視力検査
白内障手術後に想定通り視力が上がり、その後若干低下はしましたが、今でも矯正視力は確保されており、たぶん緑内障や後発白内障などの影響は無視出来るレベルのようです。
たぶんと言うのは、霞や歪みが無いところ(視野)を探しながらの視力検査で、重なりながらボヤッと見えているランドルフ環(Cマークのようなもの)の切れた方向を【勘】を総動員して答えているため。
本当のところ、どれほどの視力なのか自分でも判っていません。
そんな状況から、普段生活する上では何かと不便を強いられることが多く、事故を防ぐ意味で自制せざるを得ないことが増えつつあるのは困りものです。
【一先年4月からの裸眼視力の推移(右端が今回)】
(左眼)
0.08⇒0.10⇒0.08⇒0.08⇒0.08⇒0.08⇒0.08⇒0.08
⇒0.05⇒0.05⇒0.08
(右眼)
0.12⇒0.15⇒0.20⇒0.15⇒0.12⇒0.10⇒0.10⇒0.08
⇒0.08⇒0.08⇒0.08
【一昨年4月からの矯正視力の推移(右端が今回)】
(左眼)
1.2⇒1.2⇒1.5⇒1.5⇒1.2⇒1.2⇒1.2⇒1.0⇒1.2
⇒1.2⇒1.0
(右眼)
1.2⇒1.2⇒1.5⇒1.5⇒1.2⇒1.2⇒1.2⇒0.9⇒0.8
⇒0.8⇒1.0
アプラ(接触式)による眼圧
アプラ(接触式)より2mmHgほど高く出がちなノンコン(非接触式)で一週間前に測った数値(左12、右11)より高く、両眼とも13mmHgと少し残念な結果。
日内変動で眼圧が高めになりがちな夕方に測定したのが敗因と思われ(私の場合)、時系列での比較検証が出来るよう次回の予約は午前中に入れました。
【一昨年4月からの眼圧の推移(右端が今回)】
左眼 : 15⇒14⇒14⇒13⇒14⇒15⇒14⇒14⇒14
⇒13⇒13
右眼 : 14⇒14⇒14⇒14⇒14⇒14⇒14⇒14⇒14
⇒12⇒13
診察室にて
👩⚕『角膜には傷が無く(点眼薬によるドライアイ治療は)良好です。眼圧も良好です。昨年11月からの点眼薬(4種)を継続して様子を見ていきましょう。』
👩⚕『視能訓練士からの報告では、駅のホームなどの人混などで苦労しているそうですが、実際はどういう状況ですか。』と、主治医。
🐻「左眼に抑制が掛かって右眼のみで見ているため立体視が出来ず、更に緑内障の影響からか弱い光が認識出来ないため薄暗い所はさることながら、明るい所でも微妙な凹凸が判らず段差に気付かず躓いたり、階段を踏み外したりすることが多くなりました。」
🐻「駅のホームや地下街などの人混みでは視野欠損(緑内障)のため特に左側から近づいて来る人に気付かず、仮に直前で気付いたとしても体幹と下肢の脱力のため急に止まったり方向転換が出来ず、人とぶつかることが益々多くなりました。」
🐻「脊柱菅狭窄症も芳しくなく、先日、介護保険の要支援2に認定されました。」
🐻「そのため重症筋無力症で治療を受けている病院の眼科医から、私は視覚障害者に準ずる者に該当するとの指摘があり、シンボルケーンとして白杖を持った方が良いとの提案を受けました。」と答えると、
👩⚕『私も白杖を持った方が良いと思います。白杖に抵抗感があるのであれば普通の杖を携行してください。』と、即答の主治医。
主治医の顔を見れば『重症筋無力症や脊柱菅狭窄症の症状もあるため杖を使うのは当然でしょう』と言いたげな表情。
心理的抵抗感があるため普通の杖すら使っていないのを主治医に見透かされており反論出来ずにモゴモゴしていると、
👩⚕『それでは次回は30-2の視野検査をします。点眼薬はどうします?』と、議論の余地無しとばかりに点眼薬の必要数の確認をしてくる主治医。
観念して点眼薬の必要数を主治医に伝えると、『人混みにはくれぐれも気を付けるように』『杖を携行するように』と主治医から念を押されて診察室を出ました。
受診後の雑感
主治医からの指示は以下の2つになりましたが、事故を防ぐ意味で必要な事だと理解しています。
①車の運転時には助手席にナビゲーターがいること
②外出時には杖(出来れば白杖)を携行すること
車を運転するのは家内と近所のスーパーへ行く時くらいで、ハンドルを握ることがほとんど無くなりました。今はこれ以上の指示が増えないことを祈るばかりです。
夕方以降は本当に見辛く、MGの日内変動により脱力も強まるため、今回の主治医からの指示に従い杖を携行することとします。
杖はいくつか持っていますが、携行しやすいよう、より軽い折りたたみの杖(たぶん白杖ではありません)を調達したいと思います。
話は変わって、先日地域包括支援センターへ行き、介護サービス(脊柱菅狭窄症で要支援2認定)の説明を受けて来ました。
