稲荷神社(八王子市小比企町)の「茅(ち)の輪」
「茅の輪くぐり」のやり方(小比企の稲荷神社)
稲荷神社の創建は1190年(建久元年)⇒鎌倉時代初期
⇒「鎌倉時代の始まりは以前は1192年[いいくにつくろう かまくらばくふ]」と覚えさせられましたが、今は「1185年[いいやこいつは へいけめつぼう(拙作)⇒平家滅亡の年)」になっています。実は1185年に平家滅亡後、すぐ源頼朝は鎌倉に侍所(さむらいどころ)と政所(まんどころ)を設置しましたから、この時に鎌倉幕府は始まったのです。
川尻八幡神社(相模原市緑区川尻)の「茅の輪」
川尻八幡神社の創建は1525年(大永五年)⇒戦国時代

皆様は、神社で『祓(はらえ)の行事」と共に行われる『茅(ち)の輪くぐり』を御存じでしょうか。僕は、2020年12月に八王子市小比企(こびき)町の「稲荷神社」と神奈川県相模原市川尻(かわじり)の「川尻八幡神社」で『茅の輪』を初めて見ましたが、『茅の輪』がいったい何なのか、どうするものなのか、まったく分かりませんでした。しかし、「稲荷神社」にあった説明書きで「くぐり方」は理解できました。なお、この説明書きは「川尻八幡神社」にはなかったので、川尻八幡神社の参詣者は「茅の輪くぐり」のやり方をどのようにして理解するのだろうかと思いました。この『茅の輪』というものは、我が故郷・鹿児島で見たことはありませんでした。また、その時までテレビで観たこともありませんでした。なお、この『茅の輪くぐり』は『茅の輪くぐりの神事』といい、「奈良時代の記録に登場する古い行事」(1000年以上の歴史をもつ行事)だそうです。なお『茅の輪』は「茅・茅萱(ちがや⇒イネ科の植物)を用いて作られる直径1.9mほどの大きな注連縄(しめなわ)』です。
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『注連縄(しめなわ)』の「しめ」とは「占める」ことを指し、「縄が神域と俗界を分けるものである」ことを表す。古語の『しりくめなわ』は、「尻(端)を切らないで垂らしておく縄」の意だ。
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『茅の輪くぐり』は、主に「素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀(まつ)る神社で行われるもの」で、同命(同じ運命)の神徳(神の恩徳)により、「茅(ちがや)でできた輪をくぐることで心身を祓(はら)い清める信仰」です。『茅の輪くぐり』は、6月30日の「大祓(おおはらえ)」という行事の中で行われ、境内で自由に参加できるため多くの参加者がいます。(今まで『茅の輪くぐり』の中継を僕は観たことはありません。)無病息災を願って行われる『茅の輪くぐり』は東京都内の神社でも行われていますが、そんなに多くはないのではないでしょうか。この度、『茅の輪くぐり』の作法や由来など、参列する前に知っておきたい情報を調べたので下記にご案内します。

《『茅の輪くぐり』とは》
『茅の輪くぐり』に用いられる「茅の輪」は、「神社で行われる『大祓(おはらえ)』の神事に登場する祭具」の一種です。『茅の輪くぐり』は「心身の穢(けが)れをお祓(はら)いによって清める風習」で、全国各地で大規模に行われるのが「大祓」です。『大祓』は「6月30日と12月31日に執(と)り行われる神事」で、「人が知らず知らずのうちに犯した罪や穢(けが)れを取り除き清めて災厄(さいやく)を逃れようとする神事」です。 この神事は古代の法令である『神祇令(じんぎれい)』に記されており、その昔、毎年6月、12月晦日に京都の朝廷で行なわれていました。『茅の輪くぐり』とは、「参道の鳥居などの結界内に茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで心身を清め、厄災(やくさい)を祓(はら)い、無病息災を祈願して毎年6月30日に各地の神社で執(と)り行われる「夏越の祓(なごしのはらえ)」を象徴する行事」です。『茅の輪くぐり』は「夏越の祓」と同義で呼ばれています。『茅の輪くぐり』は、「日本神話の(すさのおのみこと)」に由来するといわれ、唱え詞(となえことば)「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」[はらへたまへ きよめたまへ まもりたまへ さきはえたまへ]を唱えながら8の字に3度くぐり抜けます。
稲荷神社(小比企)の唱え詞=神拝詞(となえことば)が書かれた板
《『茅の輪くぐり』の由来》
「茅の輪くぐり」は日本神話に由来しています。その昔、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が旅の途中に宿を求めた備後国(びんごのくに)の蘇民将来(そみんしょうらい)との逸話(いつわ)が起源です。旅の途中で蘇民将来、巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟に出会った素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、裕福な暮らしをしていた巨旦将来からは宿を断られましたが、貧しい暮らしをしていた蘇民将来からは厚いもてなしを受けました。数年後、再び素盞鳴尊(すさのおのみこと)は蘇民将来のもとを訪れ「疫病(えきびょう)を逃れるために、茅(ちがや)の輪を腰につけなさい。」と教えました。教えを守った蘇民将来は難を逃れられ、それ以来、無病息災を祈願するため、「茅の輪」を腰につけました。この神話から「『蘇民将来の符(ふだ)』をさげる風習」や「茅の輪を腰に吊るす風習」が生まれました。これが『茅の輪くぐり』の元になったと言われています。江戸時代を迎える頃には、現在のように「茅の輪をくぐり抜けるものになった」といわれています。            
             
