昔から馬を見るのが好きで、自分が中学生になった時

JRAの武豊騎手がデビューしてから華々しい活躍をし、

名馬オグリキャップの時代を、多感な頃に過ごしました。

当時は競馬の事についてまだ何も知らない時代、

それでも武豊騎手とオグリキャップの存在を知る事、

あの当時、ぼくだけではなかったかと思います。



UFOキャッチャーにはオグリキャップのぬいぐるみが

並んで、取れるか取れないか、燃えた世代です。

その頃から、競馬に興味を持ちました。

当時のことです、馬券は買えません。でも、ぼくの

興味の対象はそちらではなくて、騎手や馬でした。

そして、その背景には馬を預かる厩舎があって、

そして管理者でもある調教師がいて・・・だんだんと

頭の中に入っていって、高校生になったら今度は

ダービースタリオンが大ヒット、夢中で遊んだ世代です。



高校当時の部活動仲間とその話に夢中になり、

ナリタブライアンがクラシック三冠レースを勝利し、

リアルタイムで観戦して覚えた最初の三冠馬、

毎週のように友人とささやかな馬談義をしてました。

調教師、騎手、牧場、一頭のサラブレッドに

携わる多くの人を大きく総称してホースマンと

呼ぶんだという事も覚えました。その中での

仕事ぶりというか、勝負の世界の中で生きる

ブラッドスポーツとしての競馬、主役である馬の物語、

昔の書籍や雑誌なども収集しては熟読し、

奥の深い世界に感化され、憧れたものでした。



大学に進学し、就職活動を終えたのちに北海道へ

行って、念願叶った名馬の産地の雄大な景色、

現役を引退した名馬たちとの出会い、牧場の方々の

御好意で見学させていただいた際のドラマ…

この時の体験が忘れられなくて、社会人になっても

有給休暇を使っては北海道、時には九州まで行って

名馬を追いかけました。関東近郊にも牧場は合って、

馬産地としての歴史も学び、ミスターシービーという

サラブレッドに出会い、時間さえあれば会いに行ってました。



でも、ミスターシービーは蹄葉炎という病気にかかり・・・

辛く、哀しい結末を知り・・・様々な事を感じました。

その後も、そうした出会いと別れがあり、

深入りすればするほど、一ファンとして悲しい便りを

聞くにつれては、哀しくて…の繰り返しでした。



サラブレッドの余生は、必ずしも全て幸せとは限らなく、

知識として知ってはいてもやるせない思いがあります。

だからこそ、現役を引退してから会える名馬たちは、

過酷な環境から勝ち取って切り開いた現在があって…

と考えると、ぼくは名馬たちに会うにつれて勇気をもらって

いました。



レンタカーで当時はまだ現在のようなハイスペックな

カーナビとは違うものと苦戦しながら駆け回った記憶、

関東の方でも道路地図を片手に悪戦苦闘しながら

牧場を訪ねた日々…そして牧場スタッフの方々、

生産者の想い、ホースマンとしての信念に啓発され、

一時期は本当にその世界に行きたい思いがありました。

でも、乗馬経験もないし牧場で働いたことがなく、

社会人になって少し経過し、年齢制限もあって

当時も現在も基本的には狭き門であって・・・断念しました。



それでも、あの頃の経験がたぶん現在の原型になって

自分の中で脈々と生きているのは間違いありません。

実地へ行って、実際に自分が見聞したものをお伝えしたい、

興味の対象がその後、日本酒と言う世界に誘われて、

現在のぼくがあり、それからはひたすら蔵元さんへ

行くことになっていきました。






闘病自宅療養中・・・



このレッテルは長きにわたって変わっていません。

ちょっとした息抜きに、ものすごく久しぶりに

昔、あの当時の馬たちはどうしているのかな、と

思って検索していたら、懐かしい名馬を見つけました。



調べてみたら、自分が通院する病院からさほど遠くない

場所に居る事も分かって、昔を思い出しながら

1人の人間として自分自身を見つめ直す意味でも

会いに行こうと思いました。



自分の仕事では、業界関係者なのできちんと先方へお話を

させていただいてから見学へ・・・とやってきましたが、



馬に会いに行くというのは、当然のように全くの別物です。

失礼のないように、マナーを順守して…が鉄則です。

道に迷って、地元の方々に道を教えていただく事、

お問い合わせさせていただくことなどなど、

大事な基礎を初心に立ち返り、教えていただきました。

そこにあるのは純粋に人と人とのコミュニケーションであり、

教えていただいた方々に、本当に感謝の気持で一杯です。



話しがすっかり長くなってしまいました・・・




ぼくが訪れた場所は・・・



不屈!!


