【テーマ・ひるやすみ】
学生のころ
正月準備も大掃除も親任せで
自分のことだけしか
考えずにすんだころ
年の瀬が大嫌いでした。
当時の日記には
「これからはやることなすこと
゛今年最後の゛って冠詞がつくんだ
むなくそわるい」
なんて書き捨ててあります。
今年最後のつまらない講義。
今年最後の満員電車。
今年最後のアルバイト。
今年最後のばか騒ぎコンパ。
今年最後の長電話。
今年最後の朝寝坊。
今年最後の晩ごはん。
今年最後の会話をして
今年最後のまばたきと
今年最後の一呼吸。
これが最後と思うことは
若いわたしが胸くそ悪くなるくらい
つらい覚悟だったのですね。
あくる朝には当たり前のように
生きられると信じていても
これが最後と覚悟することは
ごまかしの効かない重圧でした。
わたしには
何事をするときにも
「これが最後になるかもしれない」と
ふと思ってしまう癖があります。
誰かに会って別れるときも
何処かへ行って帰るときも
抱きしめた子どもを放すときも
これが最後になるかもしれない。
こころのどこかで
そう言っている自分がいます。
それは
今年最後なんてものではない
人生最後を予期しているもので
日ごろそんなことを
感じているものだから
みながよってたかって
「今年最後」を強調するのが
ストレスだったのだと思います。
どうしてそんな風に
思うのでしょうね?
いまは
なんとなく
わかる気がします。
今夜は
「今年最後の」ひとりの夜です。
けれども
夜はいつでも一夜きりです。
それがわかったから
もう恐くはありません。
学生のころ
正月準備も大掃除も親任せで
自分のことだけしか
考えずにすんだころ
年の瀬が大嫌いでした。
当時の日記には
「これからはやることなすこと
゛今年最後の゛って冠詞がつくんだ
むなくそわるい」
なんて書き捨ててあります。
今年最後のつまらない講義。
今年最後の満員電車。
今年最後のアルバイト。
今年最後のばか騒ぎコンパ。
今年最後の長電話。
今年最後の朝寝坊。
今年最後の晩ごはん。
今年最後の会話をして
今年最後のまばたきと
今年最後の一呼吸。
これが最後と思うことは
若いわたしが胸くそ悪くなるくらい
つらい覚悟だったのですね。
あくる朝には当たり前のように
生きられると信じていても
これが最後と覚悟することは
ごまかしの効かない重圧でした。
わたしには
何事をするときにも
「これが最後になるかもしれない」と
ふと思ってしまう癖があります。
誰かに会って別れるときも
何処かへ行って帰るときも
抱きしめた子どもを放すときも
これが最後になるかもしれない。
こころのどこかで
そう言っている自分がいます。
それは
今年最後なんてものではない
人生最後を予期しているもので
日ごろそんなことを
感じているものだから
みながよってたかって
「今年最後」を強調するのが
ストレスだったのだと思います。
どうしてそんな風に
思うのでしょうね?
いまは
なんとなく
わかる気がします。
今夜は
「今年最後の」ひとりの夜です。
けれども
夜はいつでも一夜きりです。
それがわかったから
もう恐くはありません。
