明けましてお目出度うございます。皆様が、この新しい一年、健康に、とっても素晴らしい時を過ごされることを願ってやみません。

《今年は辰年(たつどし)》
今年の「干支(えと)=十二支(じゆうにし)」は『辰年』、「十干十二支(じっかんじゅうにし⇒十干(じっかん)」と十二支の組み合わせ」では『甲辰(こうしん=きのえ・たつ)』にあたります。
ちなみに前回の「甲辰」は60年前の1964年(昭和39年)。この年、日本は大きな経済発展を遂げました。国を挙げて行われた一大イベント「東京オリンピック」には、総額1兆円を超える工事費が投じられ、「競技施設(国立代々木競技場など)」のみならず、「競技場までの輸送施設(羽田空港~浜松町間のモノレールなど)」、「宿泊施設(代々木選手村)」、『東海道新幹線』、『首都圏高速自動車道路』網、「地下鉄(日比谷線)」、「高級ホテル(ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル、ホテル高輪、川崎日航ホテル、羽田東急ホテル、羽田プリンスホテル)」などが整備されるなど象徴的な出来事が相次ぎました。一方で、「企業業績の悪化」が目立つようになり、「株式市場」は翌年にかけて軟調となりました。
前々回の「甲辰」は120年前の1904年(明治37年)。この年の2月、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が勃発。大量の軍需によって多くの産業の近代化を促進しました。明治維新以降の日本は政治、経済、軍事をはじめとする様々な分野に欧米の技術や制度を導入し、「富国強兵」の政策のもとで、憲法の制定、議会の設置、といった国家の仕組みの欧米化、製糸や紡績などの軽工業と、鉄鋼業などの重工業の拡充、そして陸海の軍隊の整備が進めてきましたが、1880年代に近代工業化が始まった日本の国力では、18世紀に産業革命が始まっていたイギリスをはじめとする欧米列強との間で長期の戦争になった場合、勝利を収めるにはじゅうぶんではないと考えられていました。ロシアの財力や軍事力は日本に勝るものであったので、日本との間に長期の戦争が起こった場合には、ロシアは西側を守る軍隊を日本との戦いの場に振り分けることができます。それで、ロシアは有利に戦争を進めることが可能になるので、ロシアが戦争準備を整える前に戦争を仕掛け、朝鮮や満州(現在の中国東北部)周辺でロシア軍を撃破していった後、戦いを長引かせることなく有利な条件で講和を行う、という方針のもとで、日本は開戦に踏み切ることにしました。(日露戦争の時は、熟考して作戦を立てて戦いに臨んでいたのです。このことが第一次世界大戦、第二次世界大戦の時とは大きく異なります。小説の枠を超えて日本人の歴史観に強い影響を与えてきた『坂の上の雲』(松山出身の軍人秋山兄弟と俳人正岡子規を軸に、日露戦争とその時代を描いた作品)の作者である司馬遼太郎(1923~96)は、この作品書いて以降、太平洋戦争に至るまでの時期を歴史小説として書くことはありませんでした。)朝鮮半島では兵站(へいたん⇒補給・輸送・管理という3つの要素から成立つ総合的な軍事業務で、戦闘地帯へ後方から必要な物資や兵員を配置するといった活動全般を指す。)を輸送するための鉄道工事が始まり、国内では負傷兵のための病院が各地で建設されました。
《2024年の『甲辰』の干支でいう意味》
「十二支」や「十干」は数や方角だけでなく、それぞれ独自の意味を持っています。例えば『甲』が持つのは「第一位」であり、「優勢である」ことを表すほか「まっすぐに堂々とそそり立つ大木」を表しています。『辰』は「十二支」の中では「唯一の架空の生き物、龍(竜)」を意味します。(実は龍は架空の生き物ではなく、モデルがいます。このことは次の機会にブログにアップしたいと思います。)「水や海の神として祀(まつ)られてきた龍」は、「竜巻や雷などの自然現象を起こす大自然の躍動を象徴するもの」であり、「龍が現れるとめでたいことが起こる」と伝えられてきました。この二つの組み合わせである『甲辰』には、「成功という芽が成長していき、姿を整えていくといった縁起のよさ」を表しているといえそうです。
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『旧体制を破り創造を伸ばすべし』(安岡正篤『干支の活学』より)
《甲の意味》
甲はよろいで、鱗−−よろいをつけた草木の芽が、その殻(から)を破って頭を少し出したという「象形文字」で、これを人事に適用いたしますと、旧体制が破れて、革新の動きが始まるということを意味しておる。そこでこれを実践的に考えると、この自然の機運に応じて、よろしく旧来のしきたりや陋習(ろうしゅう⇒いやしい習慣・悪い習慣)を破って、革新の歩を進めねばならぬということになるわけであります。
《辰の意味》
と同時に『辰』という字は、これは「説文学(せつもんがく⇒文学を内容によって分類したものの一つ。神話、伝説、昔話などの説話を素材とした、文学的な内容や形態をもったもの。)」上から言うと「会意文字」で、理想に向かって辛抱強く、かつ慎重に、いろいろの抵抗や妨害と闘いながら歩を進めてゆくという意味であります。辰の「厂」の次に書いてある「二」は、上・天・神・理想を表す「指事文字」で、振・伸・震と相通ずる意味を持っている。
