僕のブログの「最近よく読まれている記事」をみると、
「井伏鱒二(いぶせますじ)の『山椒魚(さんしょううお)』」が73件、「井伏鱒二の『山椒魚』と『さだまさし』が30件と、今日の時点でなっています。
「井伏鱒二の『山椒魚』」のブログは、昨年(2023年)2月5日に投稿しました。このブログが昨年の7月のアクセス解析で、「最近よく読まれている記事=過去30日間で アクセス数が多かった記事」として紹介され、アクセス数が200人ぐらいになっていました。
ここに、このブログを再録するので、まだお読みになられていない場合は、是非ともご一読ください。

(2023年)7月18日に再投稿した

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 僕は井伏鱒二の『山椒魚』を「高校の教科書」で初めて読んだ。その時は、まだ『山椒魚』の結末部分は削除されてはいなかった。なお現在、我々が目にすることができる井伏鱒二の『山椒魚』の「最後の段落」は、
「さらに一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再(ふたた)び二個の生物に変化した。彼等(かれら)はことしの夏はお互(たが)いにだまり込んで、お互いに自分の嘆息(たんそく)が相手に聞こえないように注意していたのである。(井伏鱒二自選全集より)」となっている。
1985年(昭和60年)10月、新潮社より新たに刊行が開始された『井伏鱒二自選全集』の帯文に「米寿をむかえた筆者が、初めて作品を厳選し徹底的な削除・加筆・訂正を行った決定版」と銘打(めいう)たれ、『山椒魚』もその「訂正」の例外にはならなかった。従来どおり第一巻の巻頭に置かれた『山椒魚』は、結末部分が10数行に渡って削除されて『自選全集』に収められた。そのため『山椒魚』は上記の文章で終わるかたちになった。
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 従来の結末部分は、
「山椒魚がこれを聞きのがす道理はなかった。彼は上の方を見上げ、かつ友情を瞳に罩(こ)めてたずねた。
『お前は、さっき大きな息をしたろう?』
   相手は自分を鞭撻(べんたつ)して答えた。
『それがどうした?』
『そんな返事をするな。もう、そこから降りて来てもよろしい。』
『空腹で動けない。』
『それでは、もう駄目(だめ)なようか?』
  相手は答えた。
『もう駄目なようだ。』
   よほどしばらくしてから山椒魚はたずねた。
『お前は今、どういうことを考えているようなのだろうか?』 
  相手は極めて遠慮がちに答えた。
『今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ。』」(講談社『少年少女日本文学館12』の「解説」より)
 従来の結末部にあった「今でもべつにお前のことをおこつてはいないんだ。」でくくられた「山椒魚と蛙との和解」の場面が丸ごと削除されたのである。また同全集の「覚え書」には、改稿のもととなった井伏の考えが「後年になつて考えたが、外に出られない山椒魚はどうしても出られない運命に置かれてしまつたと覚悟した。『絶対』ということを教えられたのだ。観念したのである。」と記されている。
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    この末尾の突然の改稿は大きな波紋を呼び、削除に対する賛否や作者の真意、そして「作品」はいったい誰のものか、といったことをめぐって文壇(ぶんだん)を賑(にぎ)わわせただけでなく、その騒動はマスメディアからも注目を受けた。
    文壇では、井伏鱒二を愛読していた野坂昭如(のさかあきゆき)は『週刊朝日』誌上で、「『山椒魚』はもはや書き手を離れている作品であるはずだ。これまでの読者はどうなるのか。」と強く反発した。また、井伏の伝記を執筆した安岡章太郎(やすおかしょうたろう)も当時の講演で、この件に触れ「削(けず)ったことによって絞(し)まってくると思うが、そうすると前の部分が食い足りない。これでは十分納得がいかない。」と心境を語っている。評論家の古林尚(ふるばやしたかし⇒三島由紀夫と最後の会談を行った人物⇒新潮カセット対談『三島由紀夫・最後の言葉』)は、「これは『改定』ではなく『破壊』ではないか。この末尾の削除によって、「山椒魚と蛙の関係」は、単なる『いじめ』の問題に縮小されてしまった。」と非難した。
    マスメディアでは、1985年10月10日付けの『朝日新聞』のコラム「天声人語」が、この騒動に触れたうえで、「…………井伏氏は『あれは失敗作だった。もっと早く削(けず)れば良かった。』と言っている。…………『山椒魚』の末尾削除は、もしかすると八十七歳になった作家の人間と現代文明への絶望ではなかったか。」と書いている。
     一方で井伏自身は、『自選全集』の刊行と同時期に行われた河盛好蔵(かわもりよしぞう)との対談で「どうしようもないものだもの、山椒魚の生活は。ずいぶん迷ったですよ。」と発言している。さらに89歳直前に行われたNHKのインタビューでは、井伏が「直さないほうがよいようだなあ。」と言ったのに対してNHKの記者が「では、戻しますか。」と問い掛けると「それがよいかもわからん。誰か書いてくれるといいな。」と迷いを口に出している。
   こういう井伏の言動も自選全集版の『山椒魚』に対する消極的な評価の一因となっている。末尾を削除した後、井伏が1993年(平成5年)7月10日に死去するまでに『山椒魚』は複数回、作品集に収録されたが、井伏が自選全集収録時の『山椒魚』を再び改訂することはなかった。ちなみに井伏鱒二は『山椒魚』によって作家生活に入ったのである。彼は、巧(たく)みな話術の中にユーモアあふれる楽しさと庶民的な悲しさのある作品で独特な文学の世界を作り出したのだ。