取りあえず階段と玄関に手摺を付ける方向で打ち合わせをしましたが、今月末にケアマネジャーさんと業者さんに自宅に来ていただき、現場を見ながら最終決定することとなりました。
介護ベッドや布団から起きる際の手摺など、沢山のパンフレットも持参されるとのこと。
他に有用なサービスがあるか確認したいと思います。
毎回ながらお断りしていますが、記録として、頭の整理のためにブログを活用しており、そのため悠長な内容になりがちなことをお許しください。
また悠長ついでに備忘録を兼ねて、過去記事から「緑内障の発症から受診まで」「確定診断と治療の経緯」「視野欠損拡大の規則性と症状の変化」を抜粋して載せています。ご興味のある方はご覧ください。
今回も最後までお読みいただきまして有難うございます。では、皆様もどうぞご自愛ください。
緑内障の発症から受診まで
緑内障の発覚は、2015年11月に人生で初めて受けた人間ドック。(発症はそれ以前、時期不明です)
それまでの定期健康診断では受けたことが無かった、これまた人生で初めて受けた眼圧検査では眼圧が高めで(正常値は10〜21mmHg)、
眼底検査で神経系乳頭も陥凹していたことから緑内障の可能性が高いとして、検査中にもかかわらず直ぐにでも眼科を受診すべしとの指示を受けました。
⬇人間ドックの検査結果、両眼とも眼圧が高めです。軽度の動脈硬化(KW:I )もあり、そのためなのか数年後に右眼が眼底出血してしまいました。
当時は40度を超える高熱が数日間続いても病院には行かないほどの筋金入りの病院嫌いだった私は、『直ぐにでも受診せよ』との指示はそっちのけで、
数週間後に送付されて来た『要専門医・要治療通知書』を渋々持参して、コンタクトレンズ販売を併設しているクリニックを受診。
要専門医が何たるかを理解せずに、専門医不在の小さなクリニックを受診するという不届き者です。
一連の検査が終わり眼科医から『緑内障です、一生点眼治療が必要です』と伝えられ、今後とも末永く宜しくと言わんばかりに満面の笑みで名刺を渡されたことに違和感を覚えるなか、
間髪入れずに看護師さんから『点眼薬が無くなる前に必ず受診してください』と、緊張感のある表情で何度も繰り返されるに至り、
ヘビに睨まれたカエルの如く、何だか病院に羽交い締めにされたような感覚に襲われました。
すかさず病院嫌いの本性が顔を見せ、このままバックレてしまおうかと思いましが、そこは小心者でもある私。
本当にバックレても良いものかと情報集めを始め、あちこちのサイトを検索すると、
点眼薬などにより眼圧を正常値に保つようにして進行を抑えることが治療の主体であること、
眼圧が正常値であっても進行することがあること、
視野欠損は不可逆的に進行して一度欠損となったところは復活しないこと、
稀に失明すること、
治療は専門医に掛かるのがベターながら意外と開業している専門医は少ないこと、
等々が解り、治療は避けられないと観念するとともに面倒なことになったと悟った次第です。
いざ開業している緑内障専門医を探すと『日帰り白内障手術』を標榜(宣伝)しているクリニックばかりで本当に見つかりません。
ひょんなことから勤務先の医務室に立ち寄ったところ、緑内障専門医として大学病院に長年勤務した医師が、数年前(当時)に開業しているという情報を入手。
すぐさま受診し、今の主治医とのお付き合いが始まったといのが、緑内障発覚から受診までの事の顛末です。
確定診断と治療の経緯
眼科医から名刺を渡された初めて受診した眼科ではゴールドマン視野計による動的視野検査のみでしたが、
現在受診中の眼科ではハンフリー視野計による静的視野検査、OCT検査(眼底三次元画像解析)、網膜細胞の数や形状を調べる検査(装置名は判りません)などを受け、さすが専門医と感心した記憶があります。
詳細な検査の結果、既に両眼とも網膜の下半分が薄くなって視野上部に欠損が生じていたことから、欠損範囲の違いなどにより左眼は中期、右眼は初期の確定診断となりました。
即日点眼薬による治療が開始され、その後の眼圧は15前後の正常値を維持していたものの肝心の欠損拡大は止まりません。
左眼は右眼の5 倍のスピードで欠損が拡大するという厄介な状態が続いていましたが、
点眼薬が当初の1剤から2剤、3剤へと増えるものの左眼の拡大スピードは収まらず、
満を持して2021年9月には左眼にSLT(レーザー線維柱帯形成術)を受け、2022年3月には眼圧低下をも期待して両親の白内障手術を受けたものの、残念ながら何れも眼圧低下の効果は現れませんでした。
視野欠損の状態はといえば、幸いにして右眼は今だに周辺視野の上部に欠損が留まっているのですが、
左眼は中心視野(中心から10度以内)を避けるようにして周辺視野(中心視野の外側)の上部から下部に向かって欠損が広がり続け、
