【テーマ・ひるやすみ】


学生のころ

正月準備も大掃除も親任せで
自分のことだけしか
考えずにすんだころ

年の瀬が大嫌いでした。

当時の日記には
「これからはやることなすこと
゛今年最後の゛って冠詞がつくんだ
むなくそわるい」
なんて書き捨ててあります。

今年最後のつまらない講義。
今年最後の満員電車。
今年最後のアルバイト。
今年最後のばか騒ぎコンパ。
今年最後の長電話。

今年最後の朝寝坊。
今年最後の晩ごはん。
今年最後の会話をして
今年最後のまばたきと
今年最後の一呼吸。


これが最後と思うことは
若いわたしが胸くそ悪くなるくらい

つらい覚悟だったのですね。

あくる朝には当たり前のように
生きられると信じていても
これが最後と覚悟することは
ごまかしの効かない重圧でした。


わたしには
何事をするときにも
「これが最後になるかもしれない」と
ふと思ってしまう癖があります。

誰かに会って別れるときも
何処かへ行って帰るときも

抱きしめた子どもを放すときも

これが最後になるかもしれない。

こころのどこかで
そう言っている自分がいます。


それは
今年最後なんてものではない
人生最後を予期しているもので

日ごろそんなことを
感じているものだから

みながよってたかって
「今年最後」を強調するのが
ストレスだったのだと思います。


どうしてそんな風に
思うのでしょうね?

いまは
なんとなく
わかる気がします。


今夜は
「今年最後の」ひとりの夜です。

けれども
夜はいつでも一夜きりです。

それがわかったから
もう恐くはありません。










【テーマ・さんすう】


答えというものは
宙に浮かぶ玉のように
あらかじめそこに在るものです。

変化を余儀なくされているのは
答えではなくむしろ問いのほうで

わたしたちは
答えを探してさまよっているようで
実は問いを探しているのだと思います。

どんな問いならそれが答えになるのか
答えを求めながらその実
ふさわしい問いかけを求めて
東奔西走しているのだと思います。



仮に答えが玉のような球体であるならば
見えているのはいつもその一部に過ぎず
立ち位置を、つまり問いかけを変えれば
同じ玉でありながら見えてくるのは
まったく別の側面になるのですから

答えは常に問いかけに呼応するものと
誤解してしまうのも無理はありません。

けれども実際は
答えが問いかけについてくるのではなく
答えの全貌を知るための問いかけを
わたしたちは探し続けているだけ

そんな気がしています。

問いかけを明らかにすることは
そのときの自分を明らかにすることに
ほかなりませんから

わたしたちは
とりわけわたしは
答えを求めているつもりでいて
ほんとうは問いかけを探しながら
答えを明らかにしたつもりでいて
ほんとうは自身の姿を明らかにしています。

それでいて
自らの姿を直にみることは
叶わないでいるのです。

そう考えると答えとは
問いをうつす
鏡のようなものですね。




答えと問いかけの関係は
空間座標における
原点Οと点Pの関係に似ています。

点Pは移動可能で座標(a,b,c)の値は
常に自由に変化することができますが
それはあらかじめxyz座標空間が
原点Οにより存在しているからです。

点Pは原点を見つめることで
たしかな座標を得ていますが
逆を言えば
自身の値を知るためには
原点を探すしかないのです。

己の値がいま
正であるのか負であるのか
それすら

原点に照らし合わせなければ
およそ見当もつかないのです。


しかし点Pは
点P自身で点Pを特定することはできません。

点P自身は一次元の点であり
彼のなかには空間はおろか
平面も軸もないのです。

それはまるで
わたしがわたしだけでは
わたしを把握できないのと
同じことです。

点Pが点Pの分際を超えて
自身の存在を見つめようとしたら

点Pに座標を与えているのは
点P自身ではないことを
点Pは知らざるを得ませんし

わたしがわたしの分際を超えて
わたしが誰で
ここがどこか
知ろうとするのなら

わたしをわたしにしているのは
わたしではないということを
わたしは知らざるを得なくなるのです。



けれども
点Pはただの点であり
異次元に存在する原点を
うかがい知ることも
点P自身を見つめることも
できません。

そして
わたしもただのわたしであり
答えの全貌を知ることも
わたしを外から見つめることも
できません。

しかし明らかに

点Pを点Pたらしめているものも
わたしをわたしたらしめているものも

宙に浮かぶ玉のような
原点であることを

疑うことはできません。


点Pが存在するのは
原点によるものであり

わたしが問いかけを探すのも
答えがそこにあるからです。




さまざまな悩みを抱え
答えが見つからず苦しいときは

「答えを探しているのではない。
その答えにたどり着くための
問いを探しているのだ。」と

空間に浮かぶ点P(a,b,c)を思いながら

答えという原点を見つめることで
答えという鏡を見つめることで

自分を明らかにしたいと
最近は思っています。




【テーマ・こくご】


それは小さな
花屋の店先

ブーケを求めるきみの姿
きみはあの日のわたし


それは僅かな
光る小銭

わたしの渡したお小遣い
あの日母の払った代償







お店のひとは
小さなきみのため
軽くかがんで瞳を合わす

お店のひとの
くちびるがささやく
贈り物ですか?


きみは小さく首をふる

それはきみのための
小さなブーケ

握りしめた小銭は
きみのための贈り物

あの日母が
渡してくれた



それは小さな
花屋の店先

いまわたしの
目の前の

なつかしい
あの日の思い出




思い出というものは
今日も紡がれる物語