堀川散歩 2 | キムキムのブログ

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広小路から名駅までお写ん歩しますと堀川に架かる橋を渡ります

この橋は、納屋橋と言います





立派な親柱の横に案内板


少し詳しく書きますと・・・
納屋橋(なやばし) は、慶長15年(1610)に堀川がつくられたころにかけられた「堀川七橋」の一つです。
名古屋の市街地と西の烏森(かすもり 中村区内)方面を結ぶ柳街道(やなぎかいどう)があったのでかけられました。
 橋がかけられたころの広小路は名古屋の街の南のはしに近く、賑やかな所ではありませんでした。
一方、少し北にかかっている伝馬橋は、美濃街道(みのかいどう)が通り、大名行列などたくさんの人が行き来して賑やかでした。
今の伝馬橋は、桜通りが通る桜橋と広小路が通る納屋橋の中間の橋で、交通量も少なく昔とは真逆で静かなものです。
大正2年にかけられた納屋橋も、古くなっていたんできました。また自動車が増えて道はばを広げなければならなくなったので、昭和56年(1981)にかけかえられました。 新しく現代風の橋にしたほうが安くできるのですが、名古屋の代表的な橋として親しまれてきた昔の納屋橋の姿をできるだけ残すことになりました。
欄干は昔の橋(大正2年改築)で使われていたものを修理してもう一度使っています。
また、今の橋は、橋の下のアーチが無くても良いのですが、大正時代の姿を伝えるため、かざりとしてアーチが付けられました。 
そして、名古屋の都市景観重要建築物に指定されています。






大正時代の欄干が使われています
この欄干には、4つの家紋が使われています。堀川の功労者である、堀川の開削奉行をつとめた福島正則の功績をたたえて、歩道の半円形の展望部の高欄中央部に家紋の中貫十文字があります。
また、少し離れた所に控えめな 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑の家紋も高欄に飾られています。
堀川と、堀川に架かる七橋は福島正則が主人公で、三英傑は脇役ですね


三英傑の家紋の斜め左下には、この欄干を作成した中島鉄工所の彦作さんの名板があります。


このアーチは、装飾だったんですね




堀川七橋の一つである納屋橋でした