アサノホースライフィングさんです。


http://meiba.jp/horses/view/1992110313



到着して思ったのが、まだ比較的歴史が浅くて、

手造りでコツコツと作成された乗馬クラブで、

一歩ずつ積み上げてきた努力の結晶が随所にあり、



不屈!!



不屈!!


馬たちにとって、自分たちの出来得る限りの創意工夫があり、

浅野さんの深い愛情を持って、大事に大事に管理されているのが

すぐに見て取れました。



そして、



不屈!!



不屈!!


なんて言ったら良いのでしょうか、現役時代からかなりの

年月が経っているのに、昔と変わらない馬格で凛々しい姿、

浅野さんから様々なお話を聞きながら、当時を振り返り、

言葉に出来ないくらい熱い想いが、溢れそうでした。



当時から物凄く思い入れがあったかと言われると、

それほど強いわけではありませんでしたが、

その当時所属していた藤澤和雄調教師が手掛ける

馬たちは、目覚ましい活躍をしており、常に注目を

集めていました。そういう経緯もあり、テレビで見たり

大学生になってからは競馬場で見たこともあります。



アイルランド生まれ、輸入されてきた系譜も当時は

注目されていました。息の長い活躍をして、

引退した後は、ぼくは全く知りませんでした。



だから、その間に何があってどうだったのか、

どういう馬生を過ごしてきたのかを考えると、

目の前に居ること自体が奇跡のような感覚で、

ただただ、見入ってしまいました。



もちろん、当時を思い出すとその当時の自分も

思い出すわけで…それから辿ってきた道…

様々な思い出が駆け抜けて、こういうサプライズが

あるものなんだなあ、って感動しました。



ぼくは、アニマルセラピーを信じています。

ホースセラピーも同様に信じています。

実際に馬に触れて感じる馬の体温、

優しい眼差しなど、癒しを感じます。



学生時代、バイトで稼いだお金で3日間で

達成できる乗馬クラブライセンス5級を取得した

事があります。ただ、堂々と言えるレベルではなく、

乗馬に関しての基礎の基礎というレベルで、

あれから15年が経過していますので・・・なんとも。



でも、馬の上から見る景色は思っている以上に高くて

馬の背中ってこんなにも揺れるものなのかと思いました。

練習して息が合ってくると、喜びというか、楽しいというか、

こんなに素敵な世界があるんだ!と、純粋に思いました。

人馬一体という言葉もありますが、乗馬の熟練者になるほど

思わず見とれてしまうような芸術、技術があって、

凛とした佇まいが美しく、馬に携わる人々の愛情と

それに応えようとする馬の優しさというか、心が温まる

ものがありました。



浅野さんのお話を聞き、浅野さんの熱い想いや人と馬との

共生、将来、その他にも様々なお話を聞きました。

どこまでも馬の事に向き合い、そして馬の生命について

真摯に考えられていて、獣医師さんにもまだまだ普及していない

技術でもって、1頭でも命を助けたいと勉強されている方の存在など、

またそういう方々は多くいて、すごく大事なことを学ばせていただきました。



浅野さんが、特別にプレストシンボリを放牧地に出してくれました。




不屈!!



不屈!!



不屈!!



不屈!!


今はすごくおとなしくて、身体障害者の方が乗っても、

絶対に落とさないんですよ、と浅野さん。



ならば、闘病中のぼくでも乗れるようになるのかな・・・



きっと大丈夫ですよ、早くお身体が良くなるといいですね!

と言われ、その一言がものすごく嬉しくて・・・



プレストシンボリは、浅野さん達からぷーちゃんと呼ばれ、

愛情深い人々に囲まれた場所で元気に過ごしています。



現在は紫外線が強い時期で、野外の行動も控えなければ

ならないぼくですが、紫外線がだんだん弱くなっていく

晩秋の頃、ぷーちゃんに乗ってみたいと目標が出来ました。



社会復帰へ向けて、ぼくにはまだまだ乗り越えなければ

ならない壁があると思っています。その過程で、

こうして出会い、そして始まった御縁は、1人の人間として

大事に大事にしていきたいと思っています。



また今度、病院帰りで時間のある時に会いに来ることを

ぷーちゃんに誓いを立て、心が洗われるような素敵な時間を

胸にしまい、必ず病気を治す、必ず打ち勝つ、事を強く念じました。



アサノホースライフィングの浅野さん、本当にありがとうございました。



最後に・・・



浅野さんと同志である方のブログのリンクを貼らせていただきます。


http://ameblo.jp/u-hippo/entry-11570324182.html