2015年の治療開始から5〜6年で、時計盤に例えれば時計回りに21時から6時までの範囲の周辺視野が全く光を感じない状態(欠損)になってしまいました。
また、今では左眼の中心視野にも欠損が入り込みつつあり、左眼のみでPC画面を見ると欠損がハッキリ判るようにもなりました。
眼科での定期的な眼圧検査の大半は午前中に受けていたためか、常に15前後と正常値の範囲内にありましたが、
昨年3月の白内障手術の際に大学病院で受けた日内変動眼圧検査(夜中の3時を除く3時間毎の眼圧検査)では、夜間に眼圧が20を超えることがありました。
眼圧の日内変動も欠損拡大に影響していると考えられていますが、一回きりの日内変動眼圧検査でしたので本当のところは判りません。
白内障手術のついでに受けた大学病院での緑内障検査の結果を踏まえ、昨年4月に主治医から左眼は中期から末期へ、右眼は初期から中期への診断変更を告げられました。
私の場合、視野欠損に至る過程にある程度規則性があるらしく、先ず網膜が薄くなり、次に弱い光が認識出来なくなって終いには全く光を感じない欠損になる、というのを繰り返して来ました。
当初は両眼ともに網膜の下側のみ薄かったのですが、今では両眼とも網膜全体が薄くなってしまい、欠損拡大が視野全体に広がるのは時間の問題と主治医から言われています。
一時期トラベクロトミーなどの手術を検討しましたが、当初からの懸念事項であった重症筋無力症治療で服用しているステロイドや免疫抑制剤による感染リスクに加え、
網膜変性症(変視症)が悪化するに従い、手術のストレスにより更に悪化するのではとの懸念(リスク)を主治医は嫌うようになり、最近では受診中に話題にすらならなくなりました。
現時点では打ち手がなく、今まで効果が今一だった点眼治療で様子を見るしかないと理解しています。
目下の悩みは、薄暗い所での見辛さと、左眼の中心視野に視野欠損が入り込みつつあること。
最近、トンネル内やスーパーの屋内駐車場など薄暗いと所で益々見え辛くなって、夜道では歩道と車道の段差が判らないため度々踏み外すようになり、薄暗い所で物を落とすとそれこそ大変なことに・・・
自宅で食卓テーブルの下に箸などを落としただけで大騒ぎになり、手探りをしながらやっとの思いで探し当てています。
一方で、薄暗い所での見辛さと関係があると思いますが、以前ほど眩しさを感じないためサングラスを掛けなくても済む場面も増えました。
特に人工照明の眩しさが軽減されたようで、これはこれで良しとしておきます。
重症筋無力症の症状悪化により左眼に抑制が掛かっているため、幸いにして左眼の視野欠損を認識せずに済んでいるのですが、
怖いもの見たさで左眼でPC画面を見ると、画面のあちこちが掛けて、変視症の影響により歪んで見えるようにもなりました。
最近は更に歪みが酷くなっているようで、左眼だけで見ると直ぐに吐き気を催すため、どうにかならないかと思うこの頃です。
⬇️重症筋無力症の影響で左眼があっちの方向を向ているため左眼に抑制が掛かり、結果として左眼の視野欠損を認識せずに済んでいます。
経緯 ※緑文字は緑内障関連
2015年10月 人間ドックにて緑内障(疑い)の指摘
2015年12月 複視を自覚
2015年12月 緑内障診断(左眼:中期、右眼:初期)
※ラタノプロスト処方(両眼)
2016年 1月 ドライアイ診断、ジクアス処方
2017年 1月 複視が悪化 ⇒ MG治療へ
2017年 2月 シェーグレン症候群(疑い)の診断
2017年 6月 左眼欠損拡大によりエイゾプト処方
※左眼 : ラタノプロスト・エイゾプトの計2剤
※右眼 : ラタノプロストの1剤
2019年 2月 後部硝子体剥離(左眼)の兆候
2019年 6月 左眼欠損拡大によりアゾルガ処方
※左眼 : ラタノプロスト・アゾルガ(配合剤)の計3剤
※右眼 : ラタノプロストの1剤
2020年 3月 後部硝子体剥離(左眼)
2021年 1月 後部硝子体剥離(右眼)
2021年 5月 緑内障末期一歩手前(左眼)の診断
2021年 7月 変視症を自覚(両眼)
2021年 9月 左眼にSLT(レーザー線維柱帯形成術)
2022年 3月 眼圧低下も期待して白内障手術(両眼)
2022年 4月 緑内障末期(左眼)、中期(右眼)の診断
※白内障手術後に眼圧下がらずアゾルガ(両眼)復活
2022年 7月 眼圧下がらずラタノプロスト復活
※左眼 : ラタノプロスト・アゾルガ(配合剤)の計3剤
※右眼 : ラタノプロスト・アゾルガ(配合剤)の計3剤
2022年11月 変視症は網膜変性症が原因との診断
2023年 1月 ジクアスをジクアスLXに変更
2023年 11月 眼圧下がらず両眼の点眼薬変更
※ラタチモ(配合剤)・アイラミド(配合剤)の計4剤