イエスが生前選んだ12人の弟子「十二使徒」には彼は入っていない。彼は生前のイエスを知らない。但し、使徒の原義は重要な役割を果たした宣教者であって、その筆頭がサウロ(後のパウロ)だとされる。

 

新約聖書27書簡のうち実に13がパウロによるもの。

初めはユダヤの立場からキリスト教徒を迫害する側であって、教徒が忌み嫌う畏怖の対象。

 

キリスト教徒迫害に行く途中で、降臨したイエスに出会って人生を180度変えた(パウロの回心、使徒行伝9章)。その瞬間「イエスこそ神の子であると説き始めた」あたりは、変わり身の早さ。

 

その後がこの人の凄いところ。これまで自分が迫害していた使徒たちに受け入れられようと奮闘し、ユダヤ教徒から何度も命を狙われながらも、異邦人への伝道を続けた。暴君ネロの時代に斬首刑で殉教するまで、ローマ帝国領内(スペインまでという説もある)布教している。当時イスラエル(ユダヤ)はローマ帝国の占領下にあり、要は属国の新興宗教が宗主国で布教するということ。

 

パウロは、精神力、実行力、突破力、知力、舌力もある。超優秀な営業マンである。ところが、教団からすれば、いつも混乱の種となる迷惑な男なのである。ユダヤ律法を無視し、批判すればユダヤから睨まれるのは当たり前なのに、堂々とそれをやる。異論は論破する。そして実績(布教)もあげる。

 

現代で言えば、高級官僚からベンチャーに転職して、政治家・官僚を平気で批判し、既存社員と相容れなくとも、一人で海外出張して新規事業をまとめて、会社を大きくして、IPOに貢献するような一匹狼。

 

こういう人は、時に自分に都合のいいように解釈する傾向にある。弁が立つので頭脳明晰に見えるが、実は本質を得ていない事も多い。ちゃんとした指導者がいたら、こういう人はもっといい仕事をする。コンサバ集団の牽引役にはぴったりなので、それも指導者次第。但し、トップには不向き。社長にしたら会社は傾く。

 

最後に、彼の思想の極み。

彼(支配者、権威者)は、あなた(民衆)に益を与えるための神の僕なのである」(ローマ人への手紙13章)。

今の為政者・権威者にも相通ずると思う。のらりくらり答弁の古参議員に聞かせたい一文だ。パウロだったら、「律法をつくるお前らが律法を破るのか!」と一括すると想像する。