幕末の佐倉藩軍装(歩兵編) | 佐倉藩陣中日誌

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下総国佐倉藩11万石 堀田家家中 安政2年(1855年)改組
オランダ式調練を受けた佐倉藩歩兵隊の活動記録。

 

幕末期に洋式軍制を採用した諸藩には軍装がまばらで統一性に欠く場合が多々あったが、佐倉藩は軍装が統一されており全兵科の将兵軍装図が現存している。

 

佐倉藩歩兵隊は藩士・木村軍太郎により西洋式軍制が導入された安政の兵制改革で創設された部隊。初期は弓、長柄、鉄砲組に所属していた同心で編成されていたが慶応年間以降は庶民出身の足軽を基本兵員とした。

 

服装

濃紺色の筒袖ダンブクロを着て桜の花びらの合印をつけた韮山笠を被り、金筋3本の引肌を刀にかけ『轡菱』の合印をつけたランセルを背負った。

 

装備

歩兵刀、銃剣、前装式滑腔砲(ゲベール銃)と前装式施条銃(ミニエー銃)。

 

教本

歩兵使銃動身軌範、舶砲新書、三兵答知幾

(1841年版オランダ歩兵操典)

 

編成(安政2年)

 

【小隊】 物頭、与頭、小頭(2名)、同心頭取(4名)、先筒同心(36名)

10小隊を編成し4個小隊は江戸勤番、6個小隊を佐倉常備

10小隊全体を一備と称して歩兵奉行が統括する。

(金井右膳覚帳より)


改革後、佐倉藩兵が最初に出動したのは横浜の居留地警備で威力を発揮したのは九十九里の真忠組騒動と天狗党の乱における大貫磯浜の戦いである。

出兵の経験から慶応元年に改定があり号令の浸透性を考慮して小隊ごとにラッパ手がつくことになった。

(年寄日記より)

 

続いて藩士・依田十太郎が中心となって行った慶応2年の兵制改革では

 

服装

安政とほぼ変わらないが革靴が全将兵に支給された。

 

装備

歩兵刀、銃剣、前装式施条銃(ミニエー銃)と後送式施条銃(ミニエー銃)。

 

教本

歩操新式、海上攻守略説、防海要論

(1861年版オランダ歩兵操典)


編成(慶応2年) 歩兵3中隊(1中隊 240名)を保有


【中隊】 歩兵奉行、歩兵目付、小荷駄小奉行、歩兵取締方改役、歩兵差図役並(2名)、太鼓差図役、太鼓小頭、旗役鉄砲細工、仕立師、二等軍医、三等軍医(2名)、歩兵小頭(4名)、歩兵小頭並(2名)

【小隊】 歩兵頭、歩兵差図役、歩兵取締役頭取、小勘定、太鼓同心(2名)、歩兵小頭(2名)、歩兵小頭並


【分隊】 歩兵取締役、歩兵小頭並、歩兵(12名)

2中隊を編成し3小隊で1中隊、4分隊で1小隊となる。

(年寄日記より)