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《『万葉集』の歌より一首ご紹介》
第二十巻 : 4481
作者:大伴家持(おとものやかもち)
(歌人:大伴宿禰家持 [おほとものすくねやかもち]、別名:少納言[せうなごん]・越中国守・大伴家持・守・大帳使・主人 )
この歌の題詞に
「(天平勝宝8歳[西暦756年])三月四日に兵部大丞(ひょうぶのだいじょう)大原真人今城(おおはらのまひと いまき)の宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌一首」とあります。
(意味・解説)
757年、作者・大伴家持が兵部大丞・大原真人の館(やかた)の宴(うだけ)に招かれた折、館の庭に植えられた見事な『椿』を愛(め)でながら、主人を讃(たた)えて詠んだ歌です。当時の『椿』はすべて山野に咲く『ヤブツバキ』でした。もともと山奥に咲いていた『ヤブツバキ』を自宅の庭に移し替えて、好みの庭造りをしていたことを伺(うかが)わせてくれている一首です。主人の今城(いまき)も、この歌を聞けば、まんざらでもなかったでしょう。誰かのお家に招待されたら、少なくとも何か一つは褒(ほ)めなければなりません。それが一応の礼儀です。
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(原文)
安之比奇能 夜都乎乃都婆吉 都良々々尓 美等母安可米也 宇恵弖家流伎美
(読み下し文)
あしひきの 八峰の椿 つらつらに 見とも飽かめや 植ゑてける君
(訓[よ]み)
あしひきの やつをのつばき つらつらに みともあかめや うゑてけるきみ
(意味)
山のたくさんの峰々の山奥に幾重にも重なるように並んで咲くはずの椿。つくづくじっくりと眺めても何時までも飽きることがありません。この椿を貴方(あなた)は庭にお植えになったのですね。何と見事なことでしょう。この椿を植えた貴方とも飽きることなく、いつまでもお会いしていたいものです。
この歌の『左注』には、「右、兵部ノ少輔(ひょうぶのしょうふ)大伴ノ家持(おとものやかもち)、庭の植えたる椿(つばき)を属(み)て作る」(「右、兵部ノ少輔大伴ノ家持、庭の植えたる椿を見て作った」)とあります。
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《『椿』の種類とその由来と『山茶花』のこと》
「日本に分布する椿」には、『ヤブツバキ』と『ユキツバキ(ヤブツバキの亜種ともされている)』がありますが、『ヤブツバキ(Camellia japonica)』は、「日本列島とその周辺に限って自生する種」で、青森県の夏泊半島(なつどまりはんとう)が北限とされています。「高さが15mにも達する常緑高木」で、海岸や山地に自生しています。日本の『照葉樹林』を代表する木でもあります。『椿』は9月~2月、もしくは2月~4月に、枝先に濃紅か紅色の直径5~7cmの花をつけます。まれに、淡紅色や白色のものもあります。
『椿』という名前は、光沢(こうたく)のあるさまを表す古語『つば』に由来し、「『つばの木』で『ツバキ』になったとする説」、朝鮮語の『ツンバキ』からきたとする説、そして『厚葉木(あつばき)」や「艶葉木(つやはぎ)」や「光沢木(つやき)」が訛(なま)ったことに由来するとの説がありますが、「春に咲く木」という意味から『椿』という国字(和製の漢字)が使われるようになったと考えられています。まさに「春が寄り添う様」を、『椿』は力強く表しています。 このことからも、日本人の『椿』に寄せる思いの深さが伝わってきます。日本では古くから『椿』は、その材の硬さを生かして器具や彫刻の材料にするほか、灰は媒染材(ばいせんざい)に、種子は灯火や化粧用の油にと、「有用な植物資源」として利用してきました。
『ツバキ科の植物』は、「世界の湿潤な熱帯や暖温帯地域を中心に分布」していますが、『camellia属』は「すべてアジア東南部が原産」です。中国南部を中心に、東は日本、西はネパール、南はインドネシアといった広い範囲に、約250種類が分布しています。なお『ツバキの仲間』で古くから観賞用に用いられてきたのは、日本原産の『ヤブツバキ、ユキツバキ、サザンカ』、中国原産の『トウツバキ』の4種でしたが、近年では、花形や花色、香りなど、たくさんの原種が栽培されるようになり、多様な原種苗が入手できるようになりました。
『椿』が本格的に「観賞用に栽培されるようになった」のは中国では「900年以上も前」、日本では「室町時代中期頃」といわれています。
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《世界へと旅立った『藪椿(やぶつばき)』》