《甲辰の意義》
だから『甲辰』の意味するところは、ちょうど春になって、新芽が古い殻から頭を出すのであるが、まだヨカンガ厳しくて、勢いよくその芽を伸ばすことができないと同じように、旧体制の殻を破って、革新の歩を進めなければならぬのであるが、そこにいろいろの抵抗や妨害があるために、その困難と闘う努力をしながら、慎重に伸びてゆかなければならぬということであります。つまり革新的歩みを進めるに当たっての外界の妨害や抵抗、それとの交渉、動揺を表しておる。したがってこれは、自然の機運と共に、人間の使命・実践の問題であります。
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《過去、『辰年』にはこんなことがあった》
この前は2012年、2000年、1988年が『辰年』でした。
『辰年』に起こった出来事を抜粋すると次の通りです。
「2012年(平成24年)」:2006年(平成18年)、京都大学の「山中伸弥」氏は、「成熟した細胞を多能性幹細胞(iPS細胞)へと初期化できることを発見」しました。この発見は、再生医療の分野に革命をもたらす画期的な成果として、2012年12月に「ノーベル生理学・医学賞」を受賞しました。
「2000年(平成12年)」:9月15日から10月1日までの17日間、「シドニー五輪」が開催されました。女子としては史上初の金メダルを獲得した女子マラソンの「高橋尚子」や、日本女子柔道史上初の金メダルを獲得した「田村亮子」などの活躍で過去最多の18個のメダルを獲得しました。
「1988年(昭和63年)」:3月13日、「世界最長の全長53.85kmの青函トンネル」が開通しました。開通までに1400万人を超える作業員が携(たずさ)わり、工事期間は約24年間にも及びました。これは、日本の土木史上空前のスケールを誇(ほこ)る仕事でした。
このように『辰年』には「努力した成果が実を結ぶような出来事」が多く起こっています。これらは、『甲辰』年の「成功の芽が成長し、姿を整えていく」という傾向の表れなのかもしれません。
《『辰年』は「出世や権力の年」》
「辰年生まれの人」は、「野心家で、物事を成し遂げる強い意志を持っている」ため、「仕事や学業で大きな成果を上げる可能性が高い」とされています。ただし、「出世や権力を得る」ためには、「努力と忍耐が必要である」とも言われています。ですから「辰年生まれの人」は、「自分の目標に向かってしっかりと努力を積み重ねることで、大きな成功を収めることができる」でしょう。2024年の『辰年』は、「龍の如く猛々(たけだけ)しく、新しいことに挑戦する年にしたい」ものです。
《『辰年』生まれの特徴》
「辰年生まれの有名人」には、大御所のお笑い芸人や若手女優、バラエティ番組に引っ張りだこの女性タレントなど、個性が強い方がたくさんいます。なお一般に「辰年生まれにみられる特徴」は、次のようです。
1.勇気や粘り強さ
2.情熱的で自信を持っている
3.個性的
4.好奇心旺盛な行動力
僕にとっての初日の出(2024年1月1日7時43分)
1月1日(元旦)、僕は「初日の出」を見ようと家を6時に出て観察地点である湯殿川に架かる稲荷橋までマイカー(自転車)で急ぎました。東京で「初日の出」が見られるのは6時9分ですが、東京の西の端に位置する我が町・八王子では、その時間には見られません。僕は隣町の片倉町さらにその東にある北野町まで行きましたが、ここでも初日の出は見られませんでした。それで北野町の『北野天満社』に参拝に行きました。そこには何と本殿に「龍が3体」もありました。(実は僕は北野町には過去2回住んだことがありますが、『北野天満社』の本殿に龍の彫り物があることは知りませんでした。)『北野天満社』をあとにして湯殿川に出たところ、「初日の出」が見えてきました。あまりにもまぶしくて肉眼で見るのはさけました。湯殿川をさかのぼりながら人家がない所、林になっている所を探し、そこで自転車を降りて、スマホでやっと初日の出を撮りました。時刻は7時43分、家を出てから1時間40分のことでした。冬の太陽は、まぶしいだけでなく暑さが強く感じられます。帰宅後、家の南側に座るとお日様の暖かいこと、暖房など要りません。冬場は猫が良く『日向(ひなた)ぼっこ』をしている姿を目にします。この『日向ぼっこ』は、「じっと陽の中たる場所、日向(ひなた)でとどまって太陽光を受けて身体を温めることであり、陽だまりの温かさを楽しむこと」です。「日差しの強い夏場などの陽に当たること」は『日向ぼっこ」』とは言わず、その場合近い意味を持つ『日光浴』を使います。 
下記は僕が目にすることができる龍の彫刻です。
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小比企の稲荷神社の拝殿右側の龍の彫刻
小比企の稲荷神社の拝殿左側の龍の彫刻
小比企の稲荷神社の拝殿入口の上の龍の彫刻
北野天満社の拝殿入口の上の龍の彫刻
北野天満社の拝殿右側の龍の彫刻
北野天満社の拝殿左側の龍の彫刻            
八王子市館町の御霊(ごりょう)神社の手水舎(ちょうずや)の水の出口 
町田市相原町の御霊(ごりょう)神社の手水舎(ちょうずや)の水の出口