているが、その手紙は現存していないため、舞台の脚本家「マキノノゾミ」が創作している。シズ子の自伝で「八郎は四国丸亀の師団に持っていかれた」と記述されており、本文中の通り四国善通寺第11師団隷下丸亀の歩兵第12連隊に入営したものと思われ、太平洋戦争開戦直前に仏印海上で戦死というのも、歩兵第12連隊補充隊から再編された歩兵第112連隊の作戦記録と一致するが、『大空の弟』の歌詞では『いつも〇〇 〇部隊 〇〇方面 〇〇基地 〇〇機の編隊だ 〇〇〇では わからない』(〇は軍事機密保持のための伏字[ふせじ]とされていたことを表現している)となっており、「八郎が航空兵であった」ということになっている。2023年度後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』では「歌詞の一部をドラマの設定に合わせて変更」した上で主演の『趣里(しゅり)』によって歌唱するシーンが放送された。その後、同年12月13日にリリースされるドラマのミニアルバム『※福来スズ子傑作集』で、『大空の弟(ブギウギver.)』として収録される。
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※『福来スズ子傑作集』(CDミニアルバム)
NHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の「劇中歌」を集めたCDミニアルバム『福来スズ子傑作集』(日本コロムビア)が2023年12月13日(水)に発売された。同年12月7日(木)、ドラマの劇中で披露され、弟・六郎の思い出と共に多くの視聴者の涙を誘った『大空の弟』も収録!この楽曲のオリジナルは、ドラマの主人公のモデルにもなっている笠置シヅ子が歌唱。実際に戦死した笠置の弟を偲んだ『大空の弟』は当時レコード発売されなかったが、今回、「ドラマの劇中歌」として録音され『大空の弟(ブギウギ ver.)』として初めてCDと配信でリリース。『福来スズ子傑作集』(税込2,750円)の中には、この『大空の弟(ブギウギ ver.)』他、YouTube、SNSで話題の『ラッパと娘』などCD化、配信が熱望されていた楽曲を収録した『ブギウギ』ファン垂涎(すいぜん=非常に強くその物をほしがること)の1枚!ヒロイン・スズ子(『趣里』)の歌声を堪能(たんのう)できる唯一のアルバム。
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