こんにちは。
一生ものの絆づくりサポーター小宮山芽生です。
先々週、母方の祖母が亡くなりました。
悲しいけれど、祖母とのことを振り返ると「ありがとう」の気持ちしかありません。
今年の元旦に発熱から肺炎で入院し、肝臓に腫瘍が見つかり、
その後3月の退院までにはインフルエンザにかかったりとありましたが。
退院後はすっかり元通り、畑仕事もするし、両親と喧嘩もできるくらいでした。
その日も畑仕事をして帰宅、同居するひ孫に手を引いてもらって入浴。
そして、そのまま光の存在になりました。
あまりに突然で、でも苦しまずに、最後まで現役を貫き通した祖母でした。
思えば、私のお産に一番反対をした祖母。
それまで祖母のお産のことを聞いたこともありませんでした。
私が生まれてきた日のことは
それはそれは小さくて、犬の赤ちゃんのように片手に乗せられた。
その私がこんなに大きくなってよかった
とは話してくれていました。
祖母は7人兄弟の長男である祖父とお見合い結婚。
結婚したくなかったそうで、その上性格の違う義母との関係にも
苦難があったそうです。
本人曰く、いじめられて辛かったと。
子どもができても親戚の関係で産むことができなかったり、
長男が自宅で生まれても残念なことに数時間で亡くなってしまったり…。
そんな話も私が実家自宅出産をすると言いだし、もめてもめて知りました。
今は医療という安全の環境で産めるのに、なぜ今更危険な方を選ぶのか!?と。
初産でしかも初曾孫を迎えるにあたって祖母の体験から反対をしたのでしょうね。
今思うと、祖母の気持ちもわかります。
ですが、祖母の体験を知らない私にはどうしてそんなに反対されるのか、
どこで産んでも危険度は変わらないと思っていましたし、
お産にかける気持ちの方が大事と思っていたのです。
私がどうにもこうにも譲らないので諦めた祖母。最後は見守ってくれました。
そんなこんなで運よく、安産、長女も無事に誕生してきました。
生まれたばかりの長女を見に、足の悪い祖母は2階まで上がってきて、
「やっぱり自宅出産はよかね~~」
といった言葉が今でも忘れられません。
心配性すぎ、素直になれない、褒めれない祖母。
それもこれもそんな要因満載の過去があったからでしょうね。
出産前日まで仕事をし、長男君死産の後は寝込むこともできずにまた仕事。
最後まで仕事一途に明け暮れた祖母。
手が器用で忙しい中もいろんなものを作っていました。
好奇心の塊で、いろんな話も大好きでした。
親戚関係での葛藤も多かった祖母。
一緒に暮らせたこと、今となっては素敵な思い出です。
最後は綺麗なお気に入りの着物を着て、お化粧もしてもらって、
可愛らしいおばあちゃんでした。
これからはご先祖様の1人として私たちを見守ってくれる存在になりました。
誕生学でも伝えていますが、
ご先祖様がつないできてくれたいのち。
祖母が光になった今
ご先祖様達がつないでくれた
限りあるこのいのち
大切にしていこう
そして
子ども達にも伝えていこう
88歳の祖母の葬儀を終えて
綴ってみたくなって書いてみました