今日2月22日は『猫の日』、鹿児島県の「島津家別邸『仙巌園』」の『猫神社』で「猫の健康長寿願う神事」が行われました。
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(『仙巌園』は、鹿児島にある日本を代表する「大名庭園」であり、鹿児島を代表する「観光名所」です。桜島を望む雄大な庭園に加え、殿様が暮らした御殿があり、お食事やお土産物の施設も充実しています。また隣接地には、島津家に関する史料を展示する博物館・世界文化遺産「尚古集成館」や、薩摩切子[さつまきりこ]の製造を見学できる工場もあります。)
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『猫の日(ねこのひ)』(ネコを記念する日)は、いくつかありますが、日本の「猫の日実行委員会」が1987年に制定した記念日は、猫の鳴き声「にゃん・にゃん・にゃん」の語呂合わせで『2月22日』に定められています。
なお、猫の日は世界各国で制定されており、「ヨーロッパの多くの国」が『World Cat Day』としている日は2月17日、「ロシア」は3月1日、「アメリカ合衆国」は10月29日です。
このほか、「動物愛護団体の国際動物福祉基金(英語版)」が2002年に決めた、『世界猫の日(World Cat Day)』が8月8日となっています。
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『2月22日は「猫の日」仙巌園の猫神社で猫の健康長寿願う神事』
NHK鹿児島 NEWS WEB  
2024年2月22日
「猫をまつったほこら(祠)」がある鹿児島市の『仙巌園』では、「飼い猫の健康と長寿を願う神事」が行われました。
戦国時代の武将『島津義弘(しまずよしひろ)』が『朝鮮に兵を出した際』に、「瞳の開き具合で時刻を知るために連れて行ったとされる猫」がまつら(祀)れています。
2月22日の『猫の日』にあわせて、飼い主が「猫の健康や長寿を祈る『愛猫長寿祈願祭』」が行われていますが、「猫をまつった神社」は全国的にも珍しく、22日は県内外からおよそ20人が参列しました。
猫を連れて園内に入ることはできないため、飼い主たちは猫の写真などを持参し、神職が祝詞(のりと)をあげたあと、玉串(たまぐし)をささ(捧)げていました。
飼い猫の写真を持参して参列した女性は「ここに来たら元気で長生きしてくれるのではないかと思って毎年来てます。猫がすごく元気なので、ご利益はあると思います。幸せに毎日過ごしてほしい」と話していました。
また、夫婦で訪れた男性は「猫はストレスがたまりやすい動物なので、なるべく毎日楽しい生活を送らせてあげたい。自分たちも長くいい関係で生活していきたい」と話していました。
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愛猫長寿祈願祭(『仙巌園猫神社』)
『大切な愛猫の健康と長寿を祈願する』
2024年2月20日に『猫神社』の遷座(せんざ)祭が執(と)り行われました。新遷座地にお詣りください。
『仙巌園』には、全国的にも珍しい、「猫を祀(まつ)った祠(ほこら)『猫神社』」があります。
島津家17代『島津義弘』は、「戦場に7匹の猫を連れていき、猫の瞳孔(どうこう)の開き具合を見て時間を確認した」と言われています。そのうち「帰ってきた2匹の猫」が、『猫神社』に祀られています。
『仙巌園猫神社』では「毎年2月22日」に、「大切な愛猫の健康と長寿を祈願する『愛猫長寿祈願祭』」を行っています。
★『猫神社』遷座のお知らせ★
2024年2月20日に猫神社は御遷座されました。現在の場所のすぐ奥の広場です。『愛猫長寿祈願祭』は新鎮座(ちんざ)地にて執り行います。
ご不明な点がございましたら、スタッフにお尋ねください。
《来園祈願と代理祈願》
【来園祈願】
『仙巌園猫神社』で「猫ちゃんの健康・長寿を祈願する神事『愛猫長寿祈願祭』」にご参列いただきます。(ご予約制・定員あり)
「猫ちゃんの写真または愛用品」をご持参ください。
※当日体験施設にてお支払い(現金・クレジットカード可能)
※猫ちゃんを連れてのご入園・祈願はできません。
〇当日の流れ
2024年2月22日(木)
10:00~10:30 体験施設にて受付
10:30~10:50 絵馬奉納(記入時間)
11:00~11:30 『猫神社』にて神事
