読了。

秀吉の朝鮮出兵時、島津家が朝鮮の陶工を薩摩に連れて帰り、重用し、焼き物「白薩摩」をつくらせたのが始まり。江戸期には象牙色の質感、狩野派の絵付けが加わって、世界で評判となり、長崎経由で輸出し巨利を得た。結果的に幕末、倒幕資金となった。

 

司馬遼太郎の取材がいつなのかは不明だが、韓国朴大統領と対面とあるので、在任期間の1963年~1979年の間かその後。薩摩焼14代「沈寿官」氏の波乱に満ちた人生が克明に描かれている。少年時代は差別を受けても立ち上がる。青年になると、「御前黒(藩主御用達の特別な黒薩摩)」の復活をかけて、釉薬(うわぐすり)という黒光りする土を探し当てる。

 

晩年、韓国に墓参りした際、韓国の学生に講演している。「日本による36年間の統治を圧制というのはその通りだが、それを言い過ぎるのは如何か。言い過ぎる心情は既に後ろ向きであって、国家は前へ前へ進まなければならない」「あなた方が36年間を言うなら、私は370年を言わねばならない」。学生は노란샤쓰 입은(黄色いシャツ)*大合唱で湧いた。

当時の朴大統領にも会い、ご馳走されたともある。

*韓国の若者が肩を組んで歌う定番曲

 

望郷の念、民族とは、を考えさせられる一冊だった。

 

当時の地名は苗代川、現在の日置市美山。今ではちょっとした観光地になっている。

鹿児島県/薩摩焼の里「美山」を紹介します (pref.kagoshima.jp)