《「夏越の祓」で行われる『茅の輪くぐり』》
『茅の輪くぐり』は、『夏越の祓』の儀式のひとつとして行われています。『夏越の祓』は、「その年の前半の半年間の穢(けが)れを清めて災厄(さいやく)を払う神事」で、また「このあとの後半も無事に過ごせるようにと祈る行事」です。「古来、日本では、夏を迎えるこの時期に疫病が流行(はや)ることが多かったため、行われるようになった」と考えられています。とにかく厄払いと無病息災のため、『茅の輪くぐり』は執(と)り行われます。

《大祓と夏越の祓の関係》
『夏越の祓』は、12月31日の「年越(としこし)の祓」と対になる神事です。この2つの神事をあわせて『大祓(おおはらえ)』と呼びます。どちらも「災厄を祓い清める儀式」です。『茅の輪くぐり』は、多くの場合で『夏越の祓』で執り行われていますが、一部の神社では『年越の祓え』でも行われています。これはどちらも「大祓」であることが関連しているのでしょう。
 
《「茅の輪をくぐる」ようになった経緯》
もともとは「腰につけるくらいの大きさだった茅の輪」が、現在のような大きさになり、「輪をくぐる神事」になりました。この経緯には「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の正体」が関係していると考えられています。「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の正体」は『海を治めるように命じられた龍神(りゅうじん)』です。なお、中国の古い文献では「『龍神の本来の姿』は「蛇の一種である蛟(みずち)」である」とされています。「茅の輪」は「とぐろを巻いた蛟」であり、「素戔嗚尊(すさのおのみことや)の形代(かたしろ⇒神霊が依り憑く[よりつく]依り代[よりしろ]」の一種です。「神社の巨大な注連縄(しめなわ)」は「茅の輪が変形した『龍神のシンボル』」です。「神社で注連縄(しめなわ)を神木(しんぼく)などに巡(めぐ)らし、再び輪にすること」は「結界(けっかい)など霊的な意味を持つもの」とされてきました。
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素戔嗚尊(すさのおのみこと)は『日本書紀』や『古事記』や『風土記』などにも登場し、残された神話の中で「最も荒ぶる神」であり、「人間臭い神」でもあります。『古事記』の記述によれば、スサノオは「三貴神である天照(アマテラス)・月読(ツキヨミ)・スサノオの一柱(ひとはしら)」であり、「一番下の弟神」に当たります。そして「父神である伊奘諾(イザナギ)」は、「天照には昼の世界を統治するよう、月読には夜の世界を統治するよう、そしてスサノオには大海原を統治するように」と言います。しかし、「荒ぶるスサノオ」は「それを断り、『母神である伊邪那美(イザナミ)がいる根之堅洲国(ねのかたすこく)』へ行きたい」と願ったため、父神の怒りを買って追放されてしまいます。そこでスサノオは、「母神の出身地である出雲」へと向かい、そこで八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」を手に入れ、「出雲の地の神」となります。
さて、このスサノオの正体はと言うと、父神から「海を統治することを命じられている」ことから、「水神(龍神)である」ことがわかる。そして「水神(龍神)の本来の姿」は、中国の古い文献によると「蛟(みずち)という蛇の一種だ」と伝えられています。蛟とは「蛇の出世した姿」で、「水辺に棲(す)む蛇が500年生きると蛟になり、蛟が『1000年生きると龍』になり、『龍が1000年生きると応龍(おうりゅう)になる」と言われています。
稲荷神社(小比企)の龍の彫刻(拝殿上の彫り物)