※『仙巌園入場料』は別途必要です。
〇お申込みはこちら
本年度⇒受付を終了いたしました。
【代理祈願】
「猫ちゃんの写真(データ)と絵馬」をお預かりし、『愛猫長寿祈願祭』にて「健康・長寿を祈願」いたします。
※お申し込み時の事前決済となります。
〇【代理祈願】の流れ
①お申し込み完了後、2日以内に『愛猫長寿祈願祭』担当より、確認メールをお送りいたします。
②確認メールにご本人様のお名前、猫ちゃんのお名前、お写真(データ)を添付しご返信ください。
③ご登録されたご住所に『絵馬と御札』をお送りいたします。『絵馬』にお願いごとを記入し、同封のレターパックに入れ『仙巌園』までご返送ください。(2024年2月15日必着)本年度済
④『祈願祭』当日にスタッフが「絵馬と頂いたお写真」を『猫神社』にお納めいたします。
『神事の様子』は、後日『メール』にてお送りいたします。
〇お申込みはこちら
本年度⇒受付を終了いたしました。
『愛猫長寿祈願祭』
日時
2024年2月22日(木) 11:00~11:30(神事)
※来園祈願受付:10:30までに体験施設へお越しください。
場所
『仙巌園 猫神社』
※受付は体験施設になります。
「来園祈願・代理祈願料金」
3,000円(1匹あたり)
※来園祈願の方は、『仙巌園入場料』が別途必要になります。
「来園祈願・定員」 35名
※お一方につき複数匹お申込みいただくことも可能です。
「その他注意事項」
・お電話でのお申込みはできません。
・「来園祈願」は定員に達し次第、申し込み終了となります。
・『愛猫長寿祈願祭』当日は、メディアの取材・撮影が入る可能性があります。予めご了承ください。

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《豊臣秀吉の『朝鮮出兵』に参戦した7匹の猫》
@DIME(小学館)2020.09.09 
『秀吉の朝鮮出兵という野心のための船出に、7匹の猫?』
「人間という動物は、なかなかに罪深い」もので、これまでにも「人間の都合のためだけ」に、たびたび他の動物を使ってきました。「馬」に乗って長距離を移動したり、「犬」を戦わせる賭(か)け事を発明したりもしました。「家畜」もまた本来は「野生動物」です。『牛』も『豚』も、「人間が改良を重ねた末に誕生した」ものです。『ペット』だって、「広い意味では人間の都合のためだけに存在しているともいえる」でしょう。
中でも「罪深さの極致にある」のが、『動物の戦争利用』です。古今、「さまざまな生き物が戦争目的で利用されていた事実」はありますが、今回はその中でも「かなり奇妙な理由で活躍を強いられていた猫たちの話」です。
歴史好きな人たちにとっては、何かと論議の的(まと)になりやすい『文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役(えき)』ですが、これは太閤(たいこう)『豊臣秀吉(とよとみひでよし)』が「文禄元年(1592年)と「慶長2年(1597年)の二度に渡って行わせた『朝鮮半島への侵略』」です。
『晩年の秀吉』は「海の向こうの朝鮮にもかなり意識が向いていた」ようで、無謀(むぼう)な出征(しゅつせい)を実行させ、両軍に少なくない被害を負わせました。結局、「この騒乱は秀吉の死去と共に終結する」こととなりましたが、その規模はすさまじく、『16世紀における世界最大の戦争』とも言われています。
さて。この『文禄・慶長の役』で「朝鮮へ出兵した船団」の中には7頭の猫が乗っていたという記録があります。
「普通、船に猫が乗船する理由」は、『ネズミによる食料や備品への食害を防ぐため』ですが、このときの猫には違う役割があたえられていました。この7頭の猫には、彼らの「瞳孔の開き具合で時間を推測する」という、『朝鮮半島上陸後における時計のような特殊な役割』がありました。
「それってあんまり頼りにならないような……」と苦笑したくなりますが、発案者は当の『豊臣秀吉』。だからこんなアイディアでも無視するわけにはいかなかったのです。この秀吉のアイデアを受けて「実際に出港に向けて猫を集めたのが島津家であった」と記録されています。
この戦いで、『島津義弘』は奮戦に奮戦を重ね、「軒並み勝利を手にしています」が、日本に戻(もど)ってきたときに残っていた猫は7頭中2頭だけでした。