『椿』は日本産です、古くから日本人に親しまれてきました。特に二代将軍・徳川秀忠は『椿』を好み、全国から『椿』を集め、江戸城に植えたことから、諸大名そして庶民の間でも流行するようになりました。そして、「江戸時代」には植物の栽培技術が向上し、日本原種の『藪椿(やぶつばき)』の選抜や育種により、『椿』にも多くの名花が誕生しました。これらが、1800年代に海を渡りヨーロッパに紹介されると、短期間で世界中に普及しました。「アメリカ」では園芸品種数千を数えるほどに発展しました。現在では、「欧米」や「オーストラリア、ニュージーランド」などでも交雑育種が進んでいます。そして今、「欧米」などで品種改良された『洋種椿』が日本に入り、『多種多様な椿』を見ることができます。このように『椿』の人気は日本だけに留(とど)まらず「ヨーロッパ」でも高い人気を誇(ほこ)っています。
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《ヨーロッパに拡がり浸透した『椿』》
「ヨーロッパ」で18世紀半ばに『デュマ・フィス』が、「悲恋物語の長編小説のヒロインに『椿姫』と名づけた作品」を発表して一大ブームを巻き起こしたことが「高い人気の起源」になります。 この『デュマ・フィス』の小説を題材としたのが、『ヴェルディ』の「有名な歌劇『椿姫』」です。 「娼婦ヴィオレッタ」は、「一ヶ月のうちに25日間は『白いツバキ』を、あとの5日間は『赤いツバキ』を胸に飾って社交界に現れる歌姫」でしたが、純朴な良家の息子『アルフレード』の純真な愛情によって「真実の恋」に目覚め、二人は「相思相愛」の中で新生活に入りました。 しかし、『アルフレード』の父に妨げられた『ヴィオレッタ』は、自分が不誠実を働いたことにして彼のもとを去りました。 彼女の真情を知った『アルフレード』は、旅先から駆けつけましたが、そのとき彼女は、もうこの世の人ではありませんでした。 この「悲恋的な物語」を元に『完全な愛』『理想の恋』『私は常にあなたを愛します』という「花言葉」がついたと言われています。
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《日本で誕生した『椿』の名花》
日本で誕生した『椿』の名花として有名なものには『※侘助(わびすけ)』、『黒椿(くろつばき)』、『袖隠(そでかくし)』といった「ヤブツバキの古典品種」があり、ほかにも熊本県で発展した『肥後椿(ひごつばき)』や、『山茶花』にも『東雲(しののめ)』、『獅子頭(ししがしら)』、『富士の峰(ふじのみね)』といった「古典的な品種」があります。日本では『侘助』に代表される「一重(ひとえ)のもの」が好まれますが、欧米や中国では「八重(やえ)咲き」や「牡丹(ぼたん)咲き」や「獅子(しし)咲き」といった「豪華な花形」が人気のようです。
11月の声を聞く頃から咲き始める白い小さなツバキ『白侘助』。ひっそりとした佇(たたず)まいに近づく冬を感じます。早咲きで花付きが良く、冬の間も花を咲かせ続けてくれます。「茶花」として人気が高い理由もそういったことにあるのかもしれません。
※『侘助』は、江戸時代からある品種で、明治時代の植木職人・伊藤小右衛門らによって木版一枚刷りで発行された『※椿花集(ちんかしゅう)』に『白侘助(しろわびすけ)』とあります。『最新 日本ツバキ図鑑』(2010年)には『諸色花形帖』(1789年、江戸中期)に「『白侘助』の名で登場するのが最初のようである」とあり、「早咲 白佗助 極小チョク咲 上々見事ナリ」と記載されています。
※『椿花集』は、「※江戸椿(えどつばき)」を花形別に分類し、約200品種にまとめられています。
※『江戸椿』は、元禄・文化文政の期間に主に染井村(現在の豊島区)で作られた豪華な重弁の花が洗練された美しさを持った多彩な品種の総称です。
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《『椿』は最高の『吉祥木』か、『縁起の悪い花』か》
もともと『椿』は、最高の『吉祥木』として、「平安時代の貴族」の間で『高貴な花』『聖なる花』として扱われていました。
その一方で、「江戸時代の武士」の間では花が首からぽとりと落ちる様を見て、『縁起が悪い花』と扱われています。
実は、椿には『厄除け(やくよけ)』の意味もあります。『源氏物語』の「若菜の巻」で、「蹴鞠(けまり)の穢(けが)れを祓(はら)うため、『椿餅(つばきもち)』を食する場面があるのです。
『椿』の本来の意味合いは『永遠の美』『気取らない美しさ』『申し分のない魅力』というもので、縁起の悪い意味は一つもありません。『梅』が中国から渡来する前は、『松竹梅』ではなく『松竹椿』と言われていたほど、『椿は縁起のいい花』なのです。