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 僕が「『蛙』のことが書かれている『小説』」のブログを書き始めた頃、テレビを観ていた時に「『山椒魚』の省略部分」に関する話を耳にした。その番組は2021年6月11日(土)に放送された「今夜も生でさだまさし~別冊生さだ・いつもハガキをありがとう!~」だった。
    歌手「さだまさし」が井伏鱒二の家を訪ねた時、彼が井伏に『山椒魚』の末尾部分を削除した理由を尋ねると、井伏は(一言で言うと)「自分の作品の『山椒魚』の中の蛙を助けようとしたんだ。」と答えたという。まさか『生さだ』で「井伏鱒二の山椒魚の末尾の省略の話」が聞ける何て全く考えていなかったので録画はしていなかった。だから「さだまさし」の井伏鱒二との会話のやり取りの話を完全には聞き取ることはできなかった。それで、ネットで「井伏鱒二とさだまさし」で検索したら   「岸波通信その61『山椒魚の真実』」という文章に遭遇(そうぐう)した。この「山椒魚の真実」の中で次のように記されている。
(『岸波通信』の葉羽habaneさんに感謝‼️)
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「岸波通信その61『山椒魚の真実』」
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「さだまさし(まっさん)」が『山椒魚』の末尾を省略について、井伏先生に「先生、どうして『山椒魚』に筆を入れるなんてことをなさったんですか?」と質問をしたところ、
「あれはねぇ、もし許されるなら全部書き直したいんですよ。」
「どうしてですか?」
    先生はなかなか口を開かない。部屋中に緊張が張りつめて、まっさんもスタッフも息を呑(の)む。だって、うっかりしたことを言うと、これまでの評論が全部、ひっくり返っちゃう。
   みんな息を殺してじっと待っていたんです。
   すると先生、行方不明になった兄弟でも探すような眼でこうおっしゃる。
「だって…あれじゃぁ、出られないもの」
    まっさんは、先生の泣きそうな表情にうろたえ、そして、ワーッと涙があふれ出てしまったそうです。
「あれじゃぁ、どうしようもないもの。これをこういうテーマで書かないかって言ったのは僕の兄貴でねえ、兄貴は先に死んじまって、やっかいな荷物を僕に押し付けて逝(い)っちゃった。若い頃に書いたとはいえ、どうしてこんなひどいことをしたのかなぁ、って思ってね。
 出られないもの、これじゃぁ、どうしようもないもの…」
    その後、
「これじゃぁ、どうしようもないもの。出られないもの」って、何度も何度も繰り返したそうです。
    そしてふいに、
「だって、あなた、どうやって出すの?」
   まっさんは、言葉を失いました。
   井伏先生は、兄から言い残されたストーリーを物語にし、その自分で70年前に創作した主人公に、生涯、同情し続けていたのです。
    作品は自分の思惑(おもわく)を離れて世間に評価され、もう、自分ではどうしようもない主人公にした仕打ちを後悔し、十字架を背負い続けて来たのです。
「でも、出ることができない山椒魚に、僕たちはいろんなことを教わってきましたよ」…まっさんは、やっと口を開きました。
「あれは…出られないから『山椒魚』なんじゃないでしょうか?」
    井伏先生は、救われたように語りはじめます。
「そうかね、あれは、出られないから『山椒魚』なのかね。あれは出られなくていいのかねぇ。」
   しばらく考え込んでは、また、
「そうかね、あれは、出られなくていいのかねぇ。出られなくてもいいのかね…」
    まっさんの言葉に先生が救われたのかどうかは分かりません。
    でも、その対談が終わった後、井伏先生が、とっておきのロイヤル・サルートを持ち出し、まっさんが生身の身体を気遣って遠慮すると…
「こういう日は飲まなきゃだめだ」
と、さらに、まっさんにお酒を勧め、その日は二人で痛飲したそうです。
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 長年、日本の文学界で謎であった『山椒魚』の末尾の省略の理由が「さだまさし」の井伏鱒二への質問によって明らかになったのだ。これは大きな功績だと言える。それまでの「研究者」は勝手に深読みをして、それぞれの想いで珍妙な解釈をしていたことが少なくない。
 ちなみに、この井伏鱒二の『山椒魚』の書き出しは、「山椒魚は悲しんだ。」だが、冒頭がいきなり直接感情表現で表された小説は『山椒魚』以前にあったのだろうか。普通は事由(じゆう⇒ことの理由・原因)を書いてから心情表現が書かれる。おそらく『山椒魚』を初めて読んだ人の多くが、この冒頭の表現に驚かされたことだろう。
   このような書き出しで始まる小説がある。それは、井伏鱒二の弟子である太宰治の『走れメロス』だ。この作品の冒頭は「メロスは激怒した。」で始まる。
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《『山椒魚』が採用されている高校の教科書一覧》
三省堂「明解『現代文B』改訂版」
数研出版「新編  現代文B」
第一学習社「改訂版  標準  現代文B」
大修館書店「精選  現代文B  改訂版」
東京書籍「現代文A」「新編  現代文  B」