今日はコート要らずな穏やかな春の陽気でしたね


2011年3月11日
出先にて経験した事も無い揺れを感じ、無意識に身を屈めた私
直後公共の交通網はバス以外全て動かなくなり
とにかく歩き、必死に娘の小学校へと向かったのを覚えています
娘の手を取り、また余震がくるのではとの恐怖と不安を抱えつつ
息子と主人とも何とか連絡がつき
帰宅出来たのは18時過ぎ
そして、あの恐ろしい現実をテレビから知る事に…


9年後の14時46分
私の住むエリアでも平和への祈りを込めたサイレンが静かに鳴り響きました

黙祷…


先程までフジテレビで放送していた
NHK、フジテレビ、ヤフー共同企画
「その時」メディアに何ができるのか
『「わ・す・れ・な・い」死者をゼロにする情報とは』を視聴していました

未曾有の災害を決して忘れず
それを教訓にして、人々の命を守るため、テレビに出来ることは何か?
災害報道において、メディアが連携することによってもっと出来る事があるのではないかと言う観点から制作された番組

ふっと
『人間は考える葦である』
この言葉が脳裏に浮かびました

人間は考える葦である」とは、人間は自然の中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによって宇宙を超える、というパスカルの哲学者としての宣言を表している。それは人間に無限の可能性を認めると同時に、一方では無限の中の消えゆく小粒子である人間の有限性をも受け入れている。パスカルが人間をひとくきの葦に例えて記述した文章
(Wikipedia『ブレーズ・パスカル』より転載)

2度とあの時の哀しみを繰り返さない
人が過去を振り返って
あの時何が足りなかったのか
あの時こうしていたら
あの時これをしていたら
いろいろな “ あの時 ” を人が考えて
同じ事は二度と繰り返さないために “ 考える ” 事を怠らなければ
同じ哀しみは減るのでは…

そう思わずにはいられない
9年目の3月11日でした