[まえがき]  
クィーンズランド州、州都ブリスベンから約60キロメートル南下すると、オーストラリア最大のリゾー卜でゴールドコーストと呼ばれている海岸がある。 その町、ビーチのすぐ近く、目抜き通りの商店街で売りに出されていた小さなドーナツショップを見付けた。 私はオーストラリアヘ永住して数ヶ月後で、この有名なリゾー卜の名も知らず、地域の事情も分らず、ただ売り値が手頃だったのと、通りに人がいっぱいいて、大変活気を感じたので、そのビジネスの権利を買うことにした。 1982年4月のことである。 日本は観光ブ-ムの真最中、∃―ロツパを始め、ハワイヘは常に最高の人出となっていた。 ゴールドコーストはハワイと、ちょっと一味違う、しゃれた雰囲気の観光地として脚光をあび出したのは、私がその店をやり出して一年後からだった。 私は、ドーナツ販売から、日本食店に切替え、うどん、牛どん、カレーライスの販売を始めた。 このリゾー卜は、最初、日本から新婚さん達のハネムーンの旅行地として知られ、やがて一般の観光客でも有名になっていった。 気候や環境、治安の良さから、ウェルシー(裕福)な人々の余生の場所、リタイアメントの地としても候補に上がり、日本のバブル経済の始まりと共に、不動産投資のターゲットともなっていったのである。 その頃の日本経済不況の起因も、ここでの無理な投機が、その一翼を担ったのではないかと私は思っている。 当時日本の銀行は際限なくお金を貸し、この地にも地上げ屋が来て一等場所の土地買いが始まった。 ゆっくりと成長していたこのリゾー卜が急に慌しくなってきたのである。 私の日本食店もそれと共に急成長をし、移転と共に小さな店舗から、本格的なレストランを持つまでになった。 商売繁盛、順風満帆で突き進む、機運を掴もうとする男ここありとの思いがした。 でも長続きはしなかった。 土地高騰による弊害が怒涛の如く押寄せて来たのである。 と同時に、日本のバブル経済崩壊を待たずして、私の周辺にも運命のいたずらか、思わぬ逆境が襲って来た。 自分自身の引き起こした悪因果で自業自得ならば仕方はない。 ところが、試練のように次々と、私の頭上から振りかかってきたのである。文化や習慣、思考の違うこの国で、どのようなハプニングが起こり、いかに奮闘し、切抜けて来たか、又、一瞬にして過ぎ去った、日本人によるゴールドコーストブームの激動期、その中で商売をして来た者として、数々の事件を混えて、私の数十年間の体験を軸にして書きました。 そしてレストラン建物の取壊しを機会に、今度は日本人相手のビジネスではなく、オーストラリア人の実社会に入っていく為、180度の転職を志し、その一歩として、自分の年齢をも忘れ、資格を得るため、技術研修校への通学を始めた。 フルタイム(全日制)で一年間のコース受講中、教官と研修生の人間模様や授業風景、又、詳しく、課目の内容を記したのは、制度の違うこの国の事情を知って頂き、日本での同教育過程との比較をして貰う為であります。 この本に登場する教官やクラスメイツ、それに友人達のエピソードはすべて事実をそのまま書きました。 後日、彼等に迷惑を掛けてはいけないと思い、すべて名前を付け変えてあります。 又、私の知る範囲、日本との相違点で、興味深いと思われる事柄や話題、それにオーストラリア人の実生活、これらも私か拘った出来事を根本としたものであります。 それから、知人、友人からの珍しい情報等も多数書き入れさせて戴き、紙面を借りて御礼を申上げます。