稲荷神社(小比企)の龍の彫刻(本殿入り口上)
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稲荷神社(小比企)の彫刻の作者は「飛騨の匠(ひだのたくみ)」です。この彫刻は、いずれも江戸時代に飛騨の匠によって彫られたものです。飛騨の匠が「日光東照宮」の修復に向かう際に八王子小比企の「稲荷神社」の近くに逗留して「稲荷神社」の彫り物をしたのだと思われます。僕は、ほとんど毎日、この「稲荷神社」に来て拝んでいます。それは、この「稲荷神社」の彫刻に惚れ込んでいるからにほかなりません。実はこの「稲荷神社」には飛騨の匠の彫刻がたくさんあります。「手水舎」には「獅子頭」が四隅に4体、鯉の滝登りが二箇所、彫られています。本殿には「獅子頭」が左右に7体ずつあります。他にバク2体、龍が数体、その他にも小さな彫刻があります。色がついた作品はわずか2点で、拝殿の上にありますが、一点は色が消えて無くなっています。もう一点は拝殿の左上にあります。とにかく「稲荷神社」の彫刻には色はついていませんが、地肌を活かした素晴らしい作品群です。皆様にも一度は見ていただきたいと思います。色鮮やかな「日光東照宮」の作品群
とは対照的なものです。
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「大祓」では「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の形代(かたしろ)である注連縄(しめなわ)で作られた『茅の輪』をくぐる」ことで、「力のある素戔嗚尊の来訪を願い、守ってもらうという意味」が込められているのです。『茅の輪くぐり』は、「くぐる事によって参拝者の穢れや厄災を、茅の輪に移し清めるためのもの」です。つまり、「それを持ち帰る事は、自らの穢れや厄災を持ち帰るようなもの」なのです。だから、持ち帰ることはタブーなのです。

《茅の輪くぐりの方法・手順》
『身を清める』
神社に入り、手水舎(ちょうずや)で手と口を清めます。 「茅の輪」の前に立ち、ご本殿に向かって一礼をします。
『茅の輪くぐり』
『茅の輪くぐり』は「神拝詞(となえことば)を唱えながら8の字に3回くぐりぬける」のが作法です。
1周目、正面でお辞儀をし、左足で茅の輪をまたいで左回りで正面に戻ります
2周目、正面でお辞儀をし、右足で茅の輪をまたいで右回りで正面に戻ります
3周目、正面でお辞儀をし、左足で茅の輪をまたいで左回りで正面に戻ります
正面でお辞儀をし、左足で茅の輪をまたいで参拝します。
『茅の輪の輪くぐり』のときには、「神拝詞(となえことば)」を声に出さずに唱える。代表的なものは「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」です。また、「茅の輪くぐり」の時の「神拝詞(となえことば)」は、地域や各神社で異なるようです。 「『茅の輪くぐり』のくぐり方」は、神社ごとに異なります。これは、「神社ごとに祭神が異なるから」です。

《茅の輪くぐりのまとめ》
自身の穢(けが)れや厄災(やくさい)を祓(はら)い清め、この先半年の無事を祈るのが『茅の輪くぐり』です。基本的な『茅の輪くぐり』のくぐり方を覚え、半年間の厄災を祓いに、近くの神社を訪れてみてはいかがでしょうか。

《茅の輪の輪くぐりができる都内の有名な神社》 
東京『神田明神』(千代田区外神田) 

東京『芝大神宮』(港区芝)

東京『東京大神宮』(千代田区富士見) 

東京『亀戸天神』(江東区亀戸)

東京『蛇窪神社』(品川区二葉)

東京『赤坂氷川神社』(港区赤坂)

東京『富岡八幡宮』(江東区富岡)

東京『乃木神社』(港区赤坂) 
 
東京『波除(なみよけ)神社』(港区築地)