春を味わう詩『北の春(丸山薫{かおる})』

《僕にとってのビッグニュース》
5月25日、僕が『Google フォト』の『ファイル』の写真を開いて、写真の下にある『レンズ』という機能を初めて起動させてみた。何と、この『レンズ』という機能は『花の名前の識別』ばかりではなく『鳥の名前の識別』も行うことができた。まさしく「驚き桃の木山椒の木」!!なお使ってみたところ、『花の名前の識別』よりも『鳥の名前の識別』の方が確かなように感じられた。
⇒ご存知なかった方は、是非ともご活用ください。
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まずは辛夷(こぶし)の木を御紹介。上の写真は片倉城跡公園で一番大きな辛夷の木、その下は花の綺麗さが目立つ小振りの辛夷の木。(2023年3月19日撮影)
今から約2ヶ月前のこの頃は、まさしく春爛漫(ランマン)の候だった。片倉城跡公園は辛夷の花、椿の花、カタクリの花、桜の花、その他色々な花で彩(いろど)られていた。この日は、冬の間、停められていた水車小屋の水車も心地良く、くるくると勢いよく回っていた。3段目は、この水車の写真だ。昔は、水車が動き出すと田植えが近いということを人々は感じたのだ。

片倉城跡公園の「住吉沼」の奥に生えていて、人を寄せ付けることのない大きな辛夷の木

花の形とその美しさが良くわかる小振りの辛夷の木

片倉城跡公園の水車と水車小屋(2023年3月19日)
水車が回転している動画をお見せできないのが残念だ。
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  北の春        丸山薫

どうだろう

この沢鳴(さわな)りの音は。

山々の雪をあつめて

轟々(ごうごう)と谷にあふれて流れくだる、

この凄(すさま)じい水音は。

緩(ゆる)みかけた雪の下から

一つ一つ木の枝がはね起きる。

それらは固(かた)い芽(め)の珠(たま)をつけ、

不敵(ふてき)な鞭(むち)のように

人の額(ひたい)を打つ。

やがて、山裾(すそ)の林は うっすらと

緑(みどり)いろに 色付くだろう。

その中(うち)に 早くも

辛夷(こぶし)の白い花もひらくだろう。


春早く、授業の始めに

一人の女の子が手を挙(あ)げた。

--------先生、燕(つばめ)がきました。


       詩集『仙境(せんきょう)』より

※丸山薫(1899〜1974年)は、終戦(1945年{昭和20年}=敗戦)を挟(はさ)んで1944年(昭和19年)から1948年(昭和23年)までは山形県西川町岩根沢に疎開し、そこで「岩根沢国民学校」の代用教員をした。ちなみに現在、岩根沢には『丸山薫記念館』がある。

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※この詩は文語文で書かれているが、読みやすいように口語文に直し、本来は読み仮名が付いていなかった漢字にルビを付け加えた。また、この詩にはまったくなかった部分に読みやすいように句読点を付けた。

《鑑賞》

厳しい冬が過ぎ去ったあとの北国の春の訪れを知った感動が、この詩の中心である。第一連の冒頭は「どうだろう」と、いきなり『呼びかけ法』を使っているが、この表現は作者の驚きの直接的な表現であり、相手に語りかけでいるようでも相手がいないから、これは自分自身に語りかけた独(ひと)り言になる。「この沢鳴りの音は」も「轟々と谷にあふれて流れくだる、このすさまじい水音は」も、 両方とも「どうだろう」に返っていく『倒置法』が使われている。読者に 「この音は、どう!ものすごい迫力じゃないか!」 と言っているのだ。第一連の「外界に実在する自然から感じ取った部分」では、固くて強い言葉を使い、「沢鳴りの音から感じ取った春の始まり」を表し、第二連の「春を想像する部分」では、柔らかい感じの言葉を使い、「周囲の春が目覚めている情景」を確かめている。そして、第三連の女の子の「燕がきました」という言葉で春の訪れに対する嬉(うれ)しさ、喜びを表現しているが、この言葉は岩根沢に住む総ての人々の心を代弁していると言える。第三連の前を1行を空(あ)けたのは、第一連と第二連には筆者の脳裏に浮かんだこと(想像していること)が書かれているのに対して、第三連には作者の目の前で起きている現実を述べているからだ。とにかく読者の五感(聴覚・視覚・触覚・嗅覚・味覚)に見事に訴えている見事な作品だと言えるのではないだろうか。

ちなみに国民学校の代用教員をしていた山形県西川町岩根沢は豪雪地帯だが、雪の多い長い長い冬を耐え抜いた人々にとって、「春の訪れ」は昔も今も、その喜びは一入(ひとしお)だろう。この『北の春』という詩は、生命が無限であることを、明るく告げている。「燕が来たというのは、岩根沢に春が来た。」ということを表している。「来年も、再来年も、厳しい冬の次には必ず春が訪れるのだ。」というように、「時は流れるものではなく、巡(めぐ)るもの」だと訴えているようだ。

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