(残りの5頭は死んだか逃げたのか。それはもう今となっては分かりません。「だけどまあ、知らない土地にいきなり連れてこられたわけだし、猫は身軽な動物なのできっと逃げ出したんだろう。」そう思いたい。)
1592年から1598年に行われた『朝鮮出兵』、いわゆる『文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)』では、『島津軍』は「朝鮮・明軍」から “鬼石曼子(グイシーマンズ、『鬼島津(おにしまず』)の意)” と呼ばれ恐れられ、『泗川の戦い(しせんのたたかい)』では20万の敵を7,000の兵で打ち破りました。そんな鬼と恐れられる武将が、猫(にゃんこ)を7匹も同伴して戦に臨んでいたというから驚きです。
《『無事帰国した2匹の猫』を手厚く葬(ほおむ)った『島津義弘』》
秀吉の命令で『朝鮮』に猫7頭を連れて出兵した『島津義弘』ですが、世間的には『鬼島津(おにしまず)』の異名(いみょう)でも知られ、「勇猛果敢(ゆうもうかかん)で武勇にも長(た)けた名将」です。
一方で、『島津義弘』は「家臣」だけでなく、「敵国や動物に至るまで」を広く慈(いつく)しみました。「実際に戦争で打倒した勢力を含(ふく)めた戦死者(朝鮮半島で敵対した者たちも含まれる)」を『高野山(こうやさん)』で供養しているほか、「愛馬の供養」もかなり手厚かったといわれています。
『朝鮮出兵』で「同道した猫」についても、やはり『供養』はしっかりと行っています。特に、「生き延びて無事に日本に戻った2頭」については、のちに薩摩藩領の庭園内に、わざわざ『猫神神社』という神社を作っていたほどです。この神社は、今日(こんにち)においては「猫好きの人たち」にとって、「一種のパワースポットのような扱い」を受けています。この『猫神神社』内で用意されている「絵馬」には、『丸々と肥えた2頭の猫のイラスト』が施(ほどこ)されているほか、『猫の供養や長寿祈願』なども行われています。
《おわりに》
まあ……「いち猫好き」として考えると、「意味不明な作戦のために猫を戦争に巻き込まないでほしい」というところではあります。しかし、『朝鮮出兵の折』には、『島津家』は『豊臣政権下』において、比較的勢力が強く、秀吉からも若干の懸念を持たれていました。そのため、『猫を連れて出兵するという、若干気の抜けるような作戦を命令されていた』のかもしれない。
それにしても、『豊臣秀吉』だけではなく、のちの「天下人」となる『徳川家康』にすら、「島津家は警戒されていたぐらい強力な一族だった」のに、「自分たちのせいで戦争に巻き込んだ猫の供養を忘れないとは」。
本当に天下を獲(と)るべきだったのは、『島津義弘』だったんじゃないかとすら思えてきます(当人は固辞しただろうけど)。
『@DIME(小学館) 文/松本ミゾレ(『PETomorrow』編集部)』より引用
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《島津義弘の『関ヶ原の戦い』》
「薩摩(さつま)」の『島津義弘』が率いる『島津軍』は、『関ヶ原の戦い』の最中、『徳川軍のど真ん中』を駆け抜けるという「大胆な『敵中突破』」によって『牧田口(まきたくち)』からの脱出に成功しました。この時、旗印など島津だとわかるものは全て捨てさせて追跡を逃れようとしましたが、東軍の猛者(もさ)たちに追われ、あちこちで戦闘を繰り広げました。その度に「『義弘』を無事薩摩に帰すという一念」から「家臣たちは身をもって」殿様『義弘』を助けました。最終的に「鹿児島にたどり着いた島津兵」は、「義弘の他は数十人だった」とも伝えられています。「退(ひ)き口」では、「兵が一丸となって『義弘』を囲(かこ)い、騎馬で駆け抜けていった」ということからわかるように、『兵たちの強い意志』なしでは成功させられませんでした。「東軍の隊に出会った時」は、皆が刀を抜いて、「エイトウ、エイトウ」と声を張り上げ、相手があっけにとられているうちに通り抜けたと言われています。なお「東軍の猛者(もさ)』として、『井伊直政(いいなおまさ)』と『松平忠吉(まつだいらただよし)』も「追っ手」に加わっていますが、『名だたる徳川の幕臣である二人』ともが「大怪我を負うほど」『島津の抵抗』は激しいものでした。ちなみに『島津義弘』を最後まで追いかけていた『井伊直政』は「馬上筒(ばじょうづつ)」で撃たれ落馬して、追撃の命令を発することができなくなってしまいました。徳川四天王筆頭『井伊直政』は、この時の鉄砲傷が素因となり、2年後に病